金属恵比須・高木大地の<青少年のた
めのプログレ入門> 第9回 “西上作
戦”珍道中(ロバート・フリップ風で
神戸ツアーの舞台裏・後編)

我がプログレッシヴ・ロック・バンド「金属恵比須」は8月29日に4年ぶりのフル・アルバムを発表することとなった。題して『武田家滅亡』。
NHK『英雄たちの選択』などにも出演する大人気の歴史小説家・伊東潤氏の同名小説(角川文庫)をもとにつくりあげられた「サウンドトラック風」のアルバムである。しかも作詞は、著者ご本人の伊東潤氏。こんな贅沢な“本格歴史プログレッシヴ絵巻”は他になかろう。
詳しくはこちらの記事を参考のこと。 ちなみに下記は戦国時代の名門「甲斐武田家」ののぼりをふんだんに使用したプロモーション・ビデオである。
【動画】金属恵比須『武田家滅亡』PV

そのレコーディングの最中、神戸でのライヴが決定し、レコーディングを中断してまで関西に赴くこととなった。しかし頭は武田家のことばかり。よって、武田信玄も実現しなかった、「武田家ののぼりを引っ提げて畿内への侵入」ということをテーマにライヴを行なうことにした。名づけて「西上作戦」(前編はこちら) 。後編となる今回もまた、キング・クリムゾンの解説書のような「ロバート・フリップ風」日記で。
●4月29日 8:00 神戸市三宮ホテル~散歩
神戸牛をたんまり食べた翌日なので散歩でもしようかと。神戸の中華街・南京町を練り歩く。しかし、まだ朝。コンビニ以外空いている店はない。コンビニで『神戸新聞』を購入。筆者は旅先のご当地新聞を買うのが趣味である。
新聞第1面に南京町の記事。どうやらこの町、「生誕150年」だそうで。明治元年ではないか。こういったことを知られるのもご当地新聞のいいところ。
そして第26面には、「複合イベント078、神戸熱く」という記事。我々が出演するライヴ「078(ゼロ・ナナ・ハチ)」について大きく取り上げられているではないか。「浅野忠信さんバンドも出演、各会場に笑顔と歓声」とも載っている。とんでもないイベントに出ることになってしまった気がして、今更冷や汗。金属恵比須も「会場に笑顔と歓声」を湧き立たせることはできるのだろうか。
●4月29日 10:00 大丸神戸 地下1階 LE MONDE・DU THE (ル モンド・デュ テ)
ホテルの前の大丸神戸に。紅茶の店があるということで立ち寄ってみる。土産として「ダージリンティーバッグ 10P入」を購入。お店の一番人気だそうだ。瀟洒な店内で、開店直後でもお客がひっきりなしに来る人気店だった。
●4月29日 11:00 生田神社
ドラムの後藤マスヒロと、スタッフの栗谷兄(ベースの栗谷の兄)とホテルに集合し、機材車で本日のライヴ会場・チキンジョージへと向かう。12:00集合だったのだが、早く着いたので、隣にある生田神社を参拝。
詳しい縁起はわからないが、とにかく縁結びの神社なのだそうだ。残念ながら(?)既婚の筆者には縁がない。すると栗谷兄が、「今日いらっしゃるお客さんとか、協力してくれてる会社さんとの縁も結んでくれるんじゃない?」と提言。栗谷兄、見事に生田神社と筆者の縁を結んでくれた。ということで、縁結び御守を購入。ギターに装着。
参拝後、12:00までにはもう少し時間の余裕がある。12:00以降は怒濤のスケジュールなので、ここで早めの昼ごはんとしようではないか。昨日の夜は、栗谷兄に牛肉をごちそうになってしまった。であれば返すのが恩義だろう。そこで筆者は提言。
「100%ビーフをお返しするよ」
ハンバーガーショップに直行。栗谷兄は苦虫を潰したような顔をしていたが、時間がない。ハンバーガーをごちそうしたことで、前日夜の神戸牛は見事に相殺された。
●4月29日 12:00 チキンジョージ
宮嶋は別の車で集合。栗谷と稲益は飛行機で朝東京を出発し、神戸牛を嗜んだ後に集合。
機材搬入を開始する。機材を多く使うプログレ・バンドにとって、搬入は最も厭な作業(パートI)なのである。
