川村毅、新作『レディ・オルガの人生
』(ティーファクトリー)を語る~「
違和感を抱えながら今を生き抜く人た
ちへ届けたい」

かつて、身体的なハンデや特異な外見のある人たちを「フリークス」と呼び、見せ物にするショーがあった。2018年2月に日本で公開された映画『グレイテスト・ショーマン』でも描かれていたので、記憶に新しいところだ。その「フリークス」の仲間の一人だった髭女のレディ・オルガ。差別と偏見に苦しみながらも、世の中を生き抜いた彼女の生き方に胸を打たれた川村毅による新作舞台『レディ・オルガの人生』が、2018年9月29日から東京・吉祥寺シアターで上演される(10月8日まで)。
80年代の川村の戯曲を再考する企画シリーズの第二弾で、1987年にパルコ+第三エロチカで初演を上演した『フリークス』(作・演出・主演:川村毅)において取り上げたテーマに再び挑んだ。多様性を認めようと呼び掛ける一方、自己規制や同調圧力が強まる今のニッポン社会。「違和感を覚え、葛藤を抱えながらも生きる人たちに向けて書いた」と川村が語る新作には観る人をそっと抱きしめるような優しさと、個性を笑いに変える明るさに包まれている。作風と心境の変化について、川村に話を聞いた。

80年代の戯曲を再考する
--80年代に自分が書いた戯曲を再考する企画は今回が第2弾です。ご自身にとって80年代とは、どんな時代でしたか。
80年代は原始時代みたいでしたよ。皆が好き勝手にいろんなことをやっていた。まるで「無政府状態」。システムもルールも大してなくて、言いたいことを今よりもずっと自由に言えた気がします。
--ご自身の戯曲を再考する企画の第一弾は2017年に上演した『エフェメラル・エレメンツ』でした。これは、23歳の時に書いた『ニッポン・ウォーズ』(1984年初演)で扱ったアンドロイドと人間の共生の問題を再構築した作品でした。この企画シリーズにはどんな意図があるのでしょう。
80年代を再考することを、懐かしさだけで捉えられると困る。それもいいけれど、単にリバイバルの懐かしさだけではなくて、前を見ようと。昔の作品を再現したいわけではないんです。自分が80年代に取り上げた主題が、今の社会において完結していない。だから、もう一回やらなければ、と思ったからです。アンドロイドの問題にしても、AI(人工知能)まで科学技術が進んでいる。自分は生きているわけだし、もう一回やる責任があると思っています。
--87年に渋谷の旧パルコ・スペース・パート3で初演された『フリークス』は、32年制作・公開された同名の米国映画(トッド・ブラウニング監督)を換骨奪胎して書かれたそうですね。この映画はサーカス一座の「フリークス」たちによる復讐劇で、当時人気を呼んでいた実在の「フリークス」が出演。公開されると失神者が出るなど、混乱と物議を招いたために上映禁止となり、その後、30年近く封印されてきた問題作ですね。
カルト映画と呼ばれていてね。80年代になってようやくミニシアターで見られるようになったわけ。僕も観て、「ああ、面白いなあ」と影響を受けて、舞台の題材にしたいと思ったんです。当時、「フリークス」とは何か、観念的にも文学的にも美学的にも多く語られた時代でした。いろいろな言説があって、「フリークス」がキーワードになっていました。
--川村さんが26歳だったときに書き下ろした戯曲が『フリークス』です。率いていた劇団「第三エロチカ」が、パルコと提携して制作したこの作品について紹介してください。
あらすじはね、東京の百貨店グループ社長が、イタリアから人気ファッション・デザイナーを招いて、ショーを開く。幕が上がると、モデルは全員「フリークス」。世評の反感を買い、騒動が起きるという話です。ドタバタの演出でしたね。
--当時の反響はいかがでした?
