L→R 許田信介(Ba)、名嘉 俊(Dr&Rap&Cho)、新里英之(Vo&Rap&Gu)、仲宗根 泉(Vo&Key&Cho)、宮里悠平(Gu&Cho)

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アーティストの拠点となるライヴ活動。結成から活動を始めた当時を振り返りながら語ってもらった。 もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?

L→R 許田信介(Ba)、名嘉 俊(Dr&Rap&Cho)、新里英之(Vo&Rap&Gu)、仲宗根 泉(Vo&Key&Cho)、宮里悠平(Gu&Cho)

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HY プロフィール

エイチワイ:2000年結成。沖縄県うるま市出身。グループ名の“HY”は彼らの地元・東屋慶名(Higashi Yakena)の地名が由来。03年に発表した2ndアルバム『Street Story』がインディーズとしては史上初のオリコンチャート初登場&4週連続1位という偉業を達成し、ミリオンセラーに。現在も沖縄に在住し、全国・世界へと音楽を発信している。HY オフィシャルHP

“みんなで楽しかったってなれますよう
に”というのは今も変わらない

高校時代の2000年に結成されたHYですが、結成した時はどういう音楽をやろうというのがありましたか?

名嘉
なかったです、まったく。“ロックをやろう”とかそういう話も一切出ないし、“自分たちはどんなバンドなんだろう?”っていう話もなかったですね(笑)。当時、Dragon Ashさんが大好きで。Dragon Ashさんを先頭にミクスチャーとかそういう言葉が出てきて、自分たちもたぶんミクスチャーなんだろうなっていうのはどっかであったんですけど、あえて自分たちが何系かっていうのはそんなに意識してなかったような気がします。

バンドでライヴをするようになったのは?

仲宗根
まずは東屋慶名(ひがしやけな)っていう名前でバンドを始めて、それでライヴハウスに出たのが初めてですかね。自分たちが高校生の時なんで、土日とかに対バン形式のイベントに出ていた感じです。
名嘉
うん。だいたい2週間に1回とか。みんなお金がなかったんで、悠平のお父さんが毎回楽器とか運んでくれて、ライヴ終わりにも迎えに来てくれたりしてました。
宮里
やってましたね(笑)。
名嘉
あの時、初めてフライヤーに“東屋慶名”って名前が載ったのが嬉しかったですね。

沖縄市のコザにあるSeventh Heavenによく出ていたそうですが。

名嘉
そうそう。スタッフさんがすごい怖かった。怖いというか、その時は僕たちがただ無知だっただけですかね(笑)。信介とかボリューム上がってないのにスタッフさんに“ボリューム上げてください”ってずっと言ってて。
許田
しかも、“上げろって言ったところを上げてくれない!”みたいなね。ヤバかったですね、当時は(笑)。
宮里
それですごい怒られてましたね。
許田
いや〜よく覚えてるわぁ。
名嘉
“何を怒られてるわけ?”と思いましたけど(笑)。

当時はただカッコ良い音楽がやりたかったとのことですが、どういうライヴをしていたのですか?

名嘉
ダサかったです(笑)。裸だったよね?
仲宗根
裸で、マジックで身体に目玉おやじを書いてたよ。
宮里
カッコ良いとかじゃなくてギャグ(笑)。
名嘉
乳首の周りにマジックで丸く書いて、目玉おやじがお茶碗に浸かっているような絵を描いて。頭にはエクステの編んであるやつを付けてて…もう、全然わけ分からん。で、英之は犬か何かのぬいぐるみに紐を付けて出てくるんです。
仲宗根
もう、観た人は“?”だよ(笑)。

インパクト重視ということですか?

新里
そこでまず惹き付けるんですよ。
名嘉
でも、今まで気になってたんだけど、足元だから後ろのお客さんから見えないんですよ。
全員
ははははは。
新里
犬のぬいぐるみを連れながらも演奏は真面目にやってましたよ。
名嘉
あの時はとにかく“笑ってくれたらいいな”って思いながらやっていたんだと思います。

その想いは今のライヴの基礎になった部分でもありますか?

