【インタビュー】J、死生観/ヴィジ
ュアル系を語る「終わりと始まりを感
じながら進んできた」

LUNA SEAのJが2017年、ソロデビュー20周年を迎えた。BARKSは激動の20年間を振り返り、Jのヒストリー決定版を作るべくインタビュー連載を実施中だ。彼が何を思い、何を目指して、ここまで歩んできたのか。6人の著名ライターがJに斬り込む大型特集の第4弾は、ここ数年LUNA SEAのオフィシャルライターを務めるなど、親交の深い大前多恵氏がJを深く掘り下げた。
タフで揺るがない軸を持ち、ブレない熱い男。Jのパブリックイメージを言い表すとすれば、そんなフレーズになるだろうか。それは上辺だけではなくもちろん本質でもあるのだが、あっけらかんと明るい男ではきっとなく、内に秘めた繊細さ、悲しみや痛みに対するデリカシーこそが、その強さに説得力を与えているのではないか?と常々感じてきた。そしてその奥行きは当然、ひとりで形成しうるものではなく、幾多の人々との関わりの中で長い時間を経て織り成されてきたはずである。
ソロ20周年を機に訊いてみたいことは、ふたつあった。まずは、現在のJを決定づけた出会いとは? そして、避けがたい別れとはどう折り合いをつけて来たのか?ということ。特に、死生観についてこの機会に真正面から尋ねてみたかった。もうひとつは、ヴィジュアル系というワードとの距離感。そう呼ばれることを嫌悪していたであろう時代から、数世代下のフォロワーたちが活動する現在に至るまで、どんな想いの変化があったのか? Jはいずれのテーマについても、しばしば考えに沈み、最もふさわしい言葉を選んで正確に、真摯に想いを伝えようとしてくれた。
   ◆   ◆   ◆
■崖っぷちに立った時

