INTERVIEW / Sen Morimoto 「真実は
何かの中間にしか存在しない」――〈
88rising〉のフックアップにより注目
を集めるSen Morimoto。その出自に迫

今年3月に公開された「Cannonball」のMVで、一躍メディアからの注目を集めることになった京都出身、シカゴ在住のマルチ演奏家、Sen Morimoto。
同MVは、アジア圏のカルチャーを世界へと発信する〈88rising〉より発表されたこと、さらにはそのポリリズミックなリズムとどこか牧歌的なメロディが融合するユニークな楽曲の魅力も相まり、ジワジワとその認知度を拡大。その勢いのままに、5月には1stアルバムとなる『Cannonball!』をリリース。緻密な楽曲構成と、洗練されたソングライティング・センス、そして時には遊び心のようなユーモアも感じさせる本作は、海外メディアでも高い評価を獲得している。
そんな彼が今週末開催の“SUMMER SONIC 2018”にて待望の初来日公演を行うとのことで、今回Spincoasterではメール・インタビューを敢行。一見彗星の如く登場したかのように思えるSen Morimotoとは一体何者なのか、その出自を軸に様々なことを訊いてみた。
Interview by Takazumi Hosaka
――あなたは京都出身とのことですが、いつ頃アメリカへ渡られたのでしょうか? 日本での記憶はありますか?
Sen:僕は赤ちゃんの頃にしか日本に住んでいたことはないよ。僕の家族は若い頃によく日米間を行き来していたんだけど、僕だけ兄弟の中で唯一日本の学校に通ったことがないんだ。だから、僕の日本語のボキャブラリーはすごく少ない。英語しか話せないから、歳を重ねるにつれてアメリカの日本人学校に通うことが厳しくなってきて、父に話したら、6歳のときにもう一度日本に連れてってくれたんだ。同い年の子どもたちと触れ合って、日本の文化に浸ったことで、すぐに日本人になることができたよ。その旅行はすごく効果的だったみたいで、それ以来、家族のルーツの重要な部分を失わないように、僕を年に一度日本へ送り出してくれるようになったんだ。
――10歳の頃からサックスを演奏していると伺いました、あなたの両親も音楽活動をされていたのでしょうか?
Sen:確か、学校の勉強以外に何か習い事をやらないかって母から聞かれたんだと思う。僕はとてもシャイで、スポーツもやっていなかったし、学外の活動も何もしていなかった。だから、たぶん母の問いに対して、半ばランダムにサックスをやるって言ったんだと思う。今考えてみると、たぶんそれは(『シンプソンズ』の)リサ・シンプソンが何かしら関係していたと思う。僕は『シンプソンズ』が大好きで、特にリサとブリーディング・ガムズ・マーフィーがブルースを演奏するエピソードが好きだったんだ。
――ジャズの教養はどのようにして身につけられたのでしょうか?
Sen:何人かのサックスの指導者がいて、最初の先生・Brian Benderは僕にスケールと即興演奏を教えてくれた。最初からジャズやブルースを中心に勉強していたんだ。逆に、クラシックのトレーニングはあまりしていなくて。2番目の先生・Frank Newtonは僕の技術、読譜、ホーンの理解に焦点を当ててくれた。
あと、13歳くらいの頃に、マサチューセッツ州にあるThe Neville BrothersのCharles Nevilleのマスター・クラス(公開レッスン)に行ったんだ。それは本当にどこにでもある会議所みたいなところでやってて、友達のKai Matsudaと一緒にそこでジャムをした。そしたら、彼(Charles Neville)が僕らに「プライベート・レッスンを受けないか?」って言ってくれて。それから僕とKaiは毎週土曜日に彼の家に行くようになって、そこで僕らはソロの練習やジャズの歴史などを教わった。彼は今年亡くなっちゃったんだけど、ホーンを通して感情を伝えること、歌詞を理解し、メロディとトーンにその意図を反映させること、他にもとにかく多くのことを彼から学んだよ。
――自身で楽曲を書き始めたのはいつ頃からですか? また、それをオンライン上にUPし始めたのは?