名嘉
やっぱりあると思います。“みんなで楽しかったってなれますように”というのは今も変わらないので。昔からそうだったんでしょうね。全然、練習そっちのけで面白いものを探しに行ってました。

ライヴハウスだけではなく、ストリートライヴもやっていましたよね。

名嘉
もともと高校卒業の時に思い出としてレコーディングしようってなったのが「ホワイトビーチ」って曲だったんですけど、「ホワイトビーチ」を録音した時に、そのスタッフさんが“ストリートをやってみないか”って言ってくれてストリートライヴに発展したんです。
新里
ストリートライヴは自分たちの原点ですね。北谷町の美浜に観覧車があるんですけど、その近くでストリートライヴをやっていて。自分たちの曲を披露するんですけど、お客さんはゼロからのスタートでした。観光客も多いんで、そういった人たちは用事があるからどんどん通り過ぎていくし。それをどう止めるかとかを考えてパフォーマンスしてましたね。最初は友達を呼んでいたんですけど、何回もやってると来れなくなったり…でも、口コミでどんどん人が集まり始め、360度全部囲まれてる状態にまでなって。ストリートライヴはステージがないからファンの方との目線が一緒というか、気持ちもより近くなれるっていうのがすごく好きなんです。だから、ファンのみんなとの距離感を近くしたいっていうのは今のライヴでもありますね。

そのあと、2002年には3,000人も集まった初のワンマンライヴを宜野湾海浜公園で開催するわけですよね。

名嘉
あれは2,800人ぐらい知り合いでしょ?
許田
多いなぁ~(笑)。
名嘉
冗談です!(笑) 『Departure』っていう1stミニアルバムができたから、それを記念してライヴしようってなって、宜野湾海浜公園でライヴをしたんです。持ち曲は少ないんですけど。7~8曲だったかな? ほんとに集まるのか、もう不安しかなくて(笑)。英之が今でも言うんですけど、すごい人が並んでたんで、“あれは絶対隣の会場のお客さんだ”って思ってたんですよね。でも、並んでる人は全部僕たちのお客さんで! 感動したよね、本当に。
仲宗根
楽屋の裏に窓があって、そこからお客さんが並んでるのが見えるんですよ。それで、メンバーに“みんな来て! もう並んでるよ!”って。高校を卒業したばかりのバンドが、こんなプロの人たちがやるような場所で…今となったら分かるんですけど、普通は7~8曲ぐらいであんなところでやらないじゃないですか。なのに、あんなでかいところで堂々とやってて。曲も足りなくて、どの曲かは忘れたけど2回やってるんですよ(笑)。でも、あの時は自分たちが今まで携わってきた人たちに感謝しましたね。それまでのストリートライヴは、毎日毎日本当に暑い中、1日3公演とかやってましたから。30分休んだらまたやって、30分休んでまたやって…って。あの時は意味も分からず、本当に広まってるのかな?とか疑心暗鬼になっていたけど、この時に“やってきて良かったな”って実を結んだという感じでした。

高校卒業の記念で作品を作り始めて、それがストリートライヴを経て広がっていったわけですけど、そもそもHYでやっていこうという想いはいつ頃から?

