【インタビュー】マキタスポーツ「音
楽界のジョーカー的な役割ができれば
いいなあ」

2018年に芸能生活20年を迎えたマキタスポーツが、<オトネタ¥7500>と名付けた20周年2daysライブ(2018年1月23日、24日)をCOTTON CLUBで開催する。役者としても異彩を放つマキタスポーツだが、芸人でありミュージシャンであり、作家、パーソナリティ…と様々な顔をも持つ人物だ。水道橋博士に「才能が渋滞しているオフィス北野の最終兵器」と言わしめる多彩な才人だが、その源流に足を踏み入れると、どうやら彼の身体には音楽の血が色濃く流れているようだ。
多面体のような才を放つマキタスポーツにとって、音楽とは何か。数多のミュージシャンとはまるで異なった音楽表現への切り込み方は、機知に富んだ独創性あふれるものだった。
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■ 単純に笑えばいいわけではなく

■ 「新しい価値観」が提示されたときのザワッとする違和感
──2018年で芸能生活20年だそうですが、音楽との関わりも長きにわたりますね。
マキタスポーツ:一番最初に芸人としてデビューしているんですけど、その前には音楽活動があって、僕のイメージとしては「音楽とお笑いを両立させるようなもの」をやりたかったんです。
──やはり根底に音楽があったんですね。
マキタスポーツ:そうですね。でもバンドがうまくいかなくなってしまったので、もう一方のお笑いで何とかしようと。僕は漫才をやりたかったんで、相棒と呼べる人もいたんですけど、それもなくなってしまったんでひとりで動くしかないと思って飛び込んだのが芸人の世界だったんです。それが1998年。
──自分の中では、音楽と芸事って両立していたんですか?
マキタスポーツ:全然両立してましたねえ。
──音楽とお笑いが融合された芸というものに対し、まわりの理解/評価は?
マキタスポーツ:あんまりなかったですね。当時からMCがおもしろいバンドマンとかはいたんですけど、僕はもっと演芸寄りで人がやってないことをやりたかったんです。1990年代前半だったかな…当時の音楽シーンではコミックバンドのような形式のものはなかったし、今でいうゴールデンボンバーみたいなことをやってる人もいなかった。面白いことをやってる米米CLUBなどはとっくにメジャーで大活躍していたし、そういう意味では誰もやっていないことを目指したかったから。
──影響を受けた人たちというのは?
マキタスポーツ:幼いときからたけしさんが好き。あとコロッケさん。形態模写なんだけど早回しの「シンデレラ・ハネムーン」とかやっていたじゃないですか。ダディ竹千代&東京おとぼけCats、ビジーフォーとか、音楽の基礎があるという意味ではドリフターズとかハナ肇とクレージーキャッツですけど、リアルタイムでは見ていないので…。
──世代が違うんですね。
マキタスポーツ:そう。ドンキーカルテットとか玉川カルテットとかもそんなに見ていたわけではないので、あんまり馴染みがなくて。カルチャー的には、漫才ブームが起こって、たけしさんとかタモリさんがやっていたことに、当時のお笑いとは違った新しさを子どもながらに感じていました。
──あの時代において、彼らは非常にパンキッシュな存在でしたよね。
マキタスポーツ:そうですね。僕らの世代のリアル。演芸ってちょっと古くさいイメージもあったんで、そういうものから急激に変わっていく瞬間…そういう変革者であるたけしさんであったりタモリさんであったりね。もうちょっといくと、とんねるずとか出てきたり。とんねるずは音楽もやってましたもんね。
──既成概念をぶち壊し、新たな価値観を創造してきた連中だ。
マキタスポーツ:一方で、それこそMTV世代ど真ん中ですから、ハードロックにしてもマイケル・ジャクソンとかにしても、ああいう洋楽を見てきたんで、従来あった日本の歌謡番組とかがちょっと古くさく感じたんです。
──それは何歳くらいの時ですか?
