岡藤真依『どうにかなりそう』名づけ
えぬものにこそ価値がある
岡藤真依『どうにかなりそう』とは?
人を好きになるときのピュアな衝動やもどかしさ、エッチで切ない思春期の淡い感情が丁寧に描かれている。ミュージシャンの曽我部恵一を泣かせ、吉澤嘉代子には「学校の教科書に入れて欲しい」とまで言わせた。
あまりに純で、すこし泣いた。
岡藤真依「どうにかなりそう」 pic.twitter.com/My3XmAqG00— 曽我部恵一 (@keiichisokabe) 2018年1月7日
学校の教科書に入れて欲しい。こんな風に人を好きになれたら、生きている意味そのものになると思うから。
岡藤真依さん「どうにかなりそう」https://t.co/BVVe3on3mG pic.twitter.com/eKFfdn7v1o
— 吉澤嘉代子 (@yoshizawakayoko) 2018年1月9日
岡藤真依さんの「どうにかなりそう」、ネットでもドキドキしながら読んでましたが紙の本になるとますます良いです。フルカラーがきれいだし、一冊の本としてラストに向けて高まっていく様がたまらんので気になる方はぜひ手に入れてみてください。 pic.twitter.com/xOjGSVJJ5C
— 小玉ユキ 2/9単行本2冊同時発売 (@yukicdm) 2017年12月20日
前になにかで見て感心したやつだ。単行本になったのか、これは買うよ。 https://t.co/vzdVzltBI5
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) 2017年12月13日
関西のリーサルウェポン岡藤真依さんのマンガを読んでいるけど
まず表紙から一筋縄ではいかなさが伝わってくる pic.twitter.com/nYTnqjt4da— 小山健 (@koyapu) 2017年12月20日
岡藤真依さんの『どうにかなりそう』思春期のモヤモヤと一途さと自分を抱えきれない切なさが詰まってた。お気に入りは初体験のくだり。無音で、飛び込み台から手を繋いだ2人がプールにDIVEしてもがき苦しみ浮上し穏やかに抱き合うって描写。美しくて、汚れちまった悲しみに…が頭の中でリフレイン。 pic.twitter.com/3DKdkp79GU
— 森林原人☆オンラインサロン開設! (@AVmoribayashi) 2018年1月22日
「自分をさらけ出すこと」と「相手を受
け入れること」
エロい漫画?と思うかもしれない。その指摘は半分は正しいが、半分は正しくない。
上の画像で、主人公の女性は自分の性器のことを「私にもあんなものがついてるんやと思ったら怖くて……」と表現している。この言葉を文字通り受け取るとするなら、彼女は、自分の性器を”おぞましいもの・醜いもの”だと思っているわけだ。自分の一部はおぞましく醜い。それを見せることは自分をさらけ出すことでもある。
自分の裸を誰かに見せる。それは普段隠されている自分の身体を見せることだが、同時に、自分自身=心をさらけ出すことでもある。
ここから、本作の2つのテーマが読み取れる。ひとつは、「自分をさらけ出すこと」。もうひとつは、「相手を受け入れること」。
『どうにかなりそう』が多くの人の心を動かすのは、「自分をさらけ出すこと」と「相手を受け入れること」の怖さや難しさ、気持ち良さ、尊さなどを描いているからだ。
第1話の終盤、裸を見たあとに「…綺麗やった」と誠(まこと)が答える。そして最後のカットは綺麗な満月で終わる。このカットの美しさには様々な想いが込められているのだろう。「あんなもん」を「綺麗」と思う誠の心の美しさ。相手を受け入れることの尊さ。性愛への淡い目覚め。そしてもちろん、かつて夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したというエピソードも参照されているはずだ。
短い物語が様々な含みを持って、深い余韻を残す。
初体験とは、なにかを”失う”のではな
く”得る”こと
かつては処女という意味の「生娘(きむすめ)」という言葉が日常的に使われていた。「生娘かどうか」は女性の価値に大きな影響を与え、婚姻前にチェックされることも頻繁にあったという。「実は生娘ではなかった」は、立派な離婚の原因になったそうだ。現在の人間からすると信じられない感覚だが、それくらい、初体験をすることはなにかを”喪失”することであり、”喪失”した女性は”傷物”なのだった。
しかし、当たり前のことだが、初体験は喪失ではない。あたらしい経験や世界とのより濃密な出会いであり、獲得だ。
『どうにかなりそう』では、初体験は感動的な出来事として描かれる。
前夜、恋人との初めての夜を妄想し、思わず自分の腕を抱きかかえるさま。その腕に跡ができてしまうほどキスしてしまうさま。そして、ふたりで飛び込み台からプールへ飛び込むという比喩で表現されるその行為。初めての秘めごとのあとに流す、一粒の涙。これらがほとんどセリフなく淡いタッチで描かれているので、ある種の感傷を誘う。
もちろん、なにかを得ることは良いことばかりではない。あたらしい世界に出会うことであたらしい問題もうまれる。たとえば本作では、ラストに向かって”嫉妬”という問題が徐々に浮かびあがってくる。感動的な描写と、やがて直面するであろう崩壊の芽がバランス良く織り交ぜられていることによって、『どうにかなりそう』は「ただの良い話」でも「ただのエロい話」でもない独特の味わいのある作品になっている。
名づけえぬものにこそ
美しいものに出会った時もの凄く心が震える 嬉しいねんけど悲しくもなる そういう感動を… 私は表現したい (岡藤真依『どうにかなりそう』p135)
彼女が描きあげた絵のタイトルは『無題』。思春期の少年少女は、まだその感情に名前をつけることができない。
しかしおそらく数年後、名づけえぬものこそが人生においてもっとも価値あるものだと知ることになるのだろう。
そしてそのとき、かつての少年少女は、あまりの純粋さに「すこし泣く」のかもしれないーーそう、たとえば曽我部恵一のように。
書籍情報
著者:岡藤真依
定価:1,199円(税別)
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岡藤真依『どうにかなりそう』名づけえぬものにこそ価値があるはミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。
ミーティア
「Music meets City Culture.」を合言葉に、街(シティ)で起こるあんなことやこんなことを切り取るWEBマガジン。シティカルチャーの住人であるミーティア編集部が「そこに音楽があるならば」な目線でオリジナル記事を毎日発信中。さらに「音楽」をテーマに個性豊かな漫画家による作品も連載中。