こまつ座『たいこどんどん』開幕寸前
、人気落語家・柳家喬太郎がたいこも
ち・桃八役でしゃべりにしゃべりまく

「今もっともチケットが取れない人気落語家のひとり」。もう何年もその表現が柳家喬太郎の枕詞になっている。すごい。落語ばかりでなく、役者としてもテレビに映画、そして観劇が趣味だという演劇にも出演。大銀座落語祭で見た『熱海殺人事件』の和服の木村伝兵衛役の熱苦しくない狂気は今でも忘れられない。つかマニアだったらしい。鈴木聡のコメディ『斎藤幸子』『ぼっちゃま』はひたすら、そこにいるのが楽しそうだった。ペテカンとも相性がいいらしい。ところが今回は「楽しい」とばかりは言ってられない舞台に挑戦する。こまつ座の『たいこどんどん』だ。テアトルエコー出身で井上ひさしのDNAを宿す、ラサール石井がこまつ座初演出するのも注目だ。
稽古場より 提供:こまつ座
落語家とたいこもちは同じ芸人でもずいぶん違う
 喬太郎が演じるのは、道楽者の若旦那・清之助を慕う、気の良いたいこもち・桃八。「たいこもち」というのは、宴席やお座敷で遊ぶ旦那衆を相手によいしょし、即興的な芸でその場を盛り上げる芸人さんのこと。
 「たいこもちのお師匠さんとは、地方のお座敷でご一緒したことがあるんです。お客は50、60人はいたかな。僕らは一席終えたらお客さんとのお付き合いで呑んで話してみたいな感じ。ところが、たいこもちのお師匠さんは芸をやって、端から端までよいしょして駆けずり回っていらっしゃる印象がありましたね。僕らは高座と客席が分かれているけれど、たいこもちには境界線がないんです。舞台で芸も見せるけど、基本的にはお座敷でお酒のお相手をして、気持ち良くさせてというお仕事。2時間のお座敷だったら2時間まるまるが仕事ですから、まあ大変です」
稽古場より 提供:こまつ座
 桃八は、若旦那の清之助とお気に入りの女郎・袖ヶ浦がいる品川の小菱屋へ出向くものの、薩摩侍たちと揉め事を起こし海に飛び込むはめに。助けてくれた船は風まかせ、いつの間にやら江戸から陸奥の国(岩手県)釜石へ。その冒険はさらに過酷な状況へと踏み入っていく。
 「今度はこんな目に遭うのか、またこんな目にも遭うのかといった具合に、次々と清之助と桃八に危機が迫ってくる。そんな展開だったら普通は雰囲気が重くなったり暗くなったりしそうなものだけれど、明るいトーンで物語が進んでいく。運命に翻弄されて、愚痴も言うし人も恨むけど、それでも生き生きしている二人が面白い。桃八はたいこもちのプロですよ。清之助のせいで何年もひどい目にあったのに、それでも私はたいこもちだからと若旦那に着いていく。でもプロ意識だけではそんなことできないでしょ。清之助にそれだけの魅力があるんでしょう。もちろん現代と江戸時代の違いはありますけど、そこまでやることはねえんだよということもありながら、でもやりすぎるくらいがいいんだよということもありますしね。桃八の師匠が元気だったらきっと褒めてくれるでしょうね。私はあそこまではやりたくない(笑)」
俺、死んじゃうよ(笑)
 その桃八、舞台に出ずっぱりなのは当然だけれど、ひとり語りがやたら膨大。しかも歌もある。
 「いやぁ全部必要なせりふなんですけど、こんなにたくさん、先生いじめないでよという感じ。だって最初に本読みやったら4時間かかりましたもん。4時間といったら忙しい人の睡眠時間ですよ。読み終わった瞬間、何時?って言ったあと演出のラサールさんも役者さんたちも絶句してましたもんね。またこの間は、こまつ座の制作さんからメールが来て、歌のキーはなんですかって。キーなんてわかんねえよ、歌うってなに? しかも、公演予定をもらったら、それでもやっぱりマチネソワレの日がある(苦笑)。俺死んじゃうよって言ったんですけどね。もちろん出演させていただけるのはものすごくうれしいんですけど。
 落語を覚える時はね、新作はともかく、古典だとこの噺をやりたいなって思って先輩にお稽古をつけてもらいにいくわけです。ということは、その噺は流れやせりふもある程度わかっている。たとえば「芝浜」というのは私のレパートリーにはないんです。でも『ちょいとお前さん。お前さん!』『何だよおい。出し抜けに起こすなよ。何だい?』『何だい?じゃないよ。グズグズしてるってえとね河岸行くのが遅くなるよ』『何だい? 河岸行けってえのは?』『何だい? じゃないじゃないか。昨日お前さんそう言ったろ? もう明日っから商いに出るから今夜はもう飲むだけ飲ましてくれって』。このくらいは入っているわけですよね。だからやりたくなる。この噺好きだな、やってみたいな、許可いただきたいなと思ってお稽古にでかけるわけですから、一から覚えるのとは違うわけですよね。去年の秋にも舞台をやったにもかかわらず、せりふってどうやって覚えるんだっけと思っているところです。ただ噺家の性で、時折上下(かみしも)を切ると言いますか、気持ちのうえでは落語をしゃべっているような感じで覚えると、ちょっと入ってきやすい時もありますね」