■どういう想いでいられるか
──ソロ20周年に際して、お訊きしたいテーマがふたつあります。まずは、今のJさんを決定づけた出会いと別れについて。年齢とキャリアを重ねて来られる中で、死生観の変化もあったのではないか?と想像し、その点についてもお尋ねしたいです。もうひとつは、ヴィジュアル系という言葉との距離感についてです。
J:はい。
──ではまず、ひとつ目のテーマから伺います。LUNA SEAのメンバーとの出会いはもちろん大きいと思いますが、活動して来られる中で、今のJさんを形作った大きな存在というと、どなたになるんでしょうか? もちろん一人には絞れないとは思うのですが……。
J:バンドを始める前から考えてみても、いろんな人に出会わせてもらってるし、いろんな人からの影響をすごく受けていると思うんですよ。「俺はこの道で行くぞ!」と思い立って、楽器を持ってバンドを始めて。当然、自分自身の想いで突っ走ってきた部分はあるんですけど、だからこそ、その“戦場”で出会う仲間たち、先輩や後輩、同じように夢や想いを持ちながら突き進んでいる人たちに出会えたことは、ものすごい力にはなってますよね。地元では、自分の想いを理解してくれる人なんて本当に少なくて、いないに等しかったのに。やっぱりそういう場所に出て行くと、同じような想いを持っているバンドや仲間たちがたくさんいたし。そこで自分自身もいろんな刺激を受けてきた、とは思います。
──出会ったことで特にJさんが「変わったな」と思うような存在、と言いますと……?
J:俺はすごく恵まれていて、自分の想いをより強くしてくれる人たちばかりだったな、と思うんですよ。「俺はこうなんだ!」という強い想いの反対側には当然、不安も存在はしているわけじゃない? 自分自身の音楽が果たして通用するのか、バンドとしてどこまで行けるのか……でも、「いや、それを信じていくべきなんだ」と思わせてくれた仲間ばかりだったから。だから、自分を変えたのはすべての人たちかな?と思いますよ。ただ、ターニングポイントとなる出会いは、過去に何度かあって。まずは、高校の時の担任の先生。まだバンドを始める前ですね。
──何年生の時ですか?
J:3年の時かな? バンドをやろうと思ってはいたけど、高校を卒業して、何も肩書がなくなった上でやるのもリスクがあるじゃないですか? 子どもながらにそれは感じていて。だから、大学に行って4年間という、今思えば“執行猶予”を得て、その間に自分の夢をなんとか形にしたいな、と思っていたんです。素行は悪かったんですけど、俺は英語が好きだったというのもあって、授業が終わってから英語を教わってたんですね。その担任の先生は英語の先生で、進学のために俺にそういう時間をつくってくれて、何回か教えてもらっていたんです。ある日、「あなた一体、将来何がしたいの?」と訊かれたんですよ。まあ、世間話の延長ですよね。その先生は元々理解があって、すごく生徒側に立ってくれて、逆に“先生の敵”になっちゃうようなタイプの先生で。だからこそ俺も本音で話せたのかな?と思うんですけど、「実は俺、バンドやりたいんだ。音楽やっていきたいんだけど、今のままだと何もなくなってしまうから、大学へ行って、その期間になんとか自分の思ってることを形にしたいんだ」と正直に話したら、その瞬間、顔つきが変わり「私はもう、教えない」と。「あなたが行きたい道に行かなくてどうするんんだ?」って。
──すごいですね。多くの大人は「成功するかどうか分からないんだから、とりあえず大学には行っておきなさい」と説得してかかる気がします。
J:うん。本当にその先生の言葉で目が覚めた、というか。そんな保険をかけているような考え方で通用する世界じゃないよねって。自分が崖っぷちに立った時、果たしてどういう想いでいられるか? どういう感情で突き進んでいけるか? そういう気持ちで行かないと、成功なんか絶対しない。自分が思い描いた場所になんて絶対に辿り着けないんだろうなって。うっすら感付いてはいたんですけど、目が覚めた一言でしたね。
──先生はJさんのことを信じてくださっていたんでしょうね。
J:そうですかね? 先生の言葉がなければ、甘い部分、甘える場所が存在していたわけだから……あそこでギアが一段上がった、というのはありますね。
──その素敵な先生とは今もご親交はあるんですか?
J:うん、卒業してからはライヴに来てくれたりもして。当時、僕がそういうふうに言ってるのをインタビューで読んだ生徒さんたちが、「先生のこと、こんなふうに言ってるよ」と伝えてくれたのかもしれないですね。今どこで、どういう形で教えてらっしゃるかは分からないんですけど。
──すごく大きな出会いだったんですね。
J:そうですね、そこからはもう振り切って、“すべてが自分の責任だ”と。何かのせいじゃなくて、自分のせい。だから、1秒、1分、1時間、1日、1年、そういった中でどれだけ自分を燃やし続けられるか?というところに、ギアがガン!と入った感じがしますね。
■「俺はこれだ」というものに

■自分で気づいて作り出していくしかない
──そして、退路を断って音楽の道に進んだJさんですが、ロック・ミュージシャンとしてのスタンスを確立する上で、力になるアドバイスをくれた存在と言いますと……?
J:昔からバンドに携わってくれていたスタッフの方ですね。ライヴハウスに出始めた頃、俺自身、ちょっと悩んでいる時期があって。自分のスタイルをまだ模索中だった時なのかな? それで、酒を飲んだ席でポロッと「いやあ、ちょっと自信ないんすよね~」とこぼしたら、その人に言われた言葉でまた目が覚めたんです。「自信ないんだったら、付けりゃいいじゃん?」って。ものすごくシンプルですよね。「そのために何か自分でしてるの?」って。
──悩んでる場合じゃないよ、行動すればいいでしょ?と。
J:うん。その時代、ものすごいバンドたち、ものすごいミュージシャンたちが全国各地から集まって、東京のライヴハウスシーンを盛り上げていたわけですよ。だから、その時に目の当たりにした、自分が向かわなきゃいけない場所というのは、ものすごいものだった。いちベーシストとして、いちミュージシャンとしてどうあるべきか?となった時、その一言は効きましたよね。「自信付けりゃいいじゃん?」「あ、そうだよね」って。
──「どうやって付ければいいの?」とはなりませんでしたか?
J:それすら、結局甘えになりますよね。「どうやって?」って、「そんなの自分で考えろ」って話ですから。「俺はこれだ」というものを掴むというのは、何がそうさせるかも分からないし、そんな中、自分で気づいて作り出していくしかないし。
──そのスタッフさんは、マネージメントをされていた方とはまた違うのですか?
J:うん、そうではなくて。LUNA SEAが始まった頃からすごくよく面倒を見てくれて、気に掛けてくれていたスタッフ。エクスタシーレコードやhide兄にも、そこから繋がっていった部分があったりして。その人の言葉も、俺にとっては目から鱗でしたね。
■共感し合い、共有できた時間

