舞台版『まいっちんぐマチコ先生』開
幕~「眼福」と「生」に満ち溢れたお
色気コメディー、ゲネプロ見学レポー

舞台版『まいっちんぐマチコ先生~こんな世界に誰がした?? 世直しバック・トゥ・ザ・ティーチャーの巻~』(作・演出:ゴブリン串田)が、2018年5月3日、東京・築地ブディストホールにて開幕した(5月6日まで上演)。ゴールデンウィーク後半のお楽しみにうってつけのお芝居である。SPICEは、初日の前日に行われたゲネプロ(最終総通し稽古)を覗いてきた。
原作は、私立あらま学園の美人女性教師・麻衣マチコとその生徒達が繰り広げるお色気ギャグ漫画「まいっちんぐマチコ先生」である。作者はえびはら武司。ちなみにえびはらは藤子不二雄のアシスタント出身で、「ドラえもん」の静香ちゃんの入浴シーン(の身体の部分)を描いていたのも彼だという。「まいっちんぐマチコ先生」は1980年から学研(学習研究社)の少年漫画誌に連載、単行本は累計280万部以上を売った。1981年にはテレビアニメ化され、以後2年間に渡り毎週木曜の夜7時半から放送されるほど人気を博していた。
(c)えびはら武司
そのアニメは筆者もよく見ていた。悪童3人組のマチコに対する所業がとんでもない。スカートはめくるわ、胸はタッチするわ、入浴は覗くわ、公衆の面前で全裸にしてしまうわ……だが、どんなにひどい目に遭ってもマチコは「いや~ん、まいっちんぐ!」と独特のポーズをとりながら困惑するばかり。寛大なのか意識が低いのか。そのナンセンスともいうべきギャグ様式美がたまらなく可笑しかった。同僚の変態教師・山形国男のことも忘れられない。マチコに対してはほぼストーカーであり、彼女の恥態に遭遇すると興奮する始末。アニメでその声を担当していた天才声優・千葉繁によるアドリブ演技が強烈だったこともあり、視聴者から絶大なる支持を得ていたと記憶する。
そんな内容のアニメがよくもまあゴールデンタイムに放映されていたものだ。しかも製作が学研というのも放映当時から驚きだった。もちろんPTAからのクレームは絶えなかったという。ただ、当時はアニメに限らず女性の裸やベッドシーンを地上波で見かけることもよくあった。そして当然「セクハラ」とか「#MeToo」なる言葉は存在なかった。或る種の言葉は、使われ出すと同時に人々の行動や通念を理性的に律していく。もちろんそれが現実社会をより良くしていくことはわかる。が、それと引き換えに何かが失われていく。その失われた何ものかに対して、甘酸っぱいノスタルジーが胸の奥で淀むこともある。そうした深層意識の淀みを、ほどよく浄化してくれるのが文芸や演劇、映画などフィクションの機能だと思っている。いま日々次々と「セクハラ」ニュースが飛び交う今のご時世に、「マチコ先生」が舞台化されることの意味とは何なのか。そんなことを考えながら、甘酸っぱい期待を胸に築地本願寺の第一伝道会館の中にある築地ブディストホールへと赴く筆者であった。
よく見ると笑える、あらま学園生徒たちのお習字……?
上演が始まっても、幕はまだあがらない。まずは例のあらま学園教師、山形国男が登場する。「北の国から」のスキャットに乗せ「自らのキャラ説明をしたいわけで」などと語りだす2018年の山形は、スマホでエゴサーチをし、自身へのさんざんな評価をまのあたりにすると、高度情報化の現代社会に傷ついてしまう。その一方で存分にエロ動画を見れるスマホの有難さにも言及(でも見過ぎて速度制限がかかってしまったとか)。そこに、あらま学園の悪童3人組(ケン太、タマ夫、金三)も客席通路から出てきて、皆で主役マチコ先生の登場を待つのだった。どうやらマチコ先生はすんなりとは出てこないらしい。なぜ? 現段階では、それ以上を説明することは控えることとしたい。
山形国男先生
(前列左から)山形先生、金三、ケン太、タマ夫、(後列左から)校長、教頭
やがて幕が開き、麗しの片岡沙耶が演じるマチコ先生の楽しい登場シーンを経て、舞台では新入生歓迎会が開催されようとしている。しかし新入生として現れたのは無表情な不思議少女が一人だけ。この歓迎会を企画したのはケン太たちだった。彼らの心意気を誉め、「胸を張っていいこと」と説くマチコ先生。すかさずケン太が尋ねる、「胸を張るってどういう感じに?」……あとは説明不要だろう。全観客お待ちかねの、あの所作へとつながっていく。
マチコ先生
まいっちんぐ!