マキタスポーツ:中学に上がったくらいかな。マイケル・ジャクソンも活躍していて日本で言うと佐野元春さん…とかかな。言葉の置き方/譜割りが従来の歌謡曲では聴いたことがないような言葉の使い方で。「ロッキングチェアから転がり 頭を灰皿にぶつけて マドモアゼルからマッシュポテト ライ麦畑でついに迷子」(「It's Alright」)とか、言ってることまったくわかんないけどその譜割りとかが笑っちゃう。なんかああいうのが、笑いながらもカッコイイって思ってた。
──わかります。
マキタスポーツ:サザンオールスターズにもシンパシーを感じましたけど、時代を変えた人たちとか潮目のアイコンの人たちが目に焼き付いていて、僕はそれを笑いをもって見ていたところがありました。もちろん何でもかんでも笑えばいいというものでもなく、「粋」というか「価値観を転倒させてしまうもの」ですよね。1970年生まれの僕はザ・ビートルズもリアルタイムで見ていないし、ましてやエルビス・プレスリーも生で見ていないけど、「カッコいい」って心酔する人と同時に「何だあれは?」と思われたり、エルビスなんかアメリカ本国ではあまりにも奇天烈なもので笑いをもって迎えられたりしたでしょう?
──チャック・ベリーもそうかもしれませんね。
マキタスポーツ:チャック・ベリーも多分に道化な要素がありますよね。世に出るときに笑いをある種のテクニックとして使っていたところもあると思うんです。いとうせいこうさんが日本で初めてラップをやったとき、クラブという概念も無かった頃で、やはり笑いをもってわかりやすくしたという話があります。最近のように「騒げ〜騒げ〜」という様式美が無かった頃に「騒げ〜」とか言われたら笑っちゃうじゃないですか。そういうのをあえて使ったところにシンパシーを感じます。単純に笑えばいいわけではなく、「新しいもの」とか「新しい価値観」が提示されたときのザワッとする違和感というか。
──粋ですね。
マキタスポーツ:僕は未だに苦労していることでもありますけれど、普通のミュージシャンとはメンタル面が全然違うと思うんです。
──「なぜステージに立つのか」…その、向いている方向も全然違う気がします。
マキタスポーツ:全然違いますよね。「カッコいいこと」を「そのまま素直にカッコつけてやれるかどうか」ってことがミュージシャンには重要だと思うんですけど、それが僕にはできないんで。
──それ自体がカッコ悪いんでしょ(笑)?
マキタスポーツ:そうですね。だから曲がった表現とかになるし、いろいろ考えるわけです。ちゃんとした曲はやるけど、MCではギターの彼と僕が急に漫才になっているとか、漫才をやった後にシリアスな曲をいきなりやるとか。でもね、そうすると相棒になるギタリストが「なぜ漫才をやるのかがまったくわからない」って言う(笑)。
──…でしょうね(笑)。
マキタスポーツ:ギャグ的フォーメーションを組んだり試行錯誤してやるんですけど「音楽に何の関係があるの?」っていう(笑)。なかなか歌に入れないでカウベル一発でコン!ってずっこけるとか、そういったオールドスクールなのは演りたくなかったから、いろいろ考えて、映像が使えないか?とか。でもプロジェクターを持ち込むのは大変だからスケッチブックで紙芝居にするぞとかやるんですけどね。
──ダディ竹千代&東京おとぼけCatsのような、古典的な音楽パロディとは違うわけだ。
マキタスポーツ:おとぼけCatsは全員演奏力があって、従来のコミックスタイルを踏まえた上でより過激にパフォーマンスをしていたところがあるでしょう? 音楽的なパロディも、例えばジョン・ボーナム風なことをあれだけの技術力でやるわけで、同じことはできねえなとも思う。
──なるほど。
マキタスポーツ:パロディの系譜で言えば、楽曲の模写ではすでに清水ミチコさんもいたし、さかのぼればタモリさんもね。それでいろんなアイディアを考えたりするものの見えているのは僕だけで、それをバンドメンバーにうまく伝えることもできない。
──確かに、付いてこれる人がそんなにいるとも思えない。
マキタスポーツ:今思えば、僕がわかりやすい設計図というか台本/脚本を書いて「この通りにやって」って言ったほうがわかりやすかったと思うんですけど。
──でも、それをやりたいバンドマンなんていない。
マキタスポーツ:そうなんですよね。はい。
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■ 最近言いがちな言葉に、「すごい流行ってるんでしょ? 知らないけど」ってあるじゃないですか
──音楽は反芻する芸術ですが、お笑いはモノによって一回勝負の性質があります。エンターテイメントとしてその質感の違いは、自分のなかで折り合いはついていたのですか?