■それって永遠だと思うんです
──今、hideさんのお話も少し出ましたが、昨年亡くなられた森岡賢さん(※minus(-)。予定していたJとの対バンライヴは、藤井麻輝とサポートメンバーとで敢行。Jとのセッションも話題に)もそうですが、出会いがあれば別れもありますよね。Jさんはいつも「立ち止まっていてもしょうがない」とおっしゃり、受け継いだものをしっかりと音に込めて放たれているので、ずっと繋がっているとは思うものの……Jさんご自身はこれまで、どのように喪失と向き合い、乗り越えて来られたのでしょうか?
J:バンドを始めてから……hide兄もそうだし、森岡さんもそうだし、その他にも、お世話になっていた方たちとか、仲間とか、本当に多くの、もう会えなくなってしまった人たちが存在していて。当然悲しいしつらいんですけど、そのことに対する自分自身の想い、死生観というのは、昔からあまり変わっていなくて。悲しいし苦しいんだけど……でも、またいつか会える感じがすごくするんですよね、うん。
──肉体は無くなってしまい、実際に触れ合う形では会えない、という事実はありますが、その点はどう受け止めていらっしゃるんでしょうか?
J:もしかしたら、そこまで深くも考えてないかもしれなくて。俺たちは音楽を通して出会って、何て言うのかな……? そこにある想いに共感し合い、共有できた時間があるわけじゃないですか? 俺、それって永遠だと思うんですよ。だから、例えば会えなくなったからといって、その想い自体はなくならないんですよね。
──消えるものではない、と。
J:うん。そして、それは新しいとか古いとかもなくて、俺の中ではずっと色づいたまま、ギラついたままで。そうじゃないと、俺の中での……辻褄が合わなくなる、というかね。だって俺たちは、音楽という、“時間をも超えたもの”をつくり出そうとしているわけだから。そこには限度がなくて、何人の想いも入れられて。多かろうが少なかろうが、そのエネルギーは、そこに存在していて。聴いた人が少ないからとか、聴いた人が多いからとか、というとそういう事ではなくて、そこに込めた想いというのは天秤にかかるものでもなくて。同時に、それをつくり出した時間や、生み出した人たちとの時間も、消えるものではないんですよね。俺の中ではね。会えなくなってしまう悲しさは当然あるんだけど、いつだって音楽を流せばそこにそれがある、というか。だから、不思議と……「ゼロじゃない」っていう気が、いつもしてる。
──その死生観は、ある年代からそう思えるようになった、というのではなく、昔からずっとなんですか?
J:うん、昔からそうかもしれないなあ……。
──音楽で関わった方々だけではなく、年齢を重ねていくにつれ、私もそうですが、やはり死を身近に感じるようになってはきますよね? 死を強く意識するからこそ、日々の人との向き合い方が変わった、ですとか、そういう変化もないですか?
J:もしかしたら、そういう意識を以前からして物事を決めたり、選んできた、という部分はあるのかもしれないね。さっきの高校時代の話じゃないけれど、崖っぷちに立った時に「お前、どっち取るんだ?」という局面は、もしかしたら、人より多く経験してきているかもしれないから。「もうこれで音楽が出来なくなってもいいや」なんて毎回思いながら、アルバムを何枚もつくってきてもいるし、「これが最後だ」と思いながらステージに挑んでいた時もあるし。その都度、“終わり”と“始まり”を感じながら進んできた部分もありますからね。
──ああ、死に限らず、出会いの刹那を常々意識されていて、瞬間ごとに覚悟があるんですね。
J:当然、悲しいんですよ? 理解できない、受け入れられない時だってあるんだけどね。でも、もうひとつ言えるのは……これは俺の考え方なんですけど、(死という)その事実と同じだけ、出会って過ごした時間の意味を大切にし、喜ぶべきじゃないかな?と。死をそういうふうに感じてしまう前に、なぜ俺たちは一緒にいて、なぜ俺たちは盛り上がって、なぜ俺たちは燃え上がれたんだろう?って。そして、その時に感じた想いをもっと理解するべき、というか。俺はそう思うんですよね。
──たしかに、Jさんのジェスチャーを先ほどから見ていると、一目瞭然ですね。死の瞬間は点に過ぎずで、それまでに脈々と流れていた、共有していた時間はもっと豊かに長く存在していたわけですもんね。
J:そうなんですよ。だから、変な話だけど、(死は)誰にでも起こる、平等……という言い方は変だな。望んでなくてそうなってしまう人もいるし、平等とは言えないんですけど……誰にでも訪れることだから。
■いつでも会えるように

