『おらおらでひとりいぐも』と、ゼッ
タイ読むべき芥川賞作品5冊

2017年下半期の芥川賞(第158回)に選ばれた若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』が売れている。芥川賞を受賞すると、それから一ヶ月満たずして発行50万部を突破(2月9日時点)。これは過去10年の芥川賞において、又吉直樹『火花』、村田沙耶香『コンビニ人間』に次ぐ3番目の数字だという。

ということは、ある面から見れば、この10年の日本の文学界において、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』は重要度トップ3に入る作品だという言い方もできるかもしれない。では、いったいどんな作品なのか? 稲垣吾郎も注目したこの作品、まずは『ゴロウ・デラックス』の予告映像と、作品のあらすじをチェック。
(TBS『ゴロウ・デラックス』芥川賞&直木賞SP 2018年3月8日)

あらすじはこちら。

結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。 身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。 「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」 40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。 捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは―― (若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』特設サイトより)

こちらから試し読みもできるのでぜひ。
特設サイトはこちらから。

若竹千佐子って誰? デビュー作で芥川
賞を受賞した主婦

(出典:『おらおらでひとりいぐも』特設サイトより)

若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)。1954年、岩手県遠野市生まれ。主婦。

55歳のとき、夫が脳梗塞で死去。悲しみにくれる日々を過ごすなか、小説講座に通い始める。
2017年に本作『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞を受賞し、デビュー。選考委員の保坂和志や町田康に絶賛される。デビュー作で第158回芥川賞を受賞。

芥川賞選考会ではほぼすべての選考委員が評価。

山田詠美「ファンキーで力強く、そして、どこか哀しい」 高樹のぶ子「多言語化は国際的な場だけでなく、個人の中の現象でもあることを発見させてくれた」 奥泉光「こうした「思弁」でもって小説を構成して強度を保つのは一般に難しい。ところがここではそれが見事に達成されている」 (『文藝春秋』2018年3月号の選評より)。

方言、心の声、地の文が溶け合う

本作の特徴のひとつに、方言を使った文体がある。小説の冒頭部分はこう。

 

あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ 何如(なんじょ)にもかじょにもしかながっぺぇ てしたごどねでば、なにそれぐれ だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら あいやぁ、そういうおめは誰なのよ 決まってっぺだら。おらだば、おめだ。おめだば、おらだ 桃子さんはさっきから堰を切ったように身内から湧き上がる東北弁丸出しの声を聞きながらひとりお茶を啜っている。ズズ、ズズ。 (若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』p1)

いきなり丸出しの東北弁で物語が始まるわけだが、これは主人公である桃子さん(74歳)の心のなかの声。夫を亡くし、ひとりになった桃子さんには、このようにたくさんの声が聞こえる。それぞれが人格を持ってお互いに喋りあい、ときに桃子さんに意見したり、ツッコんだりする。作中の言葉を借りれば、これがジャズのセッションのように際限なくせめぎ合い、重なり合う。

さらに、主人公である桃子さんの一人称と、広沢虎造の浪曲に影響を受けたとされる三人称の語りがそれらに混ざる。こうした三種類の語り手による文体が本作の面白さのひとつだ。

『おらおらでひとりいぐも』に通底しているのは、方言ーー標準語という軸と、心の声ーー地の文という2つの軸だ。そしてそれらがときおり交錯する。つまり、心のなかの無数の声が桃子さんや地の文に憑依し(という言い方は実は正確ではないのだが。なぜなら心の声は分裂した桃子さんの一部なのだから)、三者の境界線が曖昧になるということだ。そこにこの作者の独自性がある。

文学の世界では、「メタフィクション」という言葉が数年前に流行った。これは、書かれたものと書いている主体の距離や存在について語るときに多様される言葉だが、そんな小難しい言葉を挟む必要もないほどに、自由で豊かな語り口が本作にはある。

悲しみ積もって感動にいたる

と言っても、難しそうな作品だと構える必要はない。

たしかに冒頭部分の東北弁を見ると、読むにはちょっとエネルギーが必要な気がするかもしれない。しかし方言の意味自体は、適宜、地の文による解説が挟まれるし、前後の流れを参照すれば無理なく読み取れる。もし読み取れない箇所があるとしても、それは桃子さんの脳内の錯乱状態を表しているので、乱暴に言えば、読めなくてもいい。言葉の厚みや温かみを味わえばいい。ジャズを聴くときにすべての音を判別できなくてもその演奏を楽しめるのと同じだ。

