「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」にみる、ボン・ジョヴィの野心と才覚

「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」にみる、ボン・ジョヴィの野心と才覚

「リヴィング・オン・ア・プレイヤー
」にみる、ボン・ジョヴィの野心と才

ニュージャージー出身のロックアーティストといえばブルース・スプリングスティーンを思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし2015年に地元紙app.comが行った人気投票において、ジョン・ボン・ジョヴィは僅差ながらもスプリングスティーンを凌ぐ支持を得ました。
もちろんボン・ジョヴィの人気は地元だけでなく世界的に不動の地位を確立しており、アルバムのトータルセールスは2016年時点で1億2000万枚以上と言われています。
今回はそんな彼らのブレイクスルーとなったアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』からのシングルヒット、「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」の歌詞から、その成功の要因を探っていきます。
スプリングスティーン的モチーフの「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」
「Livin'On A Prayer」の歌詞 Bon Jovi
一見すると、まるでブルース・スプリングスティーンの縮小再生産のような歌詞です。
ボン・ジョヴィとおなじくニュージャージー出身のブルース・スプリングスティーンはこのような労働者層の若者の夢と現実をモチーフとすることで、圧倒的な共感と大きな成功をおさめていました。
しかしこの曲は、偉大な地元の先輩の凡庸な模倣とは言い切れません。そこにはボン・ジョヴィの熱い野心と類まれな才覚が隠されています。
ボン・ジョヴィの野心と才覚
ボン・ジョヴィはこの曲を含むアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』の制作にあたって、バンドを成功へと導くためにさまざまな手を打ちました。
一つは、プロデューサーのブルース・フェアバーンの招聘、もう一つはデズモンド・チャイルドという外部ライターとの共作を受け入れたことです。
彼らのブラッシュアップによって、ボン・ジョヴィはあの特A級のキャッチーさを手に入れることができたと言っても過言ではありません。
この人事はどちらもボン・ジョヴィ自ら手配したものといいます。つまり彼らは自らの素質を最大限に拡張する手段を、自らの手で探し当てたのです。
こうした彼らの鋭い才覚こそが、当時乱立していた同タイプのハードロックバンド群と大きく画するところでありました。
そうした一群ではまず歌われることのない、シリアスな労働者層についての歌詞を書いたのも然りです。むしろ同郷の成功モデルとして、あえてスプリングスティーンに倣ったとみてもよいかもしれません。
とは言え、歌詞のわりにはサビのメロディーに悲壮感が微塵も感じられないのがこの曲の大きな特徴として挙げられますが、このあたりがスプリングスティーンとの大きな違いであり、彼らのユニークな魅力でもあります。
そんな彼らの試みは奏功しました。先行シングルの「禁じられた愛」、そして本曲は立て続けにNo.1ヒットとなり、アルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』はアメリカだけで1200万枚、全世界では2400万枚以上のメガヒットとなり、その後の彼らは単なるハードロックバンドにとどまらない地位と名声を得て現在に至るのは、周知のとおりです。
「イッツ・マイ・ライフ」で振り返る「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」
ところで、2000年発表の「イッツ・マイ・ライフ」の歌詞をみると、捉えようによっては「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」の意味するところを振り返っているようにも思えます。分かりやすいところでは以下のライン。
またそのほかにも、スプリングスティーンよりさらに偉大な同郷の大先輩、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」の引用があります。
歌詞全体も言ってしまえばシナトラの「マイ・ウェイ」や「ザッツ・ライフ」のボン・ジョヴィ版といった趣きです。
その意味で「イッツ・マイ・ライフ」は、スプリングスティーン風だった「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」と構造的な相似関係にあると言ってよいでしょう。
最後に「イッツ・マイ・ライフ」の冒頭の歌詞を抜粋して終わります。
ボン・ジョヴィがあのとき「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」に込めた、そのメッセージの真意がここで明かされているように思えてなりません。
「It's My Life」の歌詞 Bon Jovi
TEXT:quenjiro

UtaTen

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