【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#59 歌
手・雪村いづみの言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

あの借金のおかげで今の私があると思っ
ているの

『女性自身/元祖”3人娘”雪村いづみ79「スタアは消えゆくもの』(web版/2016.5.12配信)より

2016年5月18日発売の『女性自身』において、漫画家・桜沢エリカが昭和の華やかな芸能界を描いたコミック『スタアの時代』(作・桜沢エリカ)の連載が始まった。今回の名言は、その刊行を記念して企画された、桜沢と雪村いづみの対談からの抜粋である。雪村が15歳の頃、母親が病気に罹り生活苦となったことが芸能界入りのきっかけだと明かされた。スタアとなったあとも、母親の散財により多額の借金を背負う。桜沢は、雪村に「『スタアの時代』でも、身内の借金に悩むスタアが登場しますが、昭和の芸能界で活躍された方たちからは、いまの芸能界とは違うパワーのようなものを感じます」と語りかけている。そして、雪村は「スタアは生まれ、輝き、消えていくものなんじゃないかしら」という言葉で、スタアの真意を表現した。

雪村いづみ(ゆきむらいづみ)
1937年3月20日生まれ、東京都目黒区出身。1952年、プロ歌手として初舞台を踏む。1953年、『想い出のワルツ』(テレサ・ブリュワーのカバー曲)でビクターからレコードデビュー。約20万枚の大ヒットを記録し、戦後最短でスタアとなり「世紀に一人のシンデレラ」と呼ばれた。その後も「青いカナリヤ」、「オウ・マイ・パパ」、「はるかなる山の呼び声」、「マンボ・イタリアノ」、「チャチャチャは素晴らしい」など、次々とヒットを飛ばし、江利チエミ美空ひばりと共に「三人娘」と称され不動の地位を築く。「三人娘」が主演した東宝映画『ジャンケン娘』が空前の大ヒットを記録する。女優としても多くの映画に出演し高い評価を得ている。イラストレーターの中原淳一やデザイナーの森英恵などに見出され、ファッションモデルとしても活躍。1961年には、『LIFE』誌において日本の芸能人では初めて表紙を飾った。雪村の美声は、現在も衰えることなく現役歌手として活動を続けている。

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