マキタスポーツ:いや、それはいつも悩みどころでした。その場限りのライブ感で笑いを取ることはできるんですけど、それを何回も複製できるのか?っていうと、それは水物でできないものもある。少なくとも1980年代のお笑い…たけしさんたちが中心になっていた『オレたちひょうきん族』とかって、今観るとなんかしっくりこないというか。
──そうですか?
マキタスポーツ:それは、その場の空気とか時代のノリとか、選挙でいうところの「風」ですかね。完全に風が吹いていた状況の中で、体験的に同じ空気を吸っていたんだっていう感覚がそうさせていたわけです。
──面白かったことは事実ですもんね。
マキタスポーツ:面白かったのは間違いない。でも今見ると、ドリフターズの練られたコントとかの方が普遍的でスタンダードだしラディカルなんですよね。ロジカルに積み上げて作り上げられて、どこを壊すかがよくできているから、自分の息子や娘たちに今見せてもドリフは笑いますよ。だけど、ひょうきん族は不思議と笑わない。
──それは興味深い。
マキタスポーツ:もっと言うと、時代の空気を吸うとか同じ日本語を使い日本の経済状況の中にいるっていうこと自体のライブ感なんです。その文脈がコードとして入っていないことには、ずれ込むことも笑えない。より情報社会になっていったということだとも思うし、漫才ブーム以降のお笑いは明らかにハイコンテクストなものになっていっているわけですよね。ドリフのような普遍的なものが外国人にもわかるのは、言葉を利用していないからなんです。
──なるほど。
マキタスポーツ:お笑いは日本の中で花開き爆発し、継続してなぜかサブカルチャーから今もなおメインストリームにある。ロックは輸入品ですけど、日本は、日本語を使うお笑いで発達したポップカルチャーだと思うんです。お笑いは大衆文化ですから。そんな中で、一発ギャグのような戯けがだんだん通用しなくなってきて、言葉やいろんな要素が文脈に入っているものを共有していくことで、外国人にはますます解らないものになっていくという進化をしている。
──ええ。
マキタスポーツ:でも音楽は、言葉が分からなくても引っかかる要素がある。メロディとかにしても。
──インストなんか最たるものですね。
マキタスポーツ:何回聴いても心地いいとかね。で、ぐるっと一周して僕は芸人として音楽ネタを始めて行くわけですが、音楽通とか僕が好きなアーティストを好きな人にしか通用しないような、濃くて狭くて細くて深いネタばっかりになっていったわけです。未だに僕の場合は、老若男女すべての層に当てられるような音楽ネタって、数えるくらいしかない。
──でも、濃くて細くて深いネタこそ、望むところでもあるのでは?
マキタスポーツ:そうですね…ジャンキーみたいなところもあるんで、濃いものじゃないと自分が納得できないとかね。だた、10年以上前だったら「これについてこれない人はダメなんだ」くらいの勢いでやっていましたけど、今はそんなこともなくて、いろんな人たちが楽しめる音楽ネタを作らなければいけないというのが、一番テーマだったりしますよ。
──「わかんないやつはバカ」みたいな思考は、若さゆえということですか?
マキタスポーツ:そうだったかもしれないですね。それはあると思います。
──それが変わってきたのは、どうしてでしょう。
マキタスポーツ:経験がでかいと思いますね。単純にその狭い細い道をやっていたことに自分が飽きたんです。はっと気がついたら「いつも同じお客さんに向けてしかやっていない」ことがつまらないなって思った。人と同じじゃないことをやりたいっていう天邪鬼的な考え方が根本にあるのならば、今の時代は、人と同じことをやらないこと自体が一番凡庸なことですよね。大衆が存在していない/お茶の間がないっていう時代ならばこそ、今一番のカウンターは、より大勢の人たちに向けて納得されるようなポップスを作ることだとも思います。
──なるほど。
マキタスポーツ:いろんなコミュニティ内で充足するようなエンタメはいくらでもある。言いがちな言葉に「すごい流行ってるんでしょ? 知らないけど」ってあるじゃないですか。
──ぶは(笑)。
マキタスポーツ:そういうのは現代的ですよね。「流行ってる。知らないけど」ってどういうことなんだよって思うけど(笑)。俺自身も言ってますからねえ、「すごいんだって?…知らないけど」って(笑)。なんとなく領域というか認知の場みたいな中で、そうじゃないエリアがいっぱいあって局所的に熱い盛り上がりをみせたりね。音楽で言えば、世間的には知られていない人が武道館をやったりとか…ヴィジュアル系でもよくありますよね。音楽だけに限らずいろいろと。
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■ 「サチモスがいい」「お笑いなんか興味がない」って言ってる人たち

■ その両方が通れる道になる音ネタを
──音楽には、時代を超えて普遍的に聴ける作品と、古き時代性を感じてしまうものがありますが、その違いはどう捉えていますか?