さらに、夫の死について思いをめぐらす箇所はラブストーリーとして読めるし、共感を呼ぶポイントでもある。主人公が本当の悲しみを獲得するくだりは感動的ですらある。
 

体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを知らなかった。それでも悲しみと言い、悲しみを知っていると当たり前のように思っていたのだ。分かっていると思っていたことは頭で考えた紙のように薄っぺらな理解だった。自分が分かっていると思っていたのが全部こんな頭でっかちの底の浅いものだったとしたら、心底身震いがした。 もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも。 (若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』p114〜115)

「おらおらでひとりいぐも」とは、「私は私でひとり生きていく」という意味。

言語的に大きな挑戦をしながら、多くの人が共感できそうなストーリーを組み込む点に、作者の優れたバランス感覚が見える。こうした気配りが「むずかしい本」というレッテルから自由になっている要因のひとつなのかもしれない。

また終盤、過去の自分を幻視(?)するシーンにも強度がある。芥川賞を同時受賞した石井遊佳『百年泥』とあわせて、どちらもマジックリアリズム的な手法を自然に取り込んでいることは、偶然といえ面白い。

夫をなくし、痴呆が入りながら、ひとり老いていく自分。「老い」や「女性の自立」といったテーマは、一見ありふれているように思える。しかし、テーマ自体に優劣があるわけではない。どのようなテーマであろうと、その提示の仕方によって、優れた作品にも陳腐な作品にもなる。

小説とはそもそも言葉による芸術である、というシンプルな前提を思い出させてくれる稀有な一冊。
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(https://www.amazon.co.jp/dp/4309026370/
石井遊佳『百年泥』(https://www.amazon.co.jp/dp/4103515317

ところで、芥川賞って、なに?

さて、当たり前のように書いてきたが、そもそも芥川賞ってなに?

日本文学振興会オフィシャルサイトには次のようにある。

文藝春秋の創業者・菊池寛(明治21年~昭和23年)が、友人である芥川龍之介(明治25年~昭和2年)の名を記念し、直木賞と同時に昭和10年に制定しました。雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です(公募方式ではありません)。

「新進作家」や「純文学」といった言葉の定義が難しいが、ざっくりといえば、デビューして10年未満の作家による小説作品のうち、もっとも優れた作品に与えられる賞だという認識でよいだろう。授賞は年に2回で、上半期(前年12月から5月までに発表されたもの)の選考会は7月、下半期(6月から11月までに発表されたもの)の選考会は翌年1月に行われる。

選考は、まず日本文学振興会によって4~5編の候補作が選ばれる。候補作は、『文學界』『新潮』『群像』『文藝』『すばる』という5つの文芸誌に掲載された作品から選ばれることが多い。もちろん例外もある。たとえば、今村夏子『あひる』(たべるのがおそい)、黒田夏子『abさんご』(早稲田文学)、岩城けい『さようなら、オレンジ』(太宰治賞)など。

最終審査は約10名の小説家・批評家がつとめる。現在の選考委員は、小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美、吉田修一、の10名。

1956年、当時学生だった石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことで、マスコミに大きく取り上げられるようになった。以来、日本の文学界においてもっとも権威がある賞だとみなされている。

歴代の受賞作に開高健『裸の王様』、大江健三郎『飼育』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』など。近年では第130回(2003年下半期)の金原ひとみ『蛇にピアス』と綿矢りさ『蹴りたい背中』の同時受賞や、第153回(2015年上半期)の又吉直樹『火花』などが有名。

じつは芥川賞を受賞できなかった有名作家も多く、古くは太宰治、現代であれば村上春樹、よしもとばなな、高橋源一郎などがいる(『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったかーー擬態するニッポンの小説』という本まで出版されている)。

ちなみに、現在の選考委員である島田雅彦と山田詠美は芥川賞を受賞していない。島田雅彦は計6回候補となり、すべて落選している。

芥川賞、直近10年の必読作品5選

最後に、直近10年の芥川賞受賞作のうち、これは必読と思われる作品を厳選して5作品紹介。

・村田沙耶香『コンビニ人間』

第155回(2016上半期)受賞作。コンビニで働き続け、社会から外れた行動をとってしまう女性が、婚活目的で入ってきたダメ男と同棲する話。

村田沙耶香はその作風だけでなく本人の言動も変わっていて、作家仲間からは「クレイジー沙耶香」と呼ばれている。受賞当時もコンビニのアルバイトを続けていた。他の代表作に『消滅世界』『殺人出産』など。