第三エロチカにとって、エポックメーキングな作品でしたね。第三エロチカとしての在り方と、作品の内容という二つの側面から、内外で物議を醸しましたから。第三エロチカはアングラの若手の旗手という位置づけだったので、パルコ進出に対して反発が根強かった。それまでは『新宿八犬伝』をはじめ、新宿の猥雑でアナーキーなイメージだったのに、渋谷のパルコというおしゃれな商業劇場に行くのかってね。ファンたちから「裏切られた」と言われたり、騒がれたりしました。二つ目は、「フリークス」が論議を呼ぶ題材だったので、賛否両論が一番激しかった芝居じゃないかな。
僕としては、やりたいことをやったまでなんだけど。終演後もいろいろな賛否が沸き起こりました。僕も血気盛んな年頃でしたから、劇評に反論して結構嫌われましたね(笑)。
--賛否の内容はどんなものだったのですか。
作品に何が書かれているかということよりも、表層的な議論だった気がしますね。僕の中では賛も否も双方から理解されなかったという苦い思いが残りました。
--今、振り返ると、この作品をどう分析されますか。
それまでの戯曲は過剰な文体だったけど、『フリークス』では一転、水晶体のような透明感を出そうと書いたんだね。だけど、アングラ色でやろうとして雑多な演出にしていたね。役者たちも急にスタイルを変えられるわけがないから、ワァワァやっていて。戯曲の本質が十分伝わらなかった。
レディ・オルガの生き方に共感して
--それから31年が経って、もう一度「フリークス」を題材に、髭の生える女性を主人公に据えて新作に取り組もうと思ったきっかけは何ですか。
2、3年前に、米雑誌『ニューヨーカー』の記者だったジョゼフ・ミッチェルが30~40年代にニューヨークで暮らす市井の人々を取材したルポルタージュを読んだのがきっかけですね。レディ・オルガは生まれつき、内分泌腺の異常で髭が生えていた。人と違う外見のために差別や排除、偏見に苦しみながらも、サーカス一座のサイドショーの花形スターとして活躍し、4度結婚をした。ミッチェルがインタビューをしたときには半ば引退していて、マンハッタンのアパートメントで暮らしていました。自分の境遇を受け入れて、生きづらい世の中を生き抜いてきた。半生を振り返る静かな語り口、その普通さに、僕は感動を覚えました。人との違いにモヤモヤを抱えて今を生きている人たちにも通じるものがあるのでは。この視点で「フリークス」を描くことができれば、きっと共感を持って受け止めてもらえる。31年前に伝えきれずに胸底に沈殿していた思いを、新たな新作として書けるんじゃないか、と思いました。
--『グレイテスト・ショーマン』にも登場して「ThisIs Me」を熱唱している髭女が、レディ・オルガですか?
あの映画は、興行師P・T・バーナムが生きている頃の話なので、サーカス一座の草創期を描いています。レディ・オルガは、もっと後の時代にバーナムのサーカス団で活躍した人です。でも、今回の戯曲の初稿を書き上げた後で、『グレイテスト・ショーマン』が公開されたのでびっくりしましたよ!
当時のサーカス一座に髭女とピエロは欠かせない存在だったので、レディ・オルガは何代目かの髭女だったんでしょう。彼女は、映画『フリークス』にも出演しています。
--今回の『レディ・オルガの人生』の主人公は、現代に生きる、ごく平凡な独身の女性会社員です。ただ、立派な髭が生えている。そのことを隠して静かに生きようと思っていたが、ある日、サーカスのショーを見て、自分も舞台に出たいと思ったのをきっかけに物語が展開していきます。主人公をこのように設定したのはなぜですか?