マキタスポーツ:ちょっと話ずれちゃうかもしれませんけど、まもなく16歳になる娘が沢田研二さんにすごくはまっていたんです。今は(山口)百恵ちゃんに夢中なんですけど、とにかく16歳くらいの女の子からみると、クールでヒップというか、イケてるものに見えるみたいですね。
──どうやってそこに行ったんだろ。
マキタスポーツ:そこは血かも知れないですね。自分のライブやフェスにも小さい頃から連れて行っていたし、僕のうちにはいろんな表現者たち…芸人や俳優やミュージシャンも遊びにくるから、そういうものは彼女のマインドに影響しているとは思います。彼女に聞くと、最初は銀杏BOYZの峯田君が好きでインスタか何かをフォローしていたらしいんですけど、峯田君が『悪魔のようなあいつ』という沢田研二さん主演のドラマの画像をアップしたことで、沢田研二に興味を持ったらしい。ま、そういうルートのたどり方をしている。
──父親と同じような道を歩んでいるじゃないですか(笑)。
マキタスポーツ:そんな感じがしますね(笑)。でね、昔の『夜のヒットスタジオ』とかでジュリーが出ていると、今と違ってMCも大雑把で、なんとなく話をして、井上順が急にくだらない駄洒落を言って周りがしらけて、その空気の中で「じゃ、新曲歌って」って言われてジュリーは頭に帽子を乗っけていきなり歌い出す。MTVやグラミーの垢抜けた演出を見た時に、そんな日本の歌謡界の宴会チックなダサさみたいなものを忌み嫌っていました。芸能界っていう身内感とかもダセえし…。
──そんなことを言うから、デビュー早々から売れないんですよ(笑)。
マキタスポーツ:ほんとそうだと思います。それがいやだったんですけど、娘の世代からすればそれが新鮮に見えるっていう。彼女のフィルターを通して見ると、「ああ、これ楽しいな」って思う。一方で「時の過ぎゆくままに」っていう曲…あれはメロディが大きいですよねぇ。
──イントロのギターからして素敵ですよね。
マキタスポーツ:僕なりに分析したんですが、あの曲が今のメロディと違うのは、サビの♪時の過ぎゆくままに〜のコードがGなんですけど「ままに〜」のところがB7なんです。セブンスのあの当て方というのは、今のメロディにはないですよね。
──歌が下手だと歌えないメロディラインだったり。
マキタスポーツ:歌えないし、和声的に言うとややこしいたどり方をすると思うし、変なテンションのところにいったりするんですけど、真正面にセブンスのメロディを当てるって、今の作曲にはないですよ。あのくらい大きくふりかぶったメロディじゃないと、当時の大衆曲では当たらないんだと思う。ウォークマンとかが登場する前のことなんで、テレビやラジオで聴くわけだから「低音がヤバイ」とかそういう概念はひとつもないわけで、そうすると引っかかるのは大きなメロディと歌詞しかない。時代とともに評価は変わるけど作品は変わらない。大野さんが作ったあのメロディと阿久悠さんの歌詞は、時代がずれ込めばもう一回ちゃんと聴ける。マニアックに分析して「B7ありえねえ、ヤバイ」っていう味わい方もできるわけです。
──あのB7が醸し出す雰囲気は、ジュリーだからこそでもありますよね。
マキタスポーツ:耽美的でデカダンス…ああいう感じの雰囲気をジュリーが一手に引き受けて作り上げた。しかも退廃的な「時の過ぎゆくままにこの身を任せ」なんて詞を誰が体現できるかと言えばジュリーしかいなかったわけで、そういうキャラクター商品としてよく作られたもんなんだなあって思います。1970年代のジュリーがやっていた仕事っていうか、あの辺のプロダクトチームはすごいことをやっていたんだと思います。
──そういう分析を夜な夜な一人で?