■自分の中にその想いを生かし続ける
──ちなみにJさんは、長寿願望はありますか?
J:えっ、長寿願望(笑)?!
──「100歳まで生きられますよ」と言われたら、「是非!」というタイプですか?
J:どうなんだろうね? 俺、最近思うんだけど、それって気持ちの問題なのかな?って。「生きたい」と思う人は、どれだけ自分の身体が老化しようが、動かなくなろうが、「生きたい」ってたぶん思うんだよね。でも、老いたら「もう俺、疲れたな」とか、思う人もいると思うんだよね? だから、長く生きることだけが幸せなのか?っていうのは、あるよね。もちろん、長く生きればそのぶん人よりいろいろなことを多く見られたり感じられたりする、という意味ではいいのもしれないけど。自分がその時になったらどう思うか?は、ちょっとよく分からなくて。
──好奇心を持って刺激的な日々を送っていると、脳が活性化して細胞が増えるとか、何かに夢中になっている時間は年を取らないとか、いろいろ説がありますよね。
J:時間を忘れて何かに没頭したりしたら、本当に時間を忘れる、ということですよね?
──はい、その時間はカウントされず、結果的に老いないというか。
J:速いと遅くなる相対性理論みたいだね? あはは!……でも、あり得ますよね。人の時間の刻み方って、それぞれにやっぱり違うわけじゃないですか? 俺が言ってることはもしかしたらそういうことなのかもしれない。たくさんの最高な時間を刻み合えたんだから、悲しみよりも、その大切さ、そのすごさを俺の中ではもっともっと大事にしていきたい、というかね。だって、共有した想いをずっと生かしていくのは、その人自身じゃないですか? 過去のものにしてしまったり、それを止めてしまったりするのも、その人自身じゃないですか? 会えなくなってしまったのなら、いつでも会えるように、自分の中にその想いをずっと生かし続ける……俺はそういう考え方なんですよね。
──そう考えると、とても素敵ですね。
J:じゃないと、腑に落ちない。そりゃ悲しいし受け入れられないし、ムカつきますし、納得できないし、いつまで経ってもずっと一緒にいたかった、という存在の人たちばかりだけど。それは僕だけじゃなくて、周りにもそういうことはたくさんあって、そういった繋がりの中で僕らは生きているわけだから。もし音楽に携わってなかった人たちだとしても、その人たちと共有できた時間、その意味というものを、俺は大切にしたいな、と思うんです。
■そういうつもりでヴィジュアル系という

