日本のオーケストラの礎を築いた恋多
き作曲家、山田耕筰の足跡と管弦楽作
品を、NHK-BSプレミアム『クラシック
倶楽部』で紹介

山田耕筰(1886~1965)は、一般に『赤とんぼ』『からたちの花』『待ちぼうけ』『この道』をはじめとする歌曲の作曲家として知られている。だがそれだけではなく、日本人で初めて交響曲や交響詩を作り、プロのオーケストラを組織するなど、文明開化期の日本に管弦楽の礎を築いた人であった。俳優の中島歩がその足跡をたどりながら、山田が希望に燃える若き日に作曲した管弦楽曲を、広上淳一指揮、東京フィルハーモニー交響楽団演奏でお届けする。
山田は、東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽科卒業後、三菱財閥の岩崎小弥太男爵(1879~1945)の支援を受けて、1910年(24歳)から約4年間ドイツに留学。ベルリンでマックス・ブルッフ(1838~1920)らに作曲を教わり、1912年に『序曲二長調』や交響曲『かちどきと平和』、1913年に交響詩『曼陀羅の華』など、管弦楽曲を積極的に創作した。帰国後は、これらを、岩崎が主宰していた音楽会「東京フィルハーモニー会」で、自ら指揮して初演し、楽団の常設化に乗り出す・・・。実に順風満帆にみえるが、破天荒な私生活が影響して、楽団解散という事態を招いてしまう。
山田は恋多き男で、ドイツ留学前から帰国後30歳頃までは、日本人やドイツ人の女性と浮き名を流し、婚約しては解消するの繰り返し。まさに「教科書に載せられない」私生活で、最初の結婚をするや今度は不倫騒動を起こし、岩崎男爵の逆鱗に触れて楽団支援を打ち切られ、たった1年で前述の楽団解散を余儀なくされたのだった。だがオーケストラへの思いは強く、後に、NHK交響楽団の前身となる日本交響楽協会を創設するも、仲間との不協和音で分裂など、波瀾万丈の人生はまだまだ続くのであるが。
さて、留学時代の山田は、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)に傾倒。弟子入りを志願するも講師料が高くて断念したときく。R.シュトラウスといえば、映画『2001年宇宙の旅』の『ツァラトゥストラはかく語りき』が有名である。管楽器や弦楽器を駆使し打楽器を効果的に用いた色彩豊かでどこか官能的でもあるサウンドは、なかなか複雑だ。
山田はそれを独学で研究し、1913年に交響詩『曼陀羅の華』を作曲。父を亡くした親友の詩や心情をモチーフに書いたといわれる。詩は、真っ赤な太陽が沈んで、暗闇に浮かぶ父の幻影を追いかけようとするが見失ってしまい、辺りをひととき曼荼羅の華が照らすも、闇となって花が散る・・・といった内容だが、R.シュトラウスの『死と変容』の影響を感じる楽曲である。
ちなみに、山田の「日本に西洋音楽を」という思いは、やがて40歳頃からは、日本語の語感や詩情を生かした歌曲を通じて広く一般に向かうこととなる。変拍子を取り入れた『この道』『からたちの花』などはそれを象徴する曲だ。いずれも万人向きの唱歌の体で、時代を超えて歌い継がれ、今日も愛唱されている。
番組では、山田が若かりし頃に情熱を注ぎ込んだ管弦楽作品を紹介するとともに、指揮者の広上と慶応大学教授の片山杜秀が「山田耕筰とオーケストラ」について語る。
文 原納暢子

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