マキタスポーツ:そうですねえ…どこがカッコいいのかなあって。楽器のことが解っていれば聴こえ方が違うじゃないですか。でもほとんどの人は楽器も音楽理論も知らないわけで、「ここのコードワークがいいからこの曲は素晴らしいんだ」なんて聴き方はしない。それと同じように、お笑いにもただ一回笑って消費すれば面白い/充分味わえたっていうことではないという工夫が実は結構あるんです。技術面でここの部分はちゃんと包括してもう一回見直してみてください、非常に興味深い面白いですよっていう提示の仕方はある。落語もそうですね。
──落語は反芻のエンターテイメントですか。
マキタスポーツ:古典落語っていうテキストがあって、それを誰がどう解釈してやるかっていう。
──クラシックみたいなもの?
マキタスポーツ:ですね、あるいはジャズとか。テーマ、ソロ…と基本的な構造があってそれをどう解釈していくのかっていうことですけど、いわゆる芸の部分として「ここがこうなんですよ」と伝えることはできますよね。芸人って、場合によっては「一発屋」って言われて、世間は一発屋フォルダに入れていくじゃないですか。
──ええ。
マキタスポーツ:とにかく入れるんですよ。でもそうじゃなくて、例えば「スギちゃんのこういうところが面白いんだよ」っていうことをもう一回問い直すと「ああ、だから面白いのか」って思える。
──ひとつの芸風で売れた人を一発屋フォルダに入れるのならば、AC/DCも入れなきゃですね(笑)。
マキタスポーツ:そうです、そうです。新しいものがいいという時代はとっくに終わっているので、例えば古いネタとしては「15の夜」(編集部註:尾崎豊のデビューシングル/1983年)という曲がありますが、今の若いお客さんは「15の夜」を知らないですよね? でも「盗んだバイクで走り出す」っていうフレーズは知っているんですよ。「そんなストレートなメッセージだったんだよ」って言いながら、その歌詞を音頭で歌っちゃうと、その違和感が間口になる。ずいぶんと遠回りだけど、そこまで経由してたどり着く人は尾崎豊の素晴らしさに気付く人にもなるし、標になるかもしれない。最近「サチモスがいい」とか言ってる若い子の人たちにも「お笑いなんか興味がない」っていう人たちにも、その両方が通れるような道になる音ネタ/音楽ネタがあればいいかなって思う。
──「いとしのエリー」と「乾杯」が合体した「いとしのエリーに乾杯」なんて、マキタスポーツ流の最大のリスペクトなんでしょう?
マキタスポーツ:はい。僕の独特の愛し方がご本人にどう伝わるかわからないですけど。最近でいうと、星野源の「恋」をバラード風にして歌うとaikoに聞こえるっていうのがあるんですよ。
──ぶはははは(笑)。
マキタスポーツ:そのネタ作りながら自分で歌ってみたんですけど途中で「カブトムシ」になっちゃうんですね。「生涯忘れることはないでしょう」っていうフレーズが「生涯忘れず夫婦を超えてゆけ」ってなっちゃう。俺、「なんて味わい深いんだこのフレーズは…」って、歌いながら自分で感動して涙出てきちゃって。
──大発見(笑)?
マキタスポーツ:これもまたマニアックな話ですけど、あのふたりってコードワークが似てるんですよ。だから「恋」もゆっくり歌ったらaikoになるかなって思ったんですけど、やっぱり合うんですよね。しかも詞の面でもすげえマリアージュが起こって吃驚しました。こういうのはどーんという笑いにはならないですけど、これなら笑ってくれる人って、笑った後にもう一回この曲を聴いてみようってなると思うんで。
──オリジナルとマキタ・バージョンを何回か往復しそうです。
マキタスポーツ:できますよね。それは僕の役目だとも思うし。
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■ コットンクラブで7千5百円の価格帯でやる以上、若年層は切り捨て(笑)
──1月23日&24日には、20周年を記念したライブがあるんですよね?