■名の下にやったわけではなくて
──では、ふたつ目のテーマ、ヴィジュアル系というワードについて伺います。‘90年代はおそらく、勝手に貼られたレッテルのようなものとして反発もあったのでは?と思うんです。しかし近年、LUNA SEA主宰の<LUNATIC FEST.>や<VISUAL JAPAN SUMMIT>など画期的なフェスも開催され、源流は同じでも多様な進化を遂げた音楽性のバンドが一堂に会するのを目の当たりにし、ヴィジュアル系という言葉の裾野の広さ、スピリットについても再考させられました。Jさんは今、ヴィジュアル系というワードに対し、どんな距離感なのでしょうか?
J:そうですね……昔となんら変わっていないんですけど。自分たちが音楽を始めた頃は、“他の誰にもなりたくなかった”という想いの中から、例えば黒い服を着たり、メイクをしたり、楽曲をつくっていたりしたわけですよね。自分たちの存在証明、というか。他と一緒だと、存在する意味がなかったんですよ。毎日毎日それを探し続けながら生きていた。そんな中で、同じような想いを抱えたバンドと、先輩後輩含めて、自然と出会っていくわけですよね。それが力となり集団になっていき、そういったシーンになっていって、その時に“ヴィジュアル系”みたいなふうに言われ始めた、というか。当時そう付けられた時、どこまでを表わしているものか分からない言葉だったわけじゃない? ある種、差別用語的な部分もあったと思うし。
──蔑称説もありましたね。
J:そうそう。俺たちはそういうつもりでヴィジュアル系という名の下にやったわけではなくて、結果的にそうなったタイプのバンドだから。でも、ちょっと時間が経ってくると、それを上辺だけ真似されたり、自分たちの想いとは全然別のところでそういうシーン自体ができあがってきたりしたことに対して、「ああ、自分たちとはちょっと違うよな」と。「それを全部一緒に括られちゃうのもおかしくないかな?」と思った時は正直、あったな。まあ、分かりやすくて括りやすくて、便利な言葉ではあったんだろうけど。昔はよく音楽雑誌にバンドメンバー募集欄ってあったじゃないですか? いつの日からか「ヴィジュアル系やりたいです」「僕たちヴィジュアル系です」みたいなことが書かれ始めた時、「いや、これってどうなんだろう?」って思ったよね。
──音のことは何ひとつ表してないですよね(笑)。
J:ははは。でもそういう意味では、新しい音楽ジャンルというモノを作れたのかもしれないよね。もしかしたら、彼ら彼女らは“音楽までも表している言葉”として遣っていたのかもしれないからさ。僕ら自身はそうなりたくて始めたわけではなかったものが、彼ら彼女たちはとっては、“それになりたくて”始めるものになっているわけじゃないですか? そうするとやっぱり、自分たちが活動を始めた当時とは感覚が違うから。「あ、それは別のものなんだよね」と。そう受け入れるのにはちょっと時間が掛ったかな、俺自身はね。別に今は、俺たちのことをそう思いたいやつがいれば、それはそれでいいし、そうであっちゃいけない理由もないし。そう呼ばれたからって何かがマイナスになるようなことはしてきてはないし。そういう意味では、昔よりは自然に受け入れてはいるけれど。
■“LUNA SEAみたいなバンド”

■である必要はないんですよ
──例えば、ヴィジュアル系というシーンを好き、という層が海外にも存在しているなど、進化を遂げている部分もありますよね。
J:そうですね。今は日本の特異なものとしてそれが海外に響く、最初は想定してなかったことなんじゃないかな?。俺たちが見て来た音楽シーンは、層がひとつしかなかったから。例えばビルボードも、ひとつのチャートしかなかったし。ロックミュージックとして全部がまとまっていたシーンだったからね。でも、もう今は何層もあるでしょ?
──たしかに、そうですね。細分化していますから。
J:それを昔と比べるのはちょっとやっぱり、無理があるのかな?とは思う。
──なるほど。いずれにせよインパクトのある言葉であり、今ヴィジュアル系というシーンで活動しているミュージシャンの中には、「Jさんにすごく憧れて始めました」という人も多いです。フォロワーをたくさん生み出した、という事実はありますよね。
J:うん、自分自身がずっとやってきたこと……音楽もそうだし、マインドの部分でも、何かが伝わってくれたらいいよな、とはすごく思うんですよ。全然違う音楽をやっていても、「LUNA SEA好きだったんです」「LUNA SEAを見てバンドを始めたんです」と言ってくれるバンドがたくさんいるしね。でも本当に、俺にとっては、俺って俺しかいなくて、彼らは彼らしかいないわけで、決して同じにはならないんですよね。それはとても自然なことだし、とても大切なことだとも思う。だから好きだったからって、“LUNA SEAみたいなバンド”である必要はないんですよね。というか、逆なんですよ。“LUNA SEAみたいなバンド”でいるべきじゃない、というか。「本当の意味での君たちはどうなんだよ?」って意味でね。そういうところに辿り着いてほしい、という想いはある。同じようにステージに立つ人間としてね。当然、好きなものが一緒だという場合もあるし、似てることもあるんだろうけれど、でも、最初の段階で言った、俺たち自身は誰かになりたくて始めたわけじゃなかった、ということ。「俺たちが俺たちでいたかったから始めたんだ」という、その理念や想いが伝わっていれば、“LUNA SEAみたいなバンド”なんていうのは出て来ないだろうし。出て来たらおかしいですよね?
──本質を理解していれば、似せようとは思わないはずですもんね。「Jさんみたいになりたい」というミュージシャンがJさんの元に来たら、とくとくと諭しますか?
J:いやいや(笑)。でも、僕のことを慕ってくれるような人は、そういうことに気付いている人たちがすごく多いですよ。自分たちのスタイルを持ってやっているバンドやミュージシャンが多いから、俺は刺激をもらってるけどね(笑)。
■進化論をもブッ壊してしまうようなバンド

