【ライブレポート】<VISUAL JAPAN
SUMMIT 2016>3日目後編「またみんな
と会えるよう、俺たちも頑張っていく
から」

どこか横綱相撲めいた頼もしさが感じられたMUCCの演奏が終わると、それから5分ほどを経た午後3時30分、VISUAL STAGEの幕が開いた。SEに合わせて手拍子が巻き起こるなか、姿を現したのはvistlip。「今日も楽しもう、幕張!」という智(Vo)の第一声に歓声が高まるなか、炸裂したのは「SINDRA」。2011年の6月、活動再開後の第1弾シングルとして発表された疾走感溢れるナンバーだ。
僕自身はこれまでに片手で数え切れるほどしか彼らのライヴを観たことがなく、迂闊なことは言えないのだが、このバンドにとって自身の蘇生、新たな始まりを象徴するものであるはずのこの曲は、近年あまりライヴでは頻度高く演奏されてこなかったはず。その大切な楽曲をオープニングに据えていた事実からも、彼らのこの日のステージに賭ける覚悟、意気込みを感じさせられた。僕の勝手な思い込みである可能性もあるが、実際、その演奏ぶりからも気迫が伝わってくる。
ただ、そんな真剣な空気を断ち切るように智が披露したのは、〈この日のステージのためにカラースプレーで髪を染めてきたら、たくさんのバンドマンから“ヅラにしたの?”と訊かれた〉というエピソード。とはいえ、軽いトークが良くないというわけではなく、こうした緊張と緩和のバランスもまた、このバンドにとってのひとつの特色でもあるのかもしれない。徹底的に激しいわけでも、とことんロマンティックというわけでもない彼らのスタイルは、ともすれば、どっちつかずのものと解釈されかねない。だが、逆に言えばどちらの側にも振り切ることができるのが彼らでもある。
わずか5曲の演奏ではあったが、後半3曲だけをみても、オーディエンスに頭を振らせる「My second B-day.」、その場の空気をアゲていく「GLOSTER IMAGE」を経ながら最後は「LAYOUT」をじっくりと聴かせて終わるなど、彼らなりの緩急を作りながらの演奏は実にタイトにまとまっていた。春から展開されてきた全国津々浦々を回るツアーも、このバンドの現在の強さの裏付けになっているのだろう。
続いては、ゴールデンボンバーがSUMMIT STAGEに登場。そこからの約30分にわたる時間経過は、爆笑の連続だった。場内が暗転し、まずスクリーンに浮かび上がったのは「水商売をやめてくれないか」のジャケット写真。当然ながらこの曲がオープニング・チューンなのだろうと思っていたら、それは冒頭の「水商売をやめて」の一節のみで終わった。それに続いたのは「くれないかー!」という叫び。X JAPANがまだXだった頃の姿を模したメンバーたちがそれに続けて披露したのは当然ながら「紅」である。披露した、とはいえ演奏したわけではない。エア・バンドとしてのアイデンティティはこのVJSの場においても貫かれているのだ。
実際、鬼龍院翔のMCによれば、彼は〈出演する以上、どこまでふざけていいのか?〉と熟考し、ふざけないわけにいかない、という結論に至ったのだという。しかもコスプレをするとの意向をYOSHIKIに伝えたところ、彼のドラムを貸し与えられたというのだから驚きだ。このくだりを語るMCを耳にして「ああ、俺もそうすれば良かった」と感じていた同業者たちも、きっと少なくなかったことだろう。
その後も彼らはXの扮装のまま演奏、いや、パフォーマンスを続け、銅鑼を叩いた途端、全員が倒れるといった〈怒られる寸前のネタ〉を次々と披露。しかしPATAに扮した喜屋武豊の「尊敬してるのにエア・ギター」という言葉が象徴しているように、ふざけているようでいて実はちゃんと敬意を持っているのが彼らなのだろう。たとえばそれは、往年の某バンドを連想させずにおかないPVを流しながら披露された「欲望の歌」についても同じこと。ちなみに鬼龍院によれば、このPVには普段のものの3倍の予算がかかっているのだとか。
そうしたネタ盛りだくさんのステージの締め括りに披露されたのは、フロアを埋め尽くした誰もが聴きたかったはずの「女々しくて」。この曲が、狭そうでいて実は幅広いこの日のオーディエンスにとっての共通言語になっているという事実がすごい。そしていつのまにかYOSHIKIがその場に現れ、ドラムを叩いているというのがまたすごい。エア・バンドがエア・バンドではなくなった瞬間が、そこにあった。ステージから去っていくYOSHIKIを見送る客席からは、嬌声ではなくどよめきが聴こえていた。