マキタスポーツ:はい。2009年から2010年まで<オトネタ>というライブを4回やってたんですけど、途中震災なんかも挟まっちゃったり、それ以降自分が音楽以外で忙しくなったりして2012年で<音ネタ>は止めちゃってたんです。ネタを作るのも結構大変で両立させるのが難しくなった。ですけど、自分にとって<オトネタ>っていうライブは非常にシンボリックなものなので、20周年のこの良きタイミングでやらなくちゃって自然とそういう気分にもなりまして。
──活動して休んで復活…って、ミュージシャンの動きと同じですね。
マキタスポーツ:ははは(笑)。いえいえ。
──イエローモンキーみたい。
マキタスポーツ:いやいやいや、そんなじゃないですけど、作るのがなかなかしんどくてね…いきものがかり状態だったんですかね。しばらく放牧宣言みたいな(笑)。いろいろ社会勉強もして、特に役者としての仕事も結構したのが結構おもしろくて。
──役者活動は音楽表現に影響を与えますか?
マキタスポーツ:僕、シリアスな歌も歌うんですけど、どうも体重がのりずらくて。やっぱり照れるんですよ「僕なんかが、笑いにならないことをメッセージする」「歌にして届ける」ことに対する戸惑いがあって。
──気恥ずかしさとか?
マキタスポーツ:ええ。それがえらいもんで、役者の仕事を何回もやっていると歌とかにも影響があって。
──できるようになる?
マキタスポーツ:できるようになる。笑いの仕方ももっとおどけ、もっとふざけられる。そういうメンタリティが獲得できつつあるのは面白いですね。
──様々な経験が紐付いて、深みが出てくるんですね。
マキタスポーツ:それはすごく味わい深い体験です。だから今度の<音ネタ>に関しては、自分でも楽しみではあります…けど、なんせ久々の、ほぼ全部新ネタなんで準備が大変です。
──ライブにはどんな人に来て欲しいですか?
マキタスポーツ:7千5百円払える人ですね(笑)。
──ライブタイトルが<オトネタ¥7500>ですものね。
マキタスポーツ:場所が場所だけに、これでもお安い料金設定なんです。でもお笑いでみるとこんな値段のものはないですね。コットンクラブで7千5百円の価格帯でやる以上、若年層は切り捨て(笑)。
──ぶはは(笑)。
マキタスポーツ:だって(笑)、そんな料金でお笑いを見ようという感覚の若い人はいないはずですから。ここでやったものは、テレビやライブなどのいろんな局面で発表していくんだけど、まずは僕のシンボリックの活動の場なので、その高いハードルは飛び越えて来て欲しいとは思っていますよ。「絶対損はさせませんよ」っていうのもありますし、「損までして来よう」とする人たちと出会いたい。そこに来た人には「音楽とお笑いって素晴らしいな」って思ってもらえるようなことはすごく意識しています。昔の…なんていうでしょうかね、音楽を交えたショー的な番組ってあったと思うんですけど、そういったものも踏襲して作ってますから。
──芸人としてデビューしてから20年…今、デビュー当時に描いたシナリオの延長上にいますか?
