【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#39 歌
手・植木等の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

いい加減に歌うことの難しさってのを、
僕は初めて知った(笑)

『テレビの黄金時代』(キネマ旬報社/小林信彦編)より

※インタビューの中で、植木が「スーダラ節」について語った言葉。この本の中で、植木は本来、スイートボイスでクルーナー・タイプ(ソフトに囁くように歌う)のシンガーだと紹介しており、その植木が異常な歌詞を歌うという違和感が新鮮だったのでは、と書かれている。そして、根が生真面目な植木にとって、いかに野放図に歌うかが難しかったようだ。「やる気がない感じで歌うっていうのが、いやでね」と回想し、何回も「まだ、どっか生真面目さが残ってます。おもしろくないですね」と言われたと語っている。しかし、植木は見事に、「スーダラ節」を歌い上げ、国民的スターとなった。この言葉には、武道の達人のような凄みを感じる。

植木等(うえきひとし)
1926年12月25日、愛知県名古屋市生まれ。3歳の頃に三重県へ移住。1946年、テイチクレコードの新人歌手コンテストに合格。1950年、萩原哲晶とデューク・オクテットにギタリストとして参加。1952年、植木等とニュー・サウンズ を結成。1954年、フランキー堺とシティ・スリッカーズにギタリストとして参加。ここでコメディアンとしての才能が芽生えた。1957年、谷啓が在籍していたキューバン・キャッツ(ハナ肇とクレージーキャッツの前身)に移籍。クレージーキャッツの一員として、『おとなの漫画』(1959-1964/フジテレビ)や『シャボン玉ホリデー』(1961-1972/日本テレビ)に出演し人気を不動のものにする。1962に、「スーダラ節」が大ヒット。それと共に役者としての才能も開花させた。2007年、80歳で死去。

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