特別な所にいるのではなくて、共同体の中で「何か違うな」と思いつつ、自分を出せなくて鬱屈している人って多いんじゃないかな。会社などでなにやかやとストレスを抱えている人たちに向けて書きたいと思ったので、主人公はごく普通の女性会社員にしました。特別な場所だと特別な話になってしまいますから。
--戯曲を読ませていただいたのですが、劇中、意を決して髭を剃らずに出社した主人公と同化しようと、同僚たちが付け髭をする場面が印象的です。 同情と理解を示そうとして、逆に壁を感じさせるエピソードです。
善意の悪意というのかな。それが一番厄介なんじゃないかと思って。差別や排除をしてはならないという人権意識が、80年代と比べて格段に高まっているけど、逆にねじれ曲がって、悪意が進化しているんじゃないか。目に見えない排除の仕方が、21世紀に入って進化している気がしてならないんです。
--2016年に神奈川県相模原市で起きたやまゆり園殺傷事件に象徴されるように、大っぴらに差別できないからこそ、悪意がより先鋭化しているのでしょうか。
差別などをなくそうとすればするほど、影の部分が深く潜って凶悪化しちゃうんだね。僕は外界に対する違和感から芝居を始めた人間。20代の頃はその違和感を、加害者側に肩入れして、アウトローというか、ヒロイックな犯罪者像を書いてきた。でも、年を取るにつれて、被害者やその家族など周囲のことも考えるようになった。それに現実に無差別殺人が増えるなど、犯罪がどんどん凶悪化している。違和感から世界をぶち壊そうというのが、87年の『フリークス』だったけど、今はそれだけでは済まされない。自分自身、生き延びてきたから、言いっ放しというわけにもいかない。少しは責任を取らなきゃというところかな。結論は出ないけれど、こんな風に社会と折り合っていけたらという願いを、『レディ・オルガの人生』に込めました。
--『レディ・オルガの人生』に、主人公をそっと励ます謎の老女が登場します。老女にも髭が生えていて、「だいじょぶだよ。顔をしっかり上げて風に吹かれてりゃ、ひとりきりでもだいじょうぶ」と声を掛けます。このせりふを読んで、思わずほろっときてしまいました。
第三エロチカの頃は、お客さんとどう対決するかという感じでやってきた。でも今は、模索の時期を経て、お互い寄り添い合って、頑張って生きて行こうという感慨なんだよね。
「一粒で2度おいしい」舞台を味わって
--キャストについて紹介してください。主人公は、映画や舞台で活躍している渡辺真起子さんが演じますね。
髭女の話を着想したときに、真起子さんのことがふっと出てきた。体制にあまり縛られず、自分の足で歩んでいる生き方がいいなあと思って。当初は若いメンバー中心で作ろうと思ったけど、構想が進む中で、群像劇ではなくて、中心にいろいろな経験を経てきた強い女性がいてほしいと思った。
--謎めいた老女役は、蘭妖子さんです。
彼女は体から歴史性を発散させている。これまで演じてきた舞台の重み、生きてきた時間の蓄積がにじみ出ている。寺山修司の天井桟敷の女優だったこともあり、見せ物小屋のエッセンスが詰まっている。異次元の存在ですよ。
--今回の舞台でも、その独特の存在感を発揮してくれそうですね。それ以外のキャストはどうですか。
その他のメンバーは、ほぼオーディションで選びました。起用の決め手は「濃い人」。演じるのは見せ物小屋の人たちだからね。自分で見せたいものを、確実に持っている人を選びました。
劇中、コントみたいなサイドショーも入ってくるので、それ自体楽しんでほしいですね。本筋とはまた別に、見どころがある。「一粒で2度おいしい」を味わってください(笑)。混沌としてワイワイした一座になって、全員プレーで作っていきたい。
--8月27日に吉祥寺シアターで開かれる『フリークス』リーディング上演とスペシャルトークについてお話しください。
初演の時は、『フリークス』の芯の部分が、演出と演技で邪魔をして、十分に伝わらなかったところがある。リーディングだと、まさに言葉だけを明晰に観客に届けられるので、何が書きたかったのかよく分かると思います。トークでは、彩の国さいたま芸術劇場の業務執行理事兼事業部長をしている渡辺弘さんも登壇します。彼は80年代から演劇ジャーナリストとして活躍していました。『フリークス』周辺の演劇状況を語り合おうかなと考えています。特に若い人たちに聞いてもらいたいです。
--上演を通じて、若い人たちにどんなことを伝えたいですか。
計算しなくても生きていけるよってことですよ。特に芝居をやっている若者には、演劇は原始的な作業だから、もっと自分の好きなようにやった方がいいんじゃないかと言いたいね。今、演劇界には、システムやレールに乗っからなきゃ、芝居を作れないという発想が広がっているように感じられる。でも、小器用に演劇をやる必要はないと訴えたいかな。僕自身、山ほど不器用にやってきた自負があるけど、何とか生き延びてこられたから(笑)。
取材・文=鳩羽風子  写真撮影=安藤光夫

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