名嘉
その高校3年生の時でしたかね。みんな進路を決めていくんで、夏ぐらいにはもう話してたよね?
仲宗根
そうだね。ストリートを始めた前後くらいにはもう決めてたから、早かったんですよ。わりと早い段階で決まったから、高校3年生の後半からはめちゃくちゃ忙しくて。だから、夏休みも冬休みも全然なかったですね。ひたすら曲を作って、スタジオに入ってました。毎日学校が終わると、スタッフが下まで車で迎えに来てるんですよ。その車に乗って北谷町まで行って。私たちの地元がすごい遠かったので、その行き帰りも大変だったし、それしか覚えてないぐらい忙しかったですね。『Departure』のレコーディングもトントン拍子に決まっていって、眠る時間もないぐらい…普通、レコーディングってあんな詰めて録らないでしょ!って今なら思うんですけど(笑)。寝る時間も惜しんで朝方までという感じだったので、隠れて機材室で寝てました。私たち5人ってものすごく人見知りで、思ってることをメンバー以外にはあまり言うことができなくて。それでこの世界に飛び込んでるから、仮に相手が間違ってたとしても“これが当たり前なんだ”って思って飲み込んでしまうんですよ。だから、レコーディングの時も夜になったら眠たくなるのは当たり前なのに、“寝たいって言ったら怒られるんじゃないか”とか思っていたし、“レコーディングは朝から晩までやってるのがロック”みたいなイメージもあったから、隠れて寝て、誰かが機材室に来たと思ったらすぐ起きて、“ここでピアノの練習してました”みたいなふりをしてましたね(笑)。
宮里
隠れて寝てたのか(笑)。
名嘉
もう寝るしかなかったよね。
仲宗根
眠かった、本当に。だから、ドラムのバスドラの中に入ってる布団をこっそり持って寝たりもしてましたね。ピアノがドラムの部屋にいるはおかしいんで、その時は誰かが来たら“歌詞を書いてました”みたいな感じで(笑)。もう、酷い時はピアノを弾いてるふりをしながら寝てた。目をつぶって感情込めてるように(笑)。それくらいハードでしたね。
新里
俺はピアノの下に寝てたよ。
仲宗根
グランドピアノの?
新里
うん(笑)。
仲宗根
ははは。今思えば不思議なんですけど、当時のプロデューサーとか曲を見てもらってる方に、“アーティストはレコーディングをするってなったら歌詞は見ちゃいけないんだよ。これが普通なんだよ”って言われて。私たちはレコーディングが初めて…しかも、高校生だったから何も分からないで“えっ、できたばかりの曲を? でも、これがプロなんだ”と思って、必死に歌詞を見ないで歌ったんですよ。だから、歌詞を間違ってる部分があるんですよね。俊が書いた歌詞なんですけど、書かれてる歌詞と私が歌ってるのが違うんですよ。そういうのも今になれば面白いですけどね。

なるほど。他に“プロはこういうものだ”と思ってやっていたことはありますか?

名嘉
プロはどんな楽器でもすぐに弾ける。ドラムに関して言うと、自分がいつも使ってるドラム以外でも、すぐにバンバン叩ける。何でも、どんな場所でも、ドラムがあったら叩けるってことかな。これは最近、間違いだと気付いた。

最近(笑)。

名嘉
もちろんドラム自体は大好きなんで…でも、一番自分が大好きな音色で、自分が大好きなドラムで叩きたいっていうのがやっぱ強くなってますね。年々。
宮里
僕はとりあえずギターはチョーキングしておけばいいのかなと思ってた。
全員
ははははは。
宮里
最初の事務所がロック好きすぎて、そういうふうに染まっていったのかな。ギターも好きだったし。“レスポールにマーシャル”みたいな感じだったのかもしれないですね。

18年続けてきて、これを乗り越えたのは大きかったと思うことは?

名嘉
2ndアルバム『Street Story』(2003年4月発表)を出して、3カ月間一度も沖縄に帰らずに54本のライヴをして…スケジュールもめちゃくちゃ過密だったのに、数カ月後に次のアルバムを出すよって言われた時は絶望でしたね。休みたい!って(笑)。

その後はどうなったのですか?

名嘉
帰って来て1週間しないうちにスタジオに入ったのかな? そこから結構メンバー同士もギスギスし始めて…やっぱもう、自分の心にゆとりがないから。それを乗り越えて3rdアルバムの『TRUNK』(2004年7月発表)が生まれるんですけど、多分あれが一番きつかったです。

でも、バンドが波に乗ってきた時期でもあったのでは?

名嘉
すごかったですね。思い返すとすごい大変だったけど楽しさもありました。
仲宗根
あれがこの18年で一番きつくて、一番メンバーの仲が悪かった時期だね。
名嘉
そのまま解散の流れになってたら…って思うくらい、あの時は大変でしたね。

そういうこともありながら迎えた18周年に対してはどういう想いがありますか?

新里
保険を考える人たちだったら、きっとそこで終わってたと思うんですよね。“行けるところまでやってみよう、行こう!”で目の前にあることを一生懸命かたちにしていって、次が見えて、そこにまた打ち込んでいって…みたいな感じでしたね。
仲宗根
個人的には小さい頃からずっと“自分は歌手になるんだ”と思ってやってきていたので、このチームに出会った時に、60歳、70歳…自分たちが歌えるところまではやるんだろうなって思ったんです。“やるんだろうな”というか、“そうしなきゃいけない”っていう。だから、必然というか、そうでなくちゃ困るところはありますけど。だんだんこの5人の関係性とかも変わってきているから、それはこれからの楽しみのひとつではありますね。

OKMusic編集部

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