批評家・小説家である小谷野敦の評が面白い。

だいたい芥川賞というのはつまらない小説に授与される伝統があるのだが、今回はどうかしてしまって史上三本の指に入る面白さである。 (Amazonレビューより)

村田沙耶香『コンビニ人間』(https://www.amazon.co.jp/dp/4163906185/

・又吉直樹『火花』

第153回(2015上半期)受賞作。売れない若手芸人の青春譚。切実で哀しい小説。芥川賞史上最大のヒット作でもある。

2016年にNetflixにて連続ドラマ化。主演は林遣都、波岡一喜。2017年には菅田将暉桐谷健太のダブル主演で映画化。2018年3月より、観月ありさ主演で舞台化。又吉直樹も本人役で出演予定。

近代文学へのリスペクトが強く、文章にやや硬さを感じるひともいるかもしれないが、読んだほうがいい。
(Netflixオリジナルドラマ『火花』予告編)

又吉直樹『火花』(https://www.amazon.co.jp/dp/4167907828/
Netflixオリジナルドラマ『火花』オフィシャルサイト(http://www.hibana-netflix.jp
映画『火花』オフィシャルサイト(http://hibana-movie.com
舞台『火花 -Ghost of the Novelist-』オフィシャルサイト(http://hibana-stage.com

・田中慎弥『共喰い』

第146回(2011下半期)受賞作。自分のなかに流れる父の血に怯える17歳の少年の話。血と性の匂いたつ小説。この作品でも方言は特徴的に使われている。

受賞会見での「もらっといてやる」という発言もフォーカスされた。

2013年に青山真治監督、荒井晴彦脚本で映画化。主演は菅田将暉。本作で菅田将暉は第37回日本アカデミー新人俳優賞を受賞し、トップ俳優への階段をのぼりはじめる。
田中慎弥『共喰い』(https://www.amazon.co.jp/dp/4087450236
映画『共喰い』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00HCTGVXW

・西村賢太『苦役列車』

第144回(2010下半期)受賞作。父の性犯罪で家庭が崩壊し、日雇いで稼ぎながら酒とソープだけを楽しみに暮らす19歳の少年の話。テイストは田中慎弥『共喰い』に近いか。

西村賢太は、私小説の書き手として名高い。明治文学を思わせる文章にときおり挟まれる現代語がキュート。本人のキャラも濃く、受賞後は数々のテレビ出演も果たしている。ワタナベエンターテインメント所属。受賞会見で「受賞の報を受けた時は何をされていましたか?」という問いに「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」と答え、芥川賞史上最強のパワーワードをうみだした。

2012年、森山未來主演で映画化。監督は山下敦弘。高良健吾、マキタスポーツら名演が光るが、前田敦子の女優としての才能も注目された。
西村賢太『苦役列車』(https://www.amazon.co.jp/dp/4101312842/
映画『苦役列車』(https://www.amazon.co.jp/dp/B009KTC258
『苦役列車』をNetflixで視聴する場合はこちら(https://www.netflix.com/title/80065352

・朝吹真理子『きことわ』

第144回(2010下半期)受賞作。「そろそろ風俗」の西村賢太と同時受賞。

貴子(きこ)と永遠子(とわこ)、かつて幼い日を葉山の別荘でともに過ごした2人が、25年後、別荘の解体をきっかけに再会する話。やや上級者向けか。

父は詩人の朝吹亮二。祖父はフランス文学者の朝吹三吉。大叔母は、フランソワーズ・サガンの翻訳などで有名なフランス文学者の朝吹登水子。つまり超サラブレット。

受賞当時の、朝吹真理子と西村賢太による対談がこちら。まさに美女と野獣。
(特別対談「朝吹真理子×西村賢太」vol.1 Shincho LIVE!)

朝吹真理子『きことわ』(https://www.amazon.co.jp/dp/4101251819/

『おらおらでひとりいぐも』と、ゼッタイ読むべき芥川賞作品5冊はミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。

ミーティア

「Music meets City Culture.」を合言葉に、街(シティ)で起こるあんなことやこんなことを切り取るWEBマガジン。シティカルチャーの住人であるミーティア編集部が「そこに音楽があるならば」な目線でオリジナル記事を毎日発信中。さらに「音楽」をテーマに個性豊かな漫画家による作品も連載中。

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