そんなゴールデンボンバーの掟破りなお祭り騒ぎを経て、JAPAN STAGEが最後の出演者を迎える。cali≠gariの登場だ。幕開けに据えられたのは「オーバーナイト ハイキング」。薄暗いというよりも極限ギリギリまで暗いステージをうごめくメンバーたちの姿は、ほとんど闇夜のカラス。しかしフロア前方の観客たちが掲げて揺らすペンライトの冷たい感触の光が、むしろこの曲にはよく似合う。この巨大な会場にいつものライヴハウスの熱狂を持ち込もうとしたバンドは多かったはずだが、いわばcali≠gariの場合は、このメジャー感溢れる開放的な空間に、敢えて地下密室の閉塞感を醸し出そうとした、といったところだろうか。
もちろんずっと暗闇ばかりが続いたわけではなく、赤や黄色の照明に染まりながらの「マネキン」には躍動感があったし、「マッキーナ」ではその場がジュリアナ東京と化した(もちろん行ったことなどないけども)。そして「淫美まるでカオスな」、「アレガ☆パラダイス」の連打でオーディエンスを踊らせると、赤色灯が回る真っ赤な空間のなかで「サイレン」が炸裂する。この曲でさらにカオス度を増したフロアは、サイレンが鳴りっぱなしのなかで桜井青(G,Vo)の「幕張ぃーっ! 行くぞーっ!」という掛け声とともに駄目押しをするかのように披露された「クソバカゴミゲロ」で、どす黒い絶頂へと一直線に向かっていく。
各々のミュージシャンシップの高さばかりではなく、その話術や言葉遣いのセンスにも独特のものがある彼らだが、このイベントを意識しながらのMCをすることはほぼ皆無だったし、桜井がセックスに絡めた発言で客席を沸かせることもなかった。もしかするとそこに物足りなさを感じたファンもいたかもしれないが、僕にはむしろそれが痛快に感じられた。イベントの色調に寄り添いながら盛り上げていこうとするのではなく、そこで徹底的に“個”をアピールして浮き上がろうとするかのような彼らのやり口に、僕は究極のインディーズ精神、すなわち独立心というべきものを感じさせられた。群れるのではなく、孤高であろうとすること。これもまた、ヴィジュアル系のあるべき姿のひとつである。
午後5時40分。タイムテーブル上に記されたLUNA SEAの開演定刻が訪れると、場内に手拍子が自然発生する。そしてその場が暗転し、お馴染みの「月光」が聴こえてきたのは、それから6分ほどを経た頃のことだった。ミラーボールに反射する光が、会場の無機質な天井全体を星空へと変えていく。
公演初日にあたる16日のステージには、白を基調としたコスチュームで登場してどよめきを誘った5人だが、この日はいわば正調のダークないでたち。RYUICHI(Vo)が一歩前に歩み出て「幕張、行くぞーっ!」と雄叫びをあげると、次の瞬間にパイロとともに爆裂したのは、意表を突く「ROSIER」。ライヴの終盤、すでに燃え広がった火の海に油を注ぐのがこの曲の常ではあるが、もちろん起爆剤としての効力も抜群だ。そして続くは「BELIEVE」で、RYUICHIのMCを挟んでの3曲目は「END OF SORROW」。どちらも初日のステージでは演奏されなかった楽曲だ。改めて言うまでもないことだが、誰もが聴きたいはずのマスト・チューンを厳選して並べただけでも、このバンドの場合はそれが1時間には収まりきらない。今回のように出演日が2日あるのであれば、双方のステージを通じてなんとかそれらをほぼ網羅することが可能になる。もちろん前述の「ROSIER」をはじめ両日の演奏メニューに重複した楽曲もありはしたが、終演後に改めてそれを数えてみると、「ROSIER」と「I for You」、そして「TONIGHT」と「WISH」の4曲にしか過ぎなかった。
第一夜と第三夜のセットに明確なテーマ分けがあったわけではないのだろうが、この第三夜のステージは結果的に『SHINE』~『LUNACY』期のシングル曲群が目に付く演奏内容になっていた。また、第一夜、ステージ上に大量の炎を噴出させながら披露された「FACE TO FACE」が僕としては非常に印象的で、こうした楽曲がいわゆるヒット・シングルとは別の意味において不可欠なのだということを実感させられたのだが、この第三夜においてそれと同じ印象を抱かされたのが「Sweetest Coma Again」だったことも付け加えておきたい。
今回のVJS出演がLUNA SEAにとっての今後の時間の流れにどのような影響をもたらすことになるのかはわからないが、このステージ上でRYUICHIが〈加速度〉という言葉を幾度か口にしていたことが僕には印象的だった。それは単純に、持ち時間の限られたステージだからこそそれを大事にしたいという意味合いで発されたものだったのかもしれない。が、僕にはこれからの活動のあり方をも示唆する言葉のように感じられたのだ。