今回は遠征ということで、いつもよりは機材が少なくした。ギターの本数は前回比▲1本、キーボードの台数は前回比▲1台。しかし、「西上作戦」の最も重要なアイテム「武田菱のぼり」5本のフルセットがある。これが意外とかさばる。よって、いつものプログレ・バンドと大差はなかった。
搬入→設営(楽器のセッティング、田武田菱のぼりの設営、物販の棚卸)を終わらせ、13:00にはインストア・イベントの会場「HMV三宮VIVRE」に行かねばならない。かなりタイトで大慌て。なによりのぼり5本は必要以上に空間を占拠してしまう。畿内に侵入し、まずはのぼりで陣取り合戦――なんて余裕のあることなんていっていられない。ライヴハウスにも他のバンドさんにも迷惑極まりないバンドである。
●4月29日 13:00 HMV三宮VIVRE
陽が燦々と輝き、汗はしとど流れながらも小走りでHMVに到着。
VIVREの3階にHMVはある。店内の雰囲気は「前編」 を参照されたい。
楽屋に通され、舞台と機材を確認。思ったより大きなステージで、早速ステージの設営に。東京から連れてきたHMV record shopのマスコットキャラクター「竹野くん」を養生テープで机に貼りつけて準備完了。メンバーはネタ探しも兼ねて店内で買い物を始める。筆者は柴咲コウ『野性の同盟』のシングルをゲット。
●4月29日 14:00 HMVインストア・イベント「後藤マスヒロ解体ショー」
30名を超えるお客様がいらっしゃる。
この日の企画名は「後藤マスヒロ解体ショー」。“伝説のドラマー”後藤マスヒロが過去に渡り歩いて軌跡を辿り、当時のエピソードを語ってもらうというもの。冒頭、マスヒロがお客様に椅子を配り、急遽立ち見から椅子ありのイベントに変更となったハプニング以外は予定通り進んだ。取り上げた曲は以下の通り。
1. 21世紀の精神異常者(GERARD)
2. 人間椅子倶楽部(人間椅子)
3. 都会の童話(人間椅子)
4. 不眠症ブルース(人間椅子)
5. 扇動(頭脳警察
6. とうせんぼ(内藤やす子
7. 8月(後藤マスヒロ)
8. MYN(後藤マスヒロ)
このとき、筆者は司会進行役だったのだが、笑いの文化の違う関西での初MCということで、相当緊張してしまい、何をしゃべったか記憶にない。PONTAカードをHMVで利用するとオトクだと宣伝したことぐらいしか覚えていない。唯一、東京のライヴではあまり見かけないような若年層の女性がいつもより多かった記憶がある。のちに稲益に、「若い女性多かったねェ」と話したぐらい鮮烈な出来事だった。これはもしや生田神社の縁結び御守を早速発揮できる機会か? しかし稲益は冷静にこう答える。
「うちらのあとにあったアイドルのイベント待ちのお客さんだよ」
かくして大盛況でイベントは終了し、その日限定の特典も完売。宮嶋が楽屋にバンド名のサインを。どこかで見たロゴだが……まあいいや。
再び走ってチキンジョージに戻る。とにかく暑い。
●4月29日 15:15 神戸チキンジョージ リハーサル~物販準備
とんぼ返りでライヴハウスに戻り、息切れしながら演奏のリハーサル。それから物販の売り場作り。金属恵比須は売場づくりにもこだわる。稲益が物販主導。ちなみに、LP『ハリガネムシのごとく』は皿立てを使って目立たせている。チキンジョージ裏手に東急ハンズがあることに気づいた稲益がこのときに買ってきたものである。稲益曰く、「ライヴハウスの近くに東急ハンズあるの便利だわ」――否、前々から準備しようよ。
ふと一息つこうとトイレに入ったら、チキンジョージのフライヤが貼られていた。人間椅子のロゴが。4月3日にライヴを催したようだ。人間椅子に憧れて22年。とうとう同じ紙面に載ることができた。感慨深くなってしまった。トイレで。
●4月29日 17:00 取材
イープラスの取材を入れていただき、『朝日新聞』関西版の演劇欄を担当する演劇ライター・吉永美和子さんと初顔合わせ。
ローリング・ストーンズのTシャツを着こなすロックなお方で、「私は、どちらかというとピンク・フロイド派」なんて、音楽の雑談をしまくって30分の取材は終了。好きなことを語り合いまくっただけで本当に大丈夫だったのか。しかしその中から見事に言葉を選んでいただき、素晴らしい記事にしていただいたのはご存じの通り。
