【連載】Vol.039「Mike's Boogie St
ation=音楽にいつも感謝!=」

グループ・サウンドからジャズなステージ!まるで1960年代後半にタイム・トリップしたようだった レイテスト・コンサート・レビュー!!
▲「THE TIGERS/RECORD SHEET」 from Mike's Collection


1960年代中期に仲間とローリング・ストーンズのファン・クラブをスタートさせた頃、僕らはストーンズだけではなくRSルーツのブルースやR&Bはもちろんのこと、ポップス、50年代のロックンロール、カンツォーネ、そしてジャズまで幅広く音楽を味わっていた。当時ベンチャーズやピーターとゴードン、ビーチ・ボーイズのほかにもジョン・コルトレーンやセロニアス・モンクの来日公演にもジョインした。
▲ジョン・コルトレーン来日公演プログラム from Mike's Collection


そして60年代後半、わが国ではグループ・サウンド(ズ)が大ブームになっていく。GS最盛期は短かったけど、ここから日本のロック・ムーブメントの源流となってが70年代へと突入していった。ともあれ、GSに僕はとても興味を持っていた。というのも、彼らの多くがストーンズになりたい(影響を受けた)といって活動していたからだ。特にザ・タイガースザ・テンプターズは積極的にストーンズ・ナンバーを取り上げていた。そして、R&Bを得意にしていたゴールデン・カップスも大好きだった。スパイダース、ワイルド・ワンズ、ジャガーズ、カーナビーツ…、多くのGSのステージを池袋“ドラム”や後楽園遊園地、豊島園などいろんなスポットで体験した。70年代に入って僕自身が音楽業界を彷徨うようになり、その後、森本太郎さん、大口広司さん(故人)、デイブ平尾さん(故人)、エディ藩さん、ムッシュかまやつさん(故人)、井上孝之さん、加藤充さん、植田芳暁さん、アイ高野さん(故人)、喜多村次郎さん、ポール岡田さん…。いろんな方々と仕事し,お酒を飲み、将棋をしたことを思い出す。中でもGS兄貴分的存在のアウト・キャストの大野良治さんとはそれこそウン十年の仕事仲間でもあったりする。
2017年12月もいろいろライヴを味わったけど、その中からGS&パティ・オースティンのステージをレビューさせていただこう。
12月18日、東京・大井町のキュリアンホールで10数組のグループ、20人以上のGSメンバーが集結しての【GSフェスティバ2017】が開催された。ナビゲーターは自らも演奏した近田春夫選手。企画・プロデュースはアウト・キャストの大野ちゃん。出演者をチェックすると、久しぶりの方々も沢山いるため開場2時間前から楽屋でずーっとセイ・ハロー。話題は団塊世代ゆえもっぱら病気(笑い)、でも音楽で頑張っている皆さんだから、大変お元気なのだ。
▲左からエディ藩 橘洋介(蛎﨑広柾)& 筆者


オープニング・セットのドラマーはフラワーズのジョージ和田。ホント、彼のドラミングは相変わらず凄い。楽屋でワンズの芳ヤンが大絶賛。そんな初っ端パート1でソウルフル&ファンキーなシャウトぶりでファンに大喝采を浴びたのが橘洋介、R&Bバンド、ザ・ボルテイジだ。確かドラムで観た、大好きだった。この日はエディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」。あの頃を思い出させるショー・アップされたステージングで歌ってくれたのだ。ステージ後、楽屋でフロイドやサム&デイヴ、メンフィス・ソウルの話しで盛り上がった。
そしてパート2ではなんと言ってもカッペちゃん、スパイダースのベースマン、加藤充!御年84!!スーパー元気なステージを披露。「夕陽が泣いている」を歌いあげた。ベース・プレイも素晴らしい。加藤さんは僕のご近所さん、地元の誇りだ。
▲Mr.カッペちゃん!