Sen:自分の曲を書き始めたのは、確か13歳か14歳の時。親友のIsaac Pearlと一緒にバンドを始め、Myspaceeにロック・ソングをいくつかアップロードしたんだ。それが自分の音楽を世界に発信した初めての経験だね。
――2014年に西マサチューセッツからシカゴへ移ったとそうですね。住む土地や環境は、自身の音楽に変化を与えましたか?
Sen:シカゴに引っ越して、主に自分が孤立したことが音楽に影響したと思う。僕が最初にシカゴに来た時は、当然だけど友人もいなかった。僕は古くからの音楽友達がいない状況で、他人の指示やディレクションもない中で自分のサウンドを見つけなければいけなかった。今となっては、これは非常に重要なステップだったと思うけど、やっぱり当時は寂しかったよ。
――シカゴに住んでいて、実際に感じるシカゴの音楽コミニュティの特徴、魅力を教えて下さい。
Sen:シカゴには素晴らしい音楽コミュニティがある。NYやLAのような都市に比べると、確かに産業や機会は不足していると思う。でも、その分シカゴの人々は、自身の技術、手腕を磨くことや、フレンドリーで愛のある競争を行うことで、お互いに高め合うことに専念しているんだ。
――〈88rising〉から「Cannonball」のMVが公開された経緯を教えて下さい。また、その時の反響はいかがでしたか?
Sen:映像作家で日本に住んでいる兄弟のYuyaと一緒に「Cannonball」のMVを作ったんだ。僕がNnamdi OgbonnayaとGlenn Curranと共に運営しているレーベル〈Sooper Records〉の作品として、色々なところにこのビデオを送って、そこで熱狂的に反応してくれたのが〈88rising〉で、僕らもすごく興奮したよ。それから〈88rising〉との関係を始めたんだけど、長い間音楽やビジュアル作品をリリースしていなかったから、レスポンスをもらえるっていうこと自体がエキサイティングなことだった。しかも、それが今まで自分たちが取り上げられたこともないくらい大きなプラットフォーム、〈88rising〉だったんだから。僕が望んでいた通り、「Cannonball」のMVは多くの人々が興味を持ってくれたり、もしくは混乱してくれたように思う。
――アメリカを拠点に音楽活動をしていくなかで、アジア系であるというアイデンティティを持っているということは、あなたのキャリアにどのような影響をもたらしていると思いますか?
Sen:今、アメリカにおけるアジア系アメリカ人アーティストを取り巻く環境は、非常にエキサイティングなことになっているよ。歴史的には、アメリカのメディアでアジアの表現が取り上げられることはあまり多くなかった。特に、経験を正確に描写するという点ではね。でも、最近ではアジア人やアジア系アメリカ人の声がより多くのオーディエンスに届くようになってきて。その変化の一部になるのは素晴らしいことだよね。何もかもがハーフになるっていうのは本当に興味深いよ。ふたつの面があると、一方では満足できたり、また一方では満足できなかったりすると思うんだよね。
もし僕に対して、アジア人の友達、もしくはアジア人アーティストであることを望む人がいるならば、僕は自信を持って自分をアジア人と言うよ。僕はその瞬間、確かにアジア人になる。だけど、誰かが会話の中から小さなポイントを見つけて、その違いを証明しようとすると、今度は突然(彼らにとって)「ほとんど白人(basically white)」になる。真実は何かの中間にしか存在しないと思う。それはそこに住んでる僕らを除いて、誰も作ることのできないポイントにあるんだ。
音楽について話す度に、自分の民族性について説明したりしなければいけないっていうのは、時々億劫にもなるけど、それが系統と文化と社会の変化をドキュメントすることに関して、対話の重要な部分を占めていることも理解してる。
――あなたの作詞方法について教えてください。どのような物事からリリックへのインスピレーションを受けているのでしょうか?