「いらっしゃい、金属“えべっさん”! あなた方は日本プログレ界の劇団☆新感線だ」という斬新な演劇目線でのレポートは実に新鮮で瞠目だ。
●4月29日 17:30 楽屋(感動の再会パートI)
共演するバンド「荘園」のギタリスト西尾ヤスヒロ氏と会話する。
「おお、大地君、ホント久しぶり。ちょっと痩せこけた?」
実は2001年ごろ、荘園と初代金属恵比須はシルバーエレファントで対バンを行なったことがある。15年以上も前のことで、筆者は大学生だったころだ。今は38歳。そりゃ社会に揉まれて「痩せこけた」りもするのだが、とにもかくにもまた共演するなんて夢にも思っていなかったので感動の再開だった。ビール片手に豪放磊落といったイメージは全然変わっておらず、嬉しかった。
「西尾さんは変わってないじゃないですか。そして荘園さんの音楽も変わってなくて安心しました」
「だってあのときからやってる曲も変わらんし(笑)」
と、ニヤリ。
●4月29日 17:45 舞台(前説)
開場し、続々とお客様が会場に。知っている顔もちらほら。大阪の方、広島の方、三重の方、そして東京の方。いつもありがとうございます。なお、東京の方の中でも結構知ってる顔がいるぞ?――と思ったら、筆者の両親だった。ライヴを理由に関西旅行を組み込んだらしい。金属恵比須黎明期からずっと見てきているというファンの最長老である。
主催者であり、1バンド目のQuaserのリーダーでもある森田拓也氏が壇上に上がり、前説を始める。筆者が呼ばれ壇上に。我が敬愛する小説家・横溝正史氏が神戸出身であるということで楽しみにしている――と述べる。いいのか? いいのか。ウケたし。よかった、関西で笑いがとれたよ。
●4月29日 18:00 開演
開演後は吉永美和子氏による記事が素晴らしすぎるので、筆者は舞台裏を。
山口のバンドKADATHの演奏を見ながら、栗谷兄と打ち合わせをしていたときに、栗谷兄が、「西のプログレ・シーンって、関東より上じゃない?」と耳のそばで語りかけてきた。うん……そ、そうかもしれない……が、出番直前で、脅さないでくれ……。
●4月29日 21:30 演奏終了
セットリストは以下の通り。こちらが、金属恵比須の使用している統一フォーマットである。
お蔭様で予想をはるかに上回る盛り上がりとなる。そして、アンコールの最後に稲益と筆者は武田菱のぼりを高らかに掲げた。武田信玄公をも夢見た畿内に侵入した武田菱。のぼりをはためかせることに見事成功したのだ。目標、達成。445年ぶりの「西上作戦」は成功である。
武田の武威を天下に示し
嗚呼 信長の素っ首を落とし 高らかに掲げん
父・信玄の 墓前へ
(金属恵比須「武田家滅亡」【作詞:伊東潤】より)
信長の首を落とすことはさすがにできなかったが、信玄公の墓前には堂々と参ることはできそうだ。
●4月29日 22:30 チキンジョージにて打ち上げ(感動の再会パートII)
バンドとスタッフとお客様を混ぜての大宴会の始まりだ。滋賀県大見八幡からいらっしゃったファンも広島のファンも一緒だ。
Quaserと荘園のダブル出演だったベーシスト・藤井博章氏とも再会。西尾氏とともに15年以上ぶり。
そもそも、荘園と初代金属恵比須が対バンをしたのは、藤井氏とのつながりによる。2001年、吉祥寺シルバーエレファントで金属恵比須がライヴを行なったときにたまたま見に来ていたのが藤井氏だった。そのときバンドのアンケートを書いてくれた。どうやら藤井氏が京都から出張で東京に訪れた際、視察としてシルバーエレファントにふらりと立ち寄ったとのこと。金属恵比須のことを「なんかフラワー・キングスっぽいですね」と表現していた。いわずもがな、90年代から現在も活躍しているスウェーデンのバンドなのだが、筆者は当時70年代プログレ狂で「フラワー・キングス」を知らなかった。その5年後、2006年に金属恵比須はメキシコでのフェス”Baja Prog”にてフラワー・キングスと同じ舞台に立つのだが、それはまだ先のこと(『真田丸』の有働アナ風)。
