【インタビュー後編】マイケル・シェ
ンカー・フェスト「ありとあらゆるビ
ッグネームから加入のオファーが舞い
込んできた」

ゲイリー・バーデン、グラハム・ボネット、ロビン・マッコーリー、ドゥギー・ホワイトという歴代の4大シンガーと再合体し、1980年代の鋭さを取り戻したといわれるマイケル・シェンカーのギターが全編冴え渡るニュー・アルバム『レザレクション』が、2018年2月28日に世界に先駆けて日本先行発売となった。日本では8月から9月にかけて3度目となる<マイケル・シェンカー・フェスト>も開催となることも発表された。
インタビュー後編では、マイケルと日本の長く密接な関係、そして去って行った彼の戦友たちについて話してもらおう。
──あなたが初めて日本を訪れたのは、1981年8月にマイケル・シェンカー・グループを率いてのジャパン・ツアーでしたが、どんなことを覚えていますか?
マイケル・シェンカー:初めて日本でツアーをしたのは、アルバム『神話』(1981)を作っている最中だった。レコーディングを終えて、ロン・ネヴィソンがミックスをしていたのを覚えている。コージー・パウエルやクリス・グレン、ポール・レイモンドのいるスーパーグループで、ロンドンのシェパーズ・ブッシュのスタジオでリハーサルしてから日本に飛んだんだ。日本に着いて最初の思い出は、空港から東京都内のホテルまでが遠いということだった。そしてホテルに着いたらロビーに大勢の人たちが待っていて、「誰か有名人が泊まっているのかな?」と思っていたら、俺たちのことを待っていたんだ。コージーはレインボーで日本に来たことがあったし、余裕の表情だったけど、俺はもうビックリしたよ(笑)。到着してメルセデスに乗せられて武道館にサウンドチェックに行ったんだ。そのときも何千人ものファンが待っていて、車が通り過ぎる瞬間ものすごい声援を送ってきた。ライヴも最高の盛り上がりだったよ。不思議だったのは、まだ発売になっていない『神話』の曲を日本のファンが一緒に歌っていたことだった。「Are you ready to rock?」とか、思えばシンプルなフレーズだったけど、コージーと「何で彼らは一緒に歌っているんだ?」と顔を見合わせたのを覚えている。
──それから何度も日本を訪れていますが、日本はどのように変化したでしょうか。
マイケル・シェンカー:もう何回、日本に来たかわからないよ。20回以上は来ていると思うけど、素晴らしい文化と自然に恵まれた国だね。最初の10年はほとんど日本を知ることができなかったんだ。ホテルのロビーに出ると大勢のファンが待ち構えていて、どこにも行けなかったからね。それでも外に行きたくて、東京で早朝の5時にジョギングをしたことがある。1983年だったかな…まだ外は暗いのに、広場で太極拳をやっている人が大勢いたのを覚えている。1990年代に入って、少しは出歩けるようになった。俺の人気が落ちたのではなく、日本の人々がロック・ミュージシャンに慣れたんだと思う。それから日本を楽しめるようになった。印象に残っているのは、大阪の人のファッションかな。1990年代は、ショッピングアーケードを歩いている人たちが全員1980年代のロック・ミュージシャンみたいなド派手な格好をしていた。俺の方がずっと地味なファッションだったよ(笑)。俺が日本にいるときは大体、午前1時ぐらいに目を覚まして、自分がどこにいるんだろう?と不思議に思うところから始まる。そうして時差ボケを誤魔化しながらインタビューとサウンドチェック、ライヴで一日は終わってしまうけど、東京でオフの日があると渋谷や原宿でショッピングをしたり、日本を楽しんでいるよ。
──あなたが1978年にUFOを脱退した後、あらゆるバンドがあなたを加入させようとして、また当時マネージャーだったピーター・メンチがさまざまなミュージシャンとあなたを組ませようとしていました。そんな中で、やればよかったと思うプロジェクトはありましたか?
マイケル・シェンカー:特になかった。ありとあらゆるビッグネームのバンドから加入のオファーが舞い込んできたんだ。ホワイトスネイク、エアロスミスモーターヘッド...でも俺はそれまでUFOでやってきたし、既存のバンドでやる気はなかった。誰かのバンドに入っても結局、同じことの繰り返しだからね。それよりも自分の音楽をやりたかったんだ。マイケル・シェンカー・グループを始動してからも、まだオファーがあった。オジー・オズボーンのバンドのギタリスト、ランディ・ローズが飛行機事故で亡くなったんで(1982年)、代役としてギターを弾いて欲しいとかね。当時はマイケル・シェンカー・グループで活動することにこだわりを持っていたし、ギャラの話もせずにすべて断ったよ。
──今だったら共演してみたいミュージシャンはいますか?