「いや~ん、まいっちんぐ!」……出た、永遠のフレーズ、永久不滅のポーズが! これを観たくて今日まで生きてきた。興奮のあまり、ここがもし、すぐ近くの歌舞伎座だったら、片岡という姓を持つ俳優に対して「まつしまや!」なんて掛け声を発してしまうところだが……違う違う、ここはブディストホール。それでも景気づけに「待ってました!」と叫ぶくらいはアリだろう。「いよっ! 待ってました! 沙耶ちゃん」
やがて謎のおばさん科学者と自称助手が登場し、あらま学園を不穏な陰謀に巻き込む。実は新入生の不思議少女はタイムマシンにもなるロボットだった。挙句にマチコ先生と生徒たち、山形先生にコケダルマ校長、愛知教頭らが諸共1980年のあらま学園にタイムスリップしてしまうのだった。そこで出会うことになる人々は誰か? そして何が起こり、歴史は変わってしまうのか?…というSF仕立ての趣向で物語がぐいぐいと進んでいく。
謎のおばさん科学者Dr 栗栖と自称助手のマーティー幕揚
マーティー幕揚
コケダルマ校長、愛知教頭
コケダルマ先生25歳
タイムスリップ先となる1980年は、前述の原作漫画の連載が始まった年である。作・演出のゴブリン串田は、原作漫画の生まれた時代の空気を検証することで、「マチコ先生」を通した38年前と現在の2018年の社会を相対的に比較できる仕掛けを用意したのである。気の利いた意匠である。もっとも、比較を牽引するのは「スケベ心」である。「セクハラ」という言葉も、またその概念も稀薄だった1980年は、ケン太たちにとって2018年よりもおおらかで棲みやすい時代なのだ(おそらく2018年のケン太たちは同級生の女子たちから厳しくセクハラを責められているはずだ)。その一方で、劇中に登場する某スケベ漫画家などは、インターネットでエロ動画見放題の2018年こそが素晴らしいと主張する(ITの進化はエロな欲望と直結する。そのことは、トニー賞受賞の傑作ブロードウェイミュージカル『アヴェニューQ』の中の「The Internet Is For Porn」でも歌われていたとおりである)。作品が発する、かような問いかけに読者各位の内なる「スケベ心」は果たしてどんな判断を下すであろうか。
ときに1980年へのノスタルジー心を満たす仕掛けも満載だ。流れる音楽、女子生徒の髪型や服装などにおいて、時代アイテムがこれでもかと散りばめられている。田中星児風の教師やバブリー美奈子(平野ノラ?)風の教師も出現する(1980年はまだバブルはなかったけれど)。また、聖子ちゃんカット風の女子を含む三人組は制服のブラウスやスカートが短めなのが爽やかにしてエロ可愛い。その中の一人、池下ケンコ役の水月桃子は表情がかつての松田聖子によく似ているので注目だ。
コケダルマ先生25歳、秋田小町、東トキオ
池下ケンコ、埼玉ツナイ、千葉二三子
池下ケンコ
埼玉ツナイ、千葉二三子
一方、スケバン刑事を意識した不良三人組はやはりスカートの裾が長い。もっともスケバン刑事がテレビドラマ化されたのも1985年だから、そのあたりは微妙に時代考証的誤りを犯しているともいえるが、まあこういう芝居で細かいことはいいっこなしだ。そういえば尾崎豊の歌詞を引用する場面もあったが、あれも1985年の歌だ。しかし校舎の窓ガラスを壊せば普通に器物破損罪、バイクを盗めば普通に窃盗罪というのが2018年の常識的通念である。それに比べて、やはり80年代はおおらかというか、ゆるゆるだったんだなと思える。そんな1980年を描く芝居の時代考証などもちろん大雑把で構わないし、劇中にもそんなことを自己言及する台詞があった。
釧路銀子、桜島さくら、大阪ミナミ
鶴山みえ、愛知タマ子18歳、富士静
さて、おおかたの読者諸氏は「御託を並べるのはいい加減にして、大事なことを早く伝えろ」と思っているのではないか。大事なこと? それは一にも二にも「エロ」であろう。舞台版の「マチコ先生」はどんだけエロなのか、特にそのヴィジュアル面、読者の皆様の気になって仕方ないことはそのことに尽きるのであろう。
