【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#51 シ
ンガーソングライター・井上陽水の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌を歌うことは、辱めを受けることなん
だと。心の中では「そんな恥ずかしいこ
とはできません」 今でも辱めを受けな
がら歌ってる

『.net.amigo』【抜粋】BS朝日 ザ・インタビュー 井上陽水×吉永みち子(2014年2月16日放送)より

※このインタビューで、井上陽水の活動の原点が語られている。歌手としての芽生えは、子供の頃、町内会のバス旅行で歌わされ、大人たちに褒められたこと。「バスの中のマイク回して、これこれ石の~地蔵さん♪ 西へいくのはこっちかえ♪(美空ひばり「花笠道中」)この歌を歌ったような気がして。喝采を浴びたんですね。他に褒められることはないから」と言う。また、音楽の授業では、騒いでいたところを注意され、罰として歌わされることになり、「汽車」を歌ったところ、「井上君うまいわね」と先生に褒められたと振り返る。そして、今回の名言の通り、今でも同じような精神状態で歌っているらしいのだ。サングラスをかけて歌っているのも「恥ずかしいから」。同じ理由で、「NHK紅白歌合戦」の出場も辞退し続けている。陽水特有の飾りのない飄々とした受け答えと話の内容に、深い意味を探ってしまう。

井上陽水(いのうえようすい)
1948年生まれ、福岡県嘉穂郡出身。1969年、アンドレ・カンドレという芸名で「カンドレ・マンドレ」(CBSソニー)でデビュー。六文銭が演奏し、小室等が編曲した知る人ぞ知る名曲である。しかし、アンドレ・カンドレの曲は世に受け入れられなかったのか、3枚のシングルを残してあっけなく活動を停止してしまう。1972年、芸名を井上陽水と改め、「人生が二度あれば」で再シングルデビューを果たす。同年、1stアルバム『断絶』がリリースされ、人気が急浮上し始める。1973年、シングル『夢の中へ』が初ヒット。そして、同年発売のアルバム『氷の世界』が、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録し、井上陽水の音楽家としての地位を不動のものとする。その後も、『9.5カラット』(1984年)が約100万枚、ベスト・アルバム『GOLDEN BEST』が約200万枚の売上を達成。後に、妻となる石川セリをはじめ、山口百恵沢田研二中森明菜安全地帯小椋佳かまやつひろしPUFFYなど、錚々たる顔ぶれに作詞家としてあるいは作曲家として作品を提供している。今も活動が衰えることはない。

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