かつての名人が口にしていたような古い言葉が心地よい
 そして話は井上戯曲の印象に移っていく。井上戯曲に登場する今では使われずに忘れ去られてしまったような古い言葉が、意外にも助けになっているそう。
 「古典落語でもあまり使わなくなったような言葉使いがいっぱい出てくるんですよね。これ古今亭志ん朝師匠とか、もっと上の名人がしゃべったら生き生きするだろうな、実際にあの師匠たちが言っていたよなみたいな、せりふが出てくる。しかもそれがとってつけたような気がしないんですよね。『夷狄ながらも』なんて言われてもわからないでしょ、今の時代。そうすると私たちも外国人とか異人とかわかる言葉に直してしまうわけですよ。そういう意味では、井上先生のせりふはいろんな師匠が話しているのを聞いていたから入ってきやすいというのがあるかも。そういうのを胸張って言えるのがうれしいですよね。俺、志ん朝師匠になったようだって(笑)。東夷南蛮北狄西戎、頭で覚えても覚えられないんですけど、口に出すと気持ちがよいんですよ」
 そして、井上作品の中でも下ネタ全開なのが『たいこどんどん』。これも芸人絡みの大人の粋な物語だからだ。
 「本当に下(しも)がかったこともちょこちょこ出てくるじゃないですか。これを舞台上で言っちゃっていいんだみたいな。普段高座では言えないので。いやまぁ言ってますけど(笑)。だけど井上戯曲は下世話であるがゆえに崇高なんですよね。やっぱり人間って俗っぽいものじゃないですか。その俗っぽいところをこれでもかとえぐっていながら、笑いになっている。すごいなあと思いますよね。決して下世話にばかり突き進むわけじゃないですからね」
千秋楽を終えて、久しぶりに落語をやる時にどんな気持ちになるだろう
 取材した時はまだ出演者そろってのお稽古が始まる直前だ(もっと早く記事にしろって話ですが)。4月半ばには、毎年恒例の古典のネタ卸しも終わって、きっと今やエンジン全開といったところだろう。演出はテアトルエコーで演劇を学んだラサール石井。ストリップ劇場文芸部でのアルバイトを経た井上ひさしは、テアトルエコーで『日本人のへそ』を書き下ろして演劇界へデビューした。その笑いのDNAは必ずや引き継がれていると妄想すると楽しみなのだ。
 「今回、ラサールさんが演出だというのもほっとしている要素の一つ。いろんなお芝居関係の方に聞くと、ラサールさんの現場は楽しいよっておっしゃるんですよね。でもほっとすると僕は甘えて怠けるたちなので、気をつけないと。出る以上は、噺家だからしょうがないはお客さんには通用しませんからね。一緒にやっている皆さんに失礼ですから、本職じゃないからこそ足を引っ張らないようにしなければいけません。その反面、本業じゃないんだから、ここまで苦しい思いをしなくてもいいんじゃないか、楽しいところに出たいという思いもあるんです。いやいや、ほかの噺家では経験できないことをさせていただくのだから、せりふくらい覚えなきゃいけません。大変だ大変だって言ってるだけじゃなく、僕なりに全力投球して、さあ『たいこどんどん』が終わりましたで久しぶりに落語をやる時にどんな気持ちになるのか楽しみですよ」
 ラサール石井が役者として出演した『円生と志ん生』のチラシにはこんな一文があったという。「噺家は一人一人が光なんです」。喬太郎はこの言葉にものすごく感激し、常に心の中に秘めているのだという。「俺みたいな者がやっていいんだって、先生が後押ししてくださっているような気がします」と。
《柳家喬太郎》1963年、東京都出身。89年10月に柳家さん喬に入門。99年には新作落語「午後の保健室」で、平成10年度NHK新人演芸大賞落語部門大賞を受賞。さらに、00年には、12人抜きで真打に昇進し、その実力を不動のものとする。以降も、国立演芸場花形演芸会大賞3年連続受賞(05~07)、文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆演芸部問)(06)など数々の賞に輝く。新作落語の代表作は、「純情日記横浜篇」、「ほんとのこというと」、「夜の慣用句」。俳優としては、「ちゅらさん4」「坂の上の雲」などに出演、初めて出演した映画『スプリング、ハズ、カム』では主演を務める。舞台出演は『熱海殺人事件』『斎藤幸子』『ぼっちゃま』など。
取材・文:いまいこういち

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