パート3ではブルージーンズ。すっかりお元気なった篠ヤンこと篠原信彦がキーボードのハプニングス・フォー、新宿の方のムゲンでよく観たなぁ。成田賢といえばザ・ビーバーズ。ポール岡田&越川ヒロシでザ・カーナビ―ツ。それにしてもポールは数年前にMCした時も吃驚したけど、ヘアー・フサフサ&とってもスマート。凄くロックなステージング、♪好きサァ~♪。
ザ・カーナビーツ 左からポール岡田 越川ヒロシ


そしてザ・ジャガーズの沖津ひさゆき。80年代になってからだけど、エイギョウでよくザ・ジャガーズのMCさせてもらった。沖津さん、あのムーディーな雰囲気は全く変わらない。
▲沖津ひさゆき


そしてシャープ・フォークス、懐かしいコーラス・グループ。安岡力也さん(故人)とは仲よくさせていただいていただけに、トミー、サミー、ジミーの3人がステージに登場した時はこみあげるものを感じてしまった…。
▲シャープ・フォークス


そしてワイルド・ワンズ。僕は80年代のワンズ・ツアーのMCを務めたこともあった。加瀬邦彦さん(故人)とはジュリー・ライヴで席がお隣だったことも…。この日は植田選手が登場。楽屋でのトーク・マシーンぶりはそのままステージも発揮された。そしてキャア~という女性の声援とともにワンズ代表作「愛するアニタ」。歌うドラマー植田のお得意の楽曲。この日も往年のあのシャウトぶりをいかんなく発揮していたのだ。ちなみにこの楽曲はもともとザ・タイガース用だということを、終演後のお疲れさまパーティーで会った中村俊夫クンがどこかに書いていたっけ…。
▲植田芳暁


そしてエディ藩の登場、ザ・ゴールデン・カップス!60年代後半、横浜に行ってライヴを堪能した。彼らの「恋のあやつり人形」(オリジナルはジェームス&ボビー・ピューリファイ)はよく聴いていた。エディには拙書「ジャパニーズ・ロック・インタビュー集 時代を築いた20人の言葉」にも登場。いろんなイベントにも出演してもらった。よく呑みにも行った。そう言えば六本木のバーで「銀色のグラス」を歌ってもらったこともある。この夜はその「銀色のグラス」じっくりと歌い上げてくれた。大拍手である。
▲エディ藩


そして4年前の東京ドームを思い出すザ・タイガースLIVE。もちろんストーンズ・ナンバーがセットリストに加えられていた。この日のGSフェスには加橋かつみがジョイン。もちろん68年3月リリースのザ・タイガース5枚目シングル「花の首飾り」なのだ。
▲加橋かつみ
▲シングル「花の首飾り」(ザ・タイガース) from Mike's Collection


そして大トリは三原綱木!ジャッキー吉川とブルー・コメッツ67年のミリオン・ヒット「ブルー・シャトウ」を会場一体となって楽しんだ。60年代後半、GS時代へとタイム・トリップ。この素晴らしきイベントを企画&プロデュースした大野良治がここで見事なベースを披露した。
▲三原綱木
▲三原綱木&大野良治(ベース)


そしてアンコールは出演者がステージに勢ぞろいして「ツイスト&シャウト」。まさに感動の夜だった。【GSフェスティバル2018】期待してま~す!!!
帰宅途中、なぜかPYGのシングル「自由に歩いて愛して」を無性に聴きたくなってしまった…。広司、今夜もブライアン・ジョーンズやイアン・スチュワートとセッションしているんだろうな。
▲シングル「自由に歩いて愛して」(PYG) from Mike's Collection Pic.by K.Sato