■皆が今、期待してるんじゃないかな
──オリジネイターであるX JAPANBUCK-TICKDEAD ENDが互いに似ていたか?というと、全然違いますからね。
J:そうなんですよね! でも、LUNA SEA以前と以降も全然違うんでしょ? そう言われたことはありますよ。
──「俺たちもこうなりたい!」と思わせる何かがLUNA SEAにはあったんでしょうね。
J:そういう意味では、自分たちの想いは確立できたのかな?とは思いますよ。「こうありたい。俺たちはこうだと思うんだけど?」と提示したものに対して、皆が共感してくれたわけだから。バンドとしてのスタイルも、音楽としてのスタイルも。
──集合体としての“絵になる感”も抜群ですもんね。真似したくなります。
J:そういう意味では、自分たちの理想を貫けたということなのかな?と、思いますけどね。
──それまでにはないバンドの佇まいであり、音楽であった、と。
J:うん、ずっとそんなことばっかり考えてましたからね。だから余計、当時は自分たちの想いの先にやっと生み出したものを簡単に真似されることに対して、敬意を欠いている感じがすごくしたんじゃないですかね。でも、時間が淘汰してくれるから。やっぱり本物しか残ってないかないと思うし、それはどんな時代でもそうなのかな?とは思っていて。それが正しければこれから先も、いわゆるヴィジュアル系というものがまた進化していって、どんどんパワフルになっていくんじゃないかな? それはもう、世代も超えた俺たちの想いを受け取ったようなバンドのやつらの使命だと思う。進化論をもブッ壊してしまうようなバンドを皆が今、期待してるじゃないかな?ってすごく思うよ。
──突然変異みたいなバンドが出てきたら、面白いですよね。
J:そうそう。だって、いつまで経っても同じ景色じゃつまんないでしょ(笑)? 音楽シーンって、その繰り返しだと思うんだ。それをしていい場だと思うしね。
──守らなければいけない伝統があるわけでもないですからね。
J:そう、ブッ壊したほうがいいんですよ。ブッ壊せるパワーがある人間じゃないと壊せないし、時代はずっとそういうやつらを求めてる。それは事実ですよね。自分としては、さっき言ったみたいな想いを抱えてバンドを始めて、自分たちのスタイルをつくりあげていったし、その中から見つけていったものだったわけだから。「若い子たちは今のシーンに対して不満ねえのかな?」と思う時があるんですよ。
■理屈ではない場所で皆のところに