名刺交換をする。「藤井博章 司法書士・行政書士 事務所」とある。独立されたようだ。15年も経てば、お互いの立場は変わる。しかしお互いやる音楽は変わらないという不思議な体験。
おかげでお酒が進み、あっという間に24:00に。メンバー・スタッフはそれぞれ解散。やっと馴染んできた神戸の町から、明日は去らねばならない。
●4月30日 9:00 ホテル出発
一夜明け、出発。宮嶋は神戸観光をするということで別行動。栗谷は、30過ぎにして初めて「独り旅」をするということで京都に向かい別行動。栗谷兄は翌日仕事で飛行機で帰らなければならないということで別行動。よって、残る稲益、マスヒロ、そして筆者が機材車で帰途に着こうとする。
車を駐車場から出してホテルの前に停めようと、南京町を通った瞬間、ローディの栗谷兄が出現。彼とはまったく違うホテルに泊まっていたのだが、朝の散歩で南京町に来ていたところ、運悪く、機材車を発見してしまったとのこと。「コンビニしかやってなかったんだけど」――それ、昨日筆者も経験したことだ。
ついでならばと機材の積み込みと整理をしてもらう。ぶつぶつ文句いいながらも、なにやら楽しそうだ。行きの車での栗谷兄との会話を思い出す。
……人間椅子追いかけてたあの時から20年たって、まさかマスヒロさんと一緒にライヴをするために、一緒の車で神戸に向かうとはねェ……
そうだ。この積み込みも感慨深くやってくれているに違いない。
稲益、後藤、筆者は、一路奈良へ。
●4月30日 10:30 奈良県 朱雀門前~伊賀越え「天正10年の旅」
どうせならと奈良経由で伊賀を越えて愛知を目指そうと。「伊賀越え」といえば徳川家康。1582年(天正10年)3月、武田家が滅亡し3カ月も経たずして武田を滅ぼした織田信長までも斃れる。6月の本能寺の変である。その直後、堺から岡崎まで命からがら帰ってきた家康の行動を「伊賀越え」という。
実際のルートとは全く違うが(奈良も通っていない)、伊賀を越えることには変わりなく、「天正10年の旅」を追うことで「武田家滅亡」を更に体にしみこませようと。
運転は筆者で、助手席に稲益。2人で「徳川家康はやっぱすごいよねー」と盛り上がる。ふと後ろの座席を見るとマスヒロは寝ている。
●4月30日 14:00 愛知県新城市設楽ヶ原
亡き信玄公の跡を継いだ武田勝頼公で有名なのが1575年(天正3年)の「長篠の戦」だろう。ということで愛知県新城市に向かう。
復元された馬防柵(昭和50年代作成)の前で、武田家のぼりを立てようということに。そしてそうせならこれをはためかせながら馬防柵に突撃する写真を撮ろうということに。
とりあえず試験で稲益と筆者が走ってみる。撮影はマスヒロ。
――ウォー!!――
突撃1
「すみません、シャッターどこっすか?」……マスヒロがうまく撮れなかったらしい。もう1回。
――ウォー!!――
突撃2
「すみません、連写しちゃいました」……シャッターの押し方を教えてもう1回。
――ウォー!!――
「これ、映像の方がよくないっすかね?」……ということで完成したのが次の告知CM。
【動画】『武田家滅亡』CM

思いのほか時間がかかり、近くの博物館に少し立ち寄った後、再び東京に向かう。当初は浜松にも寄ろうとしていたものの断念。浜松サービスエリアでブラックモアズ・ナイトの中古CDを購入して東京を目指す。
●4月30日 21:00 東京都 二子玉川
渋滞に巻き込まれながらも、なんとか東京に到着。
目標である「西上作戦」は見事に成功した。浅野忠信氏に負けず「会場に笑顔と歓声」があふれさせることもできた。「金属恵比須は関西向きやね」との感想をいただいたりもした。関東人にとってどの点が「関西向き」かはわからないが、とにかくまたの“畿内侵入”も許されるということか。武田信玄公もさぞお喜びだろう。
しかしそれにしても、数日後にきた筋肉痛。これは白熱のステージングでの激しいパフォーマンスによるものではなく、設楽ヶ原の撮影失敗によるものが大きい。最早、武田家ではなく、バンドが滅亡しそうだ。
滅亡……

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