マイケル・シェンカー:今では、運命が持ってくるものだったら受け入れる用意はある。ロバート・プラントやロッド・スチュワートと一緒にやっても面白いんじゃないかな。1970年代に、UFOとロッドで一緒に北米をツアーしたことがあるんだ。俺たちの演奏中、彼の奥さんだったブリット・エクランドが写真を撮っていたのを覚えているよ。ロッドのバンドのドラマーはカーマイン・アピスだった。当時は今ほど英語が話せなくて、あまりロッドとしゃべる機会がなかったんだ。カーマインとは後に一緒にプレイしたことがあるけどね。彼は凄いドラマーだ。既存のルールなんて、すべて吹っ飛ばしてしまう。カーマインとだったら、ぜひ新バンドを組んでみたい。それと、サミー・ヘイガーとは数年前に何かの授賞式(2012年、ヴェガス・ロックス誌)でジャムをやったんだ。モントローズの「ロック・キャンディ」を共演した。ベーシストはマイケル・アンソニーで、ドラマーは知らない人だったけど、ポールなんとかって、素晴らしいドラマーだった(元パンテラのヴィニー・ポール)。あのラインアップだったらバンドを結成して、世界を回ってみたいね。
──かつてあなたは「他人の曲をプレイするのは好きでない」と話していましたが、近年は『ヘヴィ・ヒッターズ』(2005)やシェンカー・パティソン・サミットでの2枚のアルバム(2004/2005)を発表するなど、カヴァー曲に対する抵抗がなくなったのでしょうか。
マイケル・シェンカー:他人の曲をカヴァーするのは、好きではないというより苦手なんだ。自分が書いた曲ではないから、覚えられないんだよ。数年前(2015年)に<70000トンズ・オブ・メタル>クルーズの船上ライヴに参加して、ジミ・ヘンドリックスの曲(「紫のけむり」)とAC/DCの曲(「ショット・ダウン」)をいろんなミュージシャン達と共演したんだ。その場は何とかなったけど、次の瞬間には忘れてしまったよ。
──かつてモット・ザ・フープルの「メンフィスからの道」をプレイしましたが(『コントラバンド』/1991)、今でも覚えていますか?
マイケル・シェンカー:おそらく自分が望むような形では弾けないだろうね。やるならちゃんと弾きたいんだ。ただ、他人の曲を練習する時間があったら、自分の新しい曲を練習したいんだよ。人生は短すぎる。自分もできるうちにベストを尽くしたいんだ。
──最近亡くなったミュージシャンで特に心に残った方はいますか?
マイケル・シェンカー:デヴィッド・ボウイが亡くなったのはショックだったね。彼の音楽はあまり馴染みがなかったけど、とても個性的なキャラクターだった。彼が亡くなった日(2016年1月10日)は俺の誕生日だったんだ。冷たい水をぶっかけられたようだった。ジャック・ブルースとはキャッスル・ドニントンのイベントで共演したことがあったし(2001年<レジェンズ・オブ・ロック>)、ゲイリー・ムーアとはブライトンで近所だった。ファンでなくても、自分と同世代のミュージシャンが亡くなるのは悲しいよ。AC/DCは常に最前線で活躍するロック・バンドだったけど、マルコム・ヤングが亡くなってブライアン・ジョンソンが引退して、一瞬にして崩壊してしまった。ロック・バンドの儚さを感じたね。他の仕事でも同じだと思うけど、ミュージシャンをやり続けることは、仲間を失う喪失感を味わい続けるということなんだ。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムが亡くなったとき(1980年)もショックだった。彼と共演できなかったのは、俺のキャリアにおいて唯一といっていい心残りだよ。
──一方で、エルトン・ジョンやスレイヤーのように、存命のうちに引退宣言をするアーティストもいますが、彼らに共感はおぼえますか?
マイケル・シェンカー:あまり否定的な言い方は避けたいけど、ミュージシャンの引退宣言というのは、自分がまだ現役だということを人々に知らせる手段のような気がする。スティングは長いあいだトップで活動してきたアーティストだけど、その存在が当たり前のように思われてしまうよね。エルトン・ジョンの場合、まだ現役だということを世界中の人々に再認識してもらうのが理由のひとつじゃないかな。そうしてサヨナラ公演の最後に「また来年会おうね」とステージを後にするんだ(笑)。
──あなたが引退するのはいつでしょうか?
マイケル・シェンカー:引退?そんなものしないよ。ギターを弾けなくなったらもう止めるだろうけど、大々的なフェアウェル・ワールド・ツアーを自分がやる姿は想像できない。自分の人生、あまり先のことは考えないんだ。大事なのは今だからね。
取材・文:山崎智之
マイケル・シェンカー・フェスト『レザレクション』


500セット数量限定CD+ボーナスDVD+Tシャツ 6,500円+税

CD+ボーナスDVD 4,000円+税

CD 2,500円+税

<マイケル・シェンカー・フェスト日本
公演>

8月29日(水)大阪 ZEPP NAMBA

8月30日(木)名古屋 ZEPP NAGOYA

9月2日(日)札幌 ZEPP SAPPORO

9月4日(火)仙台 PIT

9月5日(水)東京国際フォーラムホールA

[問]東京音協 https://goo.gl/rix6b5

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