それについては、舞台写真を用いて示すつもりだった。が、今回は諸事情により、生々しく破廉恥なヴィジュアルは掲載を控えることとなった。上演会場がブディストホールということとも関係している。ご賢察いただきたい。しかし、想像して欲しい。まず、タイトルロールを演じる片岡沙耶の「まいっちんぐ」な姿を。丸みを帯びた愛らしい美貌に、肉感的なボディライン。原作のマチコ先生にこれほどマッチしたキャスティングが考えられるだろうか。「まいっちんぐ」ポーズのたびに送風ゾーンに立ち、スカートがふわりとめくれあがる。客席の最前列と二列目は指定席となっており、所謂かぶりつきで「まいっちんぐ」を間近で楽しむことができる(だから、そのゾーンは早々にチケットが売り切れた)。しかし、三列目以降の自由席でもそれ相応の満足感を得られることは請け合いである。なにしろ筆者自身の眼で確かめたことだから(けっして威張って書く話ではないが)。
(前列左から)マチコ先生、松本ヒロシ、まる子
長崎まどか、マチコ先生、時田苺花、成城ヒロミ、横浜テンコ
なお、明言しておくが、マチコ先生をはじめ女生徒たちなど、多くの女優陣がストーリーの流れの中で眩いばかりの水着姿を披露する。なぜそうなるか、必然性はあるようで、実はないともいえる。よく演劇や映画などの現場で女優が「必然性があれば脱ぎます」なんてことを言ったりする。しかし「マチコ先生」の舞台においてエロいシーンは必然性の彼方から唐突に訪れる。或る時は山形先生の妄想を借りて。また或る時は「舞台進行上」などという不条理な理由で。さらに或る時は、エロ・エネルギーをチャージしないとタイムマシンが作動しないなんていうご都合主義的理由で。なんだそりゃ!といいたくなることも多々あろう。それでも社会的な節度やコンプライアンスはちゃんとわきまえている舞台作品なので安心して観れる。マチコ先生にワルさする男子三人組だって、演じているのは女優なのである(ケン太=田沢涼夏、タマ夫=大塚結生、金三=星乃しほ)。……でありつつも、やはりエロな眼福シーンがふんだんなのは嬉しいかぎりだ。
ただし可愛い女教師や女生徒たちの眼福にばかり気を取られていてはいけない。役者陣それぞれが魅力的で味わい深いのだから。なかんずくコケダルマ校長役のネゴシックスの、かつて「ゴッドタン」でもフィーチャーされたことのある腰のすわらない演技が本格的に可笑しかった。一方、山形先生という変態役をそつなく演じたのが、「御茶ノ水男子」というお笑いコンビの、しいはしジャスタウェイだった。彼は演技力の安定感を余裕で見せつけた。また、肥満女子生徒・まる子を演じただんしんぐ由衣はとにかく堂々としつつ芝居がパワフルだった。ブラボー! 他に、謎の科学者を演じた関口ふではどこかアングラめいた泥臭い芝居が、バブル女教師の秋田小町を演じた永友春菜(Wキャスト)はキレッキレの逝っちゃったような芝居が、それぞれ深く印象に刻まれた。
コケダルマ校長とまる子
ペン三島、ノストラダメス、かにはら武司
時田苺花、かにはら武司、マチコ先生、松本ヒロシ
ともあれ、総じて「スケベ心」に満ちた、反時代的で、お下劣で、無邪気で、バカバカしい芝居(誉め言葉)であったことは否定しない。しかし、そこを突き詰めることこそが「マチコ先生」を舞台化する意味なのだと思われたし、それが出来ていたことによって、見事なまでに「生」の、生命力の溢れる舞台となっていた。その生命力は、ブディストホールを擁する築地本願寺の、浄土真宗の開祖である親鸞上人様にも認めていただけたのではないだろうか。だから、改めて言う、ゴールデンウィーク後半のお楽しみにうってつけのお芝居である、と。
取材・文=安藤光夫  写真撮影=山本れお

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