☆☆☆☆☆☆☆
GS翌日、Blue Note TOKYOに向かった。この日はパティ・オースティンのファースト・ステージを堪能した。
僕の中でパティといえば、70年代後半から実に歌の上手いエモーショナルなR&Bシンガー。幼い頃から歌い始め、早くからプロを期待させるアーティスト能力を評価され、またクインシー・ジョーンズの秘蔵っ子としても知られた。そんな彼女の今回のステージは“PATTI AUSTIN sings ELLA FITZGERALD”。パティのリスペクトする20世紀アメリカ音楽界を代表する女性歌手、エラ・フィッツジェラルド(1917~96)へのトリビュート・ライヴ。2017年はエラ生誕100年である。1934年にニューヨークのアポロ・シアターであのハーレム・アマチュア・アワー(アマチュア・ナイト)で注目を集めた(パティもアポロで4歳の時に歌っている)。36年から60年末までBillboard誌のポップ・チャート(HOT100)に60近いナンバーを送り込んでいる。同誌R&Bチャートで調べてみても15曲がチャート・インしているのだ
パティは2002年にアルバム『エラ・フィッツジェラルドに捧ぐ/For Ella』を発表。ここ10年、機会を見つけてはエラ楽曲をセットリストに加えてきたという。今ツアーのステージでこのアルバム収録12曲をほぼそのままの形で進行、実に見事な構成で魅せてくれた。ユーモア溢れる曲間でのトークも会場を大いに沸かせたのだ。
▲アルバム『エラ・フィッツジェラルドに捧ぐ/For Ella』 提供:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント


(1)Too Close For Comfort

オープニングは56年のミュージカル「Mr.Wonderful」でサミー・デイヴィスJr.が歌った。同年、イーディー・ゴーメ(スティーヴ・ローレンスのデュオ盤はよく聴いた)でHOT100で39位を記録。エラは50年代後半に既にレコーディング。パティはリズミックな展開の中でソフトに歌いながらスタート。
PA:私の人生において最も愛すべき女性シンガーに尊敬と敬意を表し、彼女の歌を皆さんにお届けます。今夜はエラ・フィッツジェラルドのトリビュートですよ!
(2)Honeysuckle Rose

ファッツ・ウォーラーとアンディ・ラザフが29年のオフ・ブロードウェイ・レビュー「Lord Of Coal」のために共作。30年代に入ってフレッチャー・ヘンダーソン楽団(33)、レッド・ノーヴォ楽団(35)、ファッツ・ウォーラー(同)、ドーシー・ブラザーズ楽団(35)、ファッツ・ウォーラー/トミー・ドーシー/バーニー・ベリガン/ディック・マクドノウでポップ・チャートを賑わした。エラのお得意ナンバー、ライヴでもしばしば取り上げられ、カウント・ベイシーとの共演も知られる。パティは実にエモーショナルにしっとりと歌い上げる
(3)You'll Have To Swing It(Mr.Paganini) 

そしてパティがエラの初レコーディングで取り上げられた曲と紹介して歌い始めたのがこのナンバー。36年12月のBillboard誌のポップ・チャートで20位を記録。後半でぐっと盛り上がる印象的な作品。
PA:エラはチック・ウェブのバンド時代からヒットを出し始めました。“ノベルティ・ソング”を歌っていて、今でいうテイラー・スウィフトみたいな…。マネージャーになんと言われようと好きな音楽だけを歌い続けようとしたけど、偉大なるアメリカの楽曲を歌うように説得されついにその方向性へと進んでいったのです。そのターニング・ポイントとなったのが次のナンバーです。
(4)Our Love Is Here To Stay

“Love Is Here To Stay”“わが恋はここに”というタイトルで知られる。ジョージ&アイラ・ガーシュインが映画「The Goldwyn Follies」(華麗なるミュージカル)のために38年に共作したナンバー。同年、ラリー・クリントン、それにレッド・ノーヴォ楽団でポップス・チャートに登場。50年代以降は多くの映画作品にも使用された。エラでは59年に話題になった。エラ&ルイ・アームストロング・ヴァージョンもよく知られ、これは89年に映画「When Harry Met Sally」(恋人たちの予感)で使用された。パティは囁きかけるようにしっとりと歌い上げていく。見事な出来栄えだ。
(5)A Tisket A Tasket

パティが「エラが編曲して歌詞を書いた曲」と紹介して歌うリズミックなナンバー。19世紀から親しまれていたフォーク・ソング。38年エラで大ヒット、ポップ・チャートで10週1位に輝いている。
(6)Miss Otis Regrets

34年ロンドンのサヴォイ・シアターで上演されたミュージカル「Hi Diddle Diddle」のためにコール・ポーターが作った。同年エセル・ウォーターズでポップ・チャート19位を記録。ドラマティックなバラードをパティはシャウト気味なヴォーカルを織り交ぜながらダイナミックに仕上げている。
(7)Hard Hearted Hannah