Sen:歌詞は個人的な経験を部分的に抽出して書いている。時には、自分が感じていることの核心が何なのかを突き詰め、その感情を具現化した自分の人生の外の物語として書いたり、他にも自分が感じていることをそのまま言葉にしてみたりもする。ただの愛や何か特定の状況について書くのではなく、その瞬間に走っている列車のような、その感情の一面に焦点を当てたり、あるいはひとつの問題における両面的な対話に焦点を当てているよ。
――1stアルバム『Cannonball!』の制作にはいつ頃から取り組まれていたのでしょうか? また、収録曲は全て最近書かれたものですか?
Sen:僕は長年、様々なスタイル、アレンジ、キャラクターで音楽を発表してきたけど、『Cannonball!』は間違いなく初めてのフルレングス・アルバムなんだ。しかも、それは自分自身を投影した作品だから、ある意味では自分にとっての最初のレコードとも言える。アルバム自体は2年かけて作ったから、中には1年以上かけて完成させた曲もあるよ。
――アルバム『Cannonball!』には日本語を使った楽曲もありました。あなたとコミュニケーションを取りたいと思う日本のファンも多くいると思いますが、日本語はどの程度喋れるのでしょうか?
Sen:日本語は全然喋れないんだ。さっきも話したとおり、日本には何度も行ってたんだけど、日本語のボキャブラリーは残らなかったんだよね。ただ、大部分理解することはできる。赤ちゃんのようにしか喋れないけど、大丈夫。勉強させてもらうつもりで行くから、色々と質問してほしいよ。いつか長期間日本に滞在したいと思ってるから、もっと読み書きできるようにならないとね。
今は日本語をラップみたいに羅列していくので精一杯なんだ。曲の中で英語と日本語を切り替えてるのは、ちょうど実際に僕が話す感じにとても近いはずだよ。
――アルバム『Cannonball!』に参加しているReason Being、KAINAとはどのように出会ったのでしょうか?
Sen:Reasonとはイーストコーストのショーで知り合った。彼はボストンに住む才能溢れるラッパーで、長年一緒に曲を作ったりしている。KAINAとはシカゴのHungry Brainっていうヴェニューで知り合って。Nnamdi(Ogbonnaya)のソロ公演を観るために行ったんだけど、その後に観たKAINAのバンド・セットでふっ飛ばされてね。ちょうどその時、僕はフル・バンドで演奏する初めてのショーのために一緒に演奏してくれるミュージシャンを探していたから、彼女にバック・シンガーをお願いしたんだ。それ以来、僕らは最高の友人であり、コラボ相手だよ。彼女の最新プロジェクト『4U』の制作も手伝ったし、一緒に新しいプロジェクトにも取り組んでいるんだ。
――以前、他のインタビューで、「どこかの森にある小さなスタジオ付きの家に住んで、そこへ人々が来て、音楽を作ったり、夕食などを作ることができれば理想的」と仰っておりましたが、今現在は、将来どのような形で音楽活動に取り組んでいきたいと考えていますか?
Sen:未だにそれが僕の究極的な目標だよ。シカゴで音楽を作り続けて、若者に対してもっと音楽的な機会を与えることができたらいいなって思ってる。そして、それができたら、後は引退して森の中の隠れ家でひっそりと暮らしたいな。
――日本でライブを行うのは初めてだと存じます。 日本にいるファンへメッセージを頂けませんでしょうか。
Sen:いつもサポートしてくれてありがとう。日本に行けることが決まって、すごく興奮してる。もっと頻繁に戻ってこれることを望んでるし、色々な人に会いたいよ。
【イベント情報】

“SUMMER SONIC 2018”

日程2018年8月18日(土)/8月19日(日)
会場:
東京 ZOZO マリンスタジアム&幕張メッセ
大阪 舞洲 SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
■オフィシャル・サイト: www.summersonic.com(http://www.summersonic.com/2018/)

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