【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#55 ミ
ュージャン・山下達郎の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

パフォーマンスというのは基本的に、1
00人の前でできれば1万人の前でもでき
ますけど、1万人の前でできても、100人
の前ではできないこともある

『100年MUSIC featuring artist/VOL.4 山下達郎インタビュー』(100年MUSIC /WARER MUSIC JAPAN)より

山下達郎は、いまでこそ、野外フェスでの活躍も珍しくないが、かつてのコンサートは小ホールに限定していた。このインタビューは、山下が実に29年ぶりの野外フェス参加となった<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO>(北海道・樽川埠頭横 野外特設ステージ/2010年8月14日)と、<ワーナーミュージック・ジャパン創立40周年記念ライブ・イベント 100年MUSIC FESTIVAL>(日本武道館/2010年10月30日・31日)の出演を果たしたことを踏まえての内容。今回の名言は、野外フェスや大規模な会場でのライブを拒否し続けた山下がその理由を語るなかで明かした、ひとつの音楽哲学である。山下は、「別に金儲けしたかったわけでも、スターになりたかったわけでもない。自分の音楽表現というのをやりたくてバンドを始めた人間なんでね」と考え、例えば、テレビ・メディアは使わない、武道館ではやらない、2,000人前後のホールで続ける、ということもやってきた。そういった姿勢にも、音楽表現へのストイックさが強く感じられる。

山下達郎(やましたたつろう)
1953年2月4日生まれ、東京都豊島区池袋出身。1980年代末に出現したJ-POPの波の原動力となった重要人物のひとり。レコーディングでは、編曲はもちろん、ボーカル、バックコーラス、ギター、シンセサイザー、パーカッション、コンピュータの打ち込みなど、様々な楽器や機器を操るマルチプレイヤーとなることでも知られている。1973年、シュガー・ベイブのメンバーとして、プロデビュー(『Hello! We are SUGAR BABE』/青山タワーホール)。1975年、シュガー・ベイブのアルバム『SONGS』とシングル曲「DOWNTOWN」でレコードデビュー(ナイアガラ・レーベル)。1976年、アルバム『CIRCUS TOWN』(RCA/RVC)でソロ・デビュー。1980年に発売した「RIDE ON TIME」が大ヒット。1981年、日本全国の約2,000人規模のホールを巡るコンサート・ツアー<PERFORMANCE ’81>がスタート。これは、2018年現在も続いている山下のライフワークのひとつである。

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