【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#53 シ
ンガーソングライター・岡林信康の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ボクはプロになることを拒否したいわけ
。普通の人間でありたいわけや、その生
活の中で歌ができたらうたいたいし、出
来な出来へんでいい

西岡たかし 遠ざかる明日へ・わが戦慄の叫び 満員の木』(立風書房/著・西岡たかし)より

※1973年10月発行のこの本の中で、西岡たかしと岡林信康が同年3月に行った対談が掲載されている。今回の名言は、その中で岡林が発した言葉である。岡林は、1971年の第3回<中津川フォークジャンボリー>を最後に表舞台から姿を消し、1973年にカムバックするまで農耕生活に勤しんでいた。まさに、ミュージャンとして本格再始動間際の言葉なのである。西岡が「最近の歌について、フォークソング歌手について……」と話を振ると、岡林は「詩や文句でチキショウ‼︎ いう歌ないな。(中略)ボクは、炭坑節なんかが好きなんや。三池炭坑なんか、仕事はしんどかったもんや、それを“三池炭坑の〜〜〜”いうふうに笑い飛ばすやん」と語っている。フォークの神様とももてはやされていたにもかかわらず、音楽に対するスタンスを変節させない偉大なミュージャンである。

岡林信康(おかばやしのぶやす)
1946年7月22日生まれ、滋賀県近江八幡市出身。1968年、「山谷ブルース」(ビクターレコード)でシングルデビュー。当初は、「くそくらえ節」でデビューが決まっていたが、タイトルが「ほんじゃまおじゃまします」に変えられた上に、いきなり発禁となり「山谷ブルース」が事実上のデビュー曲となっている。そういったことも、岡林のカリスマ性に拍車をかけ「フォークの神様」、「反戦フォークの旗手」と呼ばれるようになる。しかし、そのレッテルから逃れるために蒸発。その後、1970年に、はっぴいえんどを従えてロッカーとしてカムバックする。1971年、第3回<中津川フォークジャンボリー>を最後に再び音楽活動を休止し農耕生活に入る。1973年にソニーに移籍し、音楽活動を再開。1975年、美空ひばりが岡林作品である「月の夜汽車」や「風の流れに」を歌い話題となる。80〜90年代は、日本の民謡や盆踊りに受け継がれた日本のリズムをベースとしたエンヤトットミュージックを展開。韓国の打楽器グループであるサムルノリや山下洋輔とジョイントを行うなど新しい分野にも挑戦し勢力的に活動を続けている。2018年は、9月13日よりデビュー50周年コンサートを全国7都市で開催予定。

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