このナンバーは24年に出版され同年ドリー・ケイ、ベル・べーカー、クリフ・エドワーズの3アーティストがポップ・チャートを賑わした。副題はThe Vamp of Savannah。軽快なリズムにのってパティは溌剌と歌う。オーディアンスも手拍子で会場のムードを高めていく。
PA:エンターテインメントの世界での結婚は難しい。エラは2度、失敗。このプロジェクトのプロデューサーで5年間彼女のドラマーでもあったグレイグ・フィールドに相談してみたの。「彼女の私生活を最も表現している曲は?」と。彼はこの曲だと答えたわ…。
(8)But Not For Me

それがこのナンバー。30年のミュージカル「Girl Crazy」のためにガーシュウィン兄弟が共作。舞台ではジンジャー・ロジャースが歌った。42年にはハリー・ジェームス楽団でポップ・チャートに登場。59年リリースのアルバム『Ella Fitzgerald Sings the George and Ira Gershwin Song Book』に収録。同年の映画「But Foe Me」(僕は御免だ)でもエラ・ヴァージョンが使用された。これまた実にしっとりとしたスロー・バラード。円熟味を増したパティのこうした唱法にますます磨きが…。
(9)Satin Doll

パティはフランク・シナトラほか多くのアーティストにも触れたり、シナトラ・ナンバーを口づさんだり…。デューク・エリントンの代表作、53年のヒット、そしてジャズ・スタンダードのこのナンバーが登場する。ちょっぴりワイルドに歌っているのが印象的。エリントン御大がビーリー・ストレイホーンと共作、後にジョニー・マーサーが歌詞を完成させた。エラ&デューク共演ヴァージョンもよく知られている。
(10)The Man I Love

このナンバーも有名なガーシュウィン兄弟作品。27年にミュージカル「Lady Be Good」のために書き下ろしたが、上演後すぐに作品にマッチしないと外されたという。しかし楽曲の素晴らしさは多くの関係者に認められ、翌28年にはマリオン・ハリス、ソフィー・タッカー、ポール・ホワイトマン楽団、フレッド・リッチ楽団がポップ・チャートに登場させている。37年にはベニー・グッドマン楽団でリバイバル。ガーシュウィンの名作バラードをパティはハートをドキドキさせるような雰囲気でこれまたしっとりと歌うのだった…。
PA:スキャッティングは、可能な限り、声を楽器のように“鳴らす”こと。ディジー・ガレスピーに教えてもらったの。彼はエラにもスキャットを教えたのよ。
(11)How High The Moon

モーガン・ルイス&ナンシー・ハミルトン40年のミュージカル「Tow For The Show」のために共作。同年ベニー・グッドマン楽団、ミッチェル・アイレスでポップ・チャートに登場。48年にスタン・ケントン楽団でリバイバル。そして51年にレスポール&メリー・フォードで再び注目を集め大ヒット、ポップ・チャート9週1位に輝いている。エラは60年にパート1&2のフォーマットでシングル・カット、HOT100で76位にランキングされた。パティのスキャットをふんだんに楽しませてくれたこのラスト・ナンバーに大拍手だ!この会場、BNTで何度も何度も楽しんだ仲良しのTAKE 6(クロード・マックナイトとは数回ご飯したことも…)とパティの共演ヴァージョンを久しぶりにチェックしたくなった。
(12)Hearing Ella Sing 

アンコール・チューン、パティはエラの素晴らしさを歌い上げた。アルバム『For Era』のアレンジャーのパトリック・ウィリアムス作品。歌詞にはビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ナット・キング・コールも登場(そういえばパティ&ナタリー・コールの(3)も懐かしい…)。ファイナルらしくよりスウィング&スウィングだった。
▲12月19日1stステージのセットリスト for Mike's Collection


*参考文献:「Joel Whitburn's POP Memories 1890-1954」「世界の名曲とレコード アメリカン・ポピュラー」(故・青木啓さんの素晴らしき著作)ほか

*Pic.by Takuo Sato

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