■響いていくような、そんな音を
──はは(笑)。でもやっぱり、LUNA SEAの別格さ、すごさは厳然とありますよ。
J:いや、すごさとそれは違うって俺は思うの。だって、俺がエクスタシーレコードに入ったのは19歳ぐらいの時だから、あの時のhide兄はまだ25〜26歳でしょ? あの時からhide兄はhide兄だからね。
──YOSHIKIさんも昔からYOSHIKIさんで……。
J:そうそう、本当にみんな昔から変わらないね(笑)。でも当時から、「前例とかそんなの関係ねえ!」ってやってきているわけですから。今も、やっぱりそういう若いやつが出て来ないとね。シーンとは言っても、そこに属する必要もないわけだし。新しいシーンをつくればいいだけの話だし、実際僕らはそうだったかもしれないじゃないですか? すごいやつらが時代を動かすのは、昔から何も変わっていないからね。そういうものに触れられるのが音楽だと思うし、1曲ですべてが変わりますから。そんな曲をぶち込んでくるバンドたちも、まだまだきっと出てくると思いますよ。
──待ちたいですね。では最後に。11月15日には、Jさんの20周年を記念したライヴツアーのファイナル公演が映像作品としてリリースされました。どんなふうに届けたいでしょうか?
J:今回の作品は、自分がソロを始めて20周年ということで行ったツアーのファイナルの映像になるんですけど。自分自身がバンドを経て、ソロを始めて、自分自身の想いを貫いてきたこの20年間というもの、Jっていうやつの音のすべてがこの映像作品に入っているような気がするんですよ。今だからこそ鳴らせる音というのが、そこには存在していて。理屈ではない場所で皆のところに響いていくような、そんな音をプレイできるようになったかなと思うし。元々俺の中でのロックミュージックというのはそういう存在で、今はとっても満たされているんですよね。そんなことを感じてもらえる作品になっているし、「実際、どんなもんなの?」という感じで観てもらっても充分熱くなれる作品にはなっていると思うので、是非観てもらいたいな、と思ってます!
取材・文◎大前多恵
■DVD/Blu-ray『J 20th Anniversary Live FILM [W.U.M.F.] -Tour Final at EX THEATER ROPPONGI 2017.6.25-』


2017年11月15日(水)RELEASE

【SPECIAL BOX SET(初回生産限定)】

<2DVD+CD+PHOTO BOOK>10,000円+税 CTBD-20073~4/B

<Blu-ray+CD+PHOTO BOOK>10,000円+税 CTXD-20075/B

・特製三方背ケース仕様

・2DVD / Blu-ray:LIVE映像(全曲収録)+特典映像

・CD:LIVE音源(演奏曲よりセレクト)

・LIVE&ドキュメント写真集(全80ページ)

【通常盤】

<2DVD>7,800円+税 CTBD-20079~80

<Blu-ray>7,800円+税 CTXD-20081

※2DVD / Blu-ray:LIVE映像(全曲収録)+特典映像
▼2DVD / Blu-ray収録曲

SE. #1(I LOVE THAT!!)

01. break

02. BURN OUT

03. one reason

04. RECKLESS

05. GO with the Devil

06. Die for you

07. I know

08. When You Sleep

09. ACROSS THE NIGHT

10. Go Charge

11. PYROMANIA

12. LIE-LIE-LIE

13. Evoke the world

Encore

14. Verity

15. Feel Your Blaze

16. Endless sky

W Encore

17.NEVER END
▼LIVE CD収録曲

01. #1(I LOVE THAT!!)

02. break

03. BURN OUT

04. one reason

05. RECKLESS

06. GO with the Devil

07. Die for you

08. I know

09. When You Sleep

10. ACROSS THE NIGHT

11. Go Charge

12. PYROMANIA

13. Evoke the world

14. Feel Your Blaze

15. Endless sky

16. NEVER END
■20周年イヤーの最後を飾る渋谷TSUTAYA O-EAST 2days公演


<J 2017 放火魔 大暴年会>

12月30日(土) 渋谷TSUTAYA O-EAST

OPEN 17:00 / START 18:00

※出演ゲスト近日公開

▼チケット

¥5,300 (税込 / ドリンク代別)

(問)SOGO TOKYO 03-3405-9999

一般発売:10月14日(土)よりスタート
<F.C.Pyro. Members' Only ~'17-'18 COUNT DOWN LIVE~>

12月31日(日) 渋谷TSUTAYA O-EAST [FC限定公演]

OPEN 22:00 / START 23:00

▼チケット

※本公演はファンクラブ限定の為、一般発売はありません

http://www.fancube.jp/fcpyro/

¥5,300 (税込 / ドリンク代別)

(問)F.C.Pyro 03-5759-1488(平日14:00~18:00) / fcpyro@fancube.jp

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