マキタスポーツ:生意気に聞こえたらあれなんですけど…僕は高校生くらいの時に思い描いたことは全部やってます。すごく時間もかかって遠回りもしましたけど、やっぱ音楽とお笑いが融合したような形にものをやるんだっていうのは、根拠のない自信で思っていたんで。だからやっぱり、やれているなとは思います。それやらなくちゃ意味ねえなってすごく思います。
──20年後はどうでしょう。
マキタスポーツ:僕の予定で言うと、20年後はちゃんとヒット曲とかを出していたい。ヒット曲が欲しいですね。自らのヒット曲をパロディにしたいですから。
──それはたけしさんと同じ系譜ですね。
マキタスポーツ:あの人は「俺は偉くなりてえんだよ」「偉くなったらより馬鹿なことができるだろ」っていう考え方ですから。たとえばKANさんは「最後に愛は勝つ」ってヒット曲がありますけど、あの人は音楽ネタみたいなことをファンサービスでずっとやりますよね。ああいうのいいなって思います。あと、音楽が国境の壁を越えるといいますが、それにチャレンジしてみたい。お笑いが無理ならば言葉だけに頼らず、世界的な名曲やみんなが知っているあんな曲こんな曲で、中国やアメリカやヨーロッパ…どこでもいいんですけど、そういうところでショーをやってみたい。
──いいですね。
マキタスポーツ:文化と文化の接地面で穴を通すっていうか、韓国人のPSYも、半笑いの状態からいつのまにかみんな「おもろいやんけ」って乗っかったりするじゃないですか。ピコ太郎とかもそうですけど、僕はあれをノベルティソングだと思っています。ああいうのはすごくゾクゾクしますよ。<オトネタ>はこれから毎年やろうと思ってるんです。少なくとも10年くらいのスパンでやらなくちゃ。新ネタ下ろして、今まで会ってない人たちに会うのが一番のテーマですね。コミケとかの世界で「同人」って言葉がありますけど、同人だらけの世界だから僕も同人向けなんですけど、僕は「別人」って言っています。「others」…Othersに会いに行くこと。
──「別人」って初めて聞く言葉だなあ。
マキタスポーツ:『THE MANZAI 2017』のウーマンラッシュアワーの漫才、ご覧になりました? あれの何が一番意義があったかっていうと「テレビでやった」ということですよね。スタッフも気骨のある人たちだったし。
──政治風刺が強烈でしたね。
マキタスポーツ:ウーマンラッシュアワーとフジテレビとの信用/信頼関係があった上で、急にあのネタやりたいっていうのじゃなくて、ああいう活動をしばらくやり続けていくから、やる意義があるんです。ネットでやっても意味ないですから。リベラルな漫談をする人はいますけど、それは好きな人たちにしか向けてやっていないから「同人」で、ウーマンラッシュアワーは完全に「別人」に向けてやっていることに意味がある。「あれ、笑えなかった」って言う人もいますけど、僕はそんなのどうでもよくて、「笑う」というよりも「価値観をひっくり返すこと」に重きを置いている。日本アカデミー賞が権威があった頃──なぜ権威があったかというと森繁久弥がいたからなんですけど、そういう場にたけしさんが鞍馬天狗の格好をして行ったりしてね、日本アカデミー賞をこけにしてきてオールナイトニッポンで「森繁にすげえ怒られた」とか言ってることがものすごい面白かった。現場はものすごい滑ってましたけど、僕らも暴走族を見物に来た客みたいな気分で「やれ!やれ!」って見てました。
──ウケるはずのないことを承知の上でね。
マキタスポーツ:ウケるはずないことをやってるんですよね。当時のお茶の間や映画界なんか「そんなこと絶対許されない」っていう空気の中でやってる。
──マキタスポーツという人の活動が、閉塞感のある今の音楽業界を救ってくれるかも。
マキタスポーツ:それは目指したいですね。僕もずいぶんヒヨっちゃったなっていう反省点もあるんで、僕ができることっていうのは仰るとおり、そういうことなのかもしれない。その上で、本丸というかしっかりとカッコいいものをカッコいいままにやってくれる人がいれば、もっと面白くなるんじゃないかな。僕は音楽界のジョーカー的な役割ができればいいなあって思う。その辺に関しては、まだ力不足だったここ数年だったかな。
──音楽界のジョーカーか…。
マキタスポーツ:僕がスペードやキングになろうということではないと思うんですよね。ジョーカーならジョーカーらしく極めていくことをやらないといけないかな。
──ジョーカーの使い方って、まさにセンスですよね。
マキタスポーツ:そうですね。がんばりますよ。
取材・文◎BARKS編集長 烏丸哲也
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<マキタスポーツ Presents オトネタ¥7,500>


2018年1月23日(火)、1月24日(水)@COTTON CLUB

OPEN19:00 / START20:00

チケット:前売り 全席指定 7,500円(税込)

[問い合わせ]

コットンクラブ 03-3215-1555(平日11:00〜22:30、土・日・祝11:00〜21:00)

ホットスタッフ・プロモーション 03-5720-9999(平日12:00〜18:00)

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