最後の最後、「WISH」の余韻のなかで、ステージ上もフロアもみんな手を繋ぎ、ひとつになってジャンプを決める。RYUICHIは「幕張、愛してるよ! バイバイ!」と告げ、INORAN(G)は「最高の満月の夜だ!」と叫び、その場を後にする。J(Ba)はピースサインを掲げて「最後まで盛り上がっていけよ!」とメッセージを残し、ステージ中央で深々と礼をしたSUGIZO(G)は投げキッスをして去っていった。午後7時56分のことだった。
続いてはVISUAL STAGEが最後の出演者を迎える。己龍の登場だ。そのヴィジュアルやバンド名のみならず、サウンドや歌詞の面にも“和”のテイストを取り入れている彼ら。オープニングSEについてもそうした色は貫かれているし、まばゆい光のなかで炸裂した1曲目の「天照」もまさにそうした楽曲。こうした多数のバンドが出演する催しというのは、〈いつか機会があれば観てみたいと思っていたバンド〉のライヴ・パフォーマンスに一度に触れられる好機でもあるわけだが、僕自身にとってはこの己龍もそうした存在のひとつだった。つまり〈とにかく勢いがある〉といった評判は耳にしていたものの、これまでに一度も観たことがなかったのだ。
が、この夜のライヴに触れてみて、彼らがいわゆるライヴハウスのシーンに収まりきらない支持を集めていることについては納得ができた。このバンドについて検索をかけて調べてみると、たとえば〈和製ホラー〉といった言葉にも出くわすが、確かに楽曲のタイトルや歌詞などにもそれは表れているものの、5人それぞれに色分けされたそのキャラクターは、むしろ〈和テイストのゴレンジャー〉的でもある。そんな色とりどりのメンバーたちが、歌詞的にも見せ方の面でもフックのある楽曲を演奏し、振り付けや扇子を掲げる動きなどでオーディエンスを束ねようとするのだから、盛り上がらないはずもない。
しかも彼らは、この場で未知の客層に自分たちの特色を知らしめるのみならず、ある種の大胆不敵さをも印象付けた。「憧れ続けていたLUNA SEAとX JAPANの狭間で……」と語り始めたフロントマンの黒崎眞弥は「幸せを感じています」と語り、「馴染み深い曲、親しみを込めて」と次の曲へと観衆をいざなっていく。そこで披露されたのは、なんと「ピンクスパイダー」だった。しかもそこに、しっかりと彼らなりの色が反映されている。これは見事だった。そのうえで「大本命が控えているのはわかるけども、どうかあと1曲、僕らに付き合ってはくれませぬか」と言いながら「百鬼夜行」でとどめを刺す。最後は深々と礼をして去っていった彼らだが、この不敵さ、なかなかのものである。
いよいよクライマックスが近付いてきた。己龍の終演をもってVISUAL STAGE、JAPAN STAGE双方のすべての出演者の演奏が終了すると、残るはX JAPANと無敵バンドのみ。SUMMIT STAGEへと向けての民族大移動が進み、いつしか誰かが「We are…」と声をあげると「X!」という叫びが。それが延々と繰り返されていくなか、場内が最後の暗転を迎えたのは午後8時を15分ほど過ぎた頃のことだった。すると、いつも開演前に流れる各国のファンの熱狂を伝える映像が途中で、途切れてしまう。もしかしてスクリーンの故障? 結果、オープニング映像の肝心の部分については正常に流れたものの、あの一瞬の不穏な空気は心臓に良くなかった。
この日のX JAPANの演奏内容は、曲順なども含め、前2日とあからさまな差異はないものだった。変化があったとすれば、ポジティヴなことのみだ。たとえば僕は、第二夜にいつも以上にファルセットを使っていたToshl(Vo)の喉のコンディションを少しばかり心配していたのだが、その第二夜の対処のあり方が功を奏したのか、この夜は本来の唱法を貫き、「そこまで伸びるのか!」と言いたくなるほどのロング・トーンを存分に聴かせていた。YOSHIKI(Dr,Piano)と彼の言葉上のやり取りはいっそうくだけたものになり、YOSHIKIの発言が迷子になりそうになるとToshlがすかさず突っ込みを入れて軌道修正する、といった場面も。やはりこうした巨大イベントの代表者としての役割を果たすことについては、彼らのなかにも並大抵ではないプレッシャーがあったに違いない。それが、この最終局面においては解けてきつつあるのが伝わってくる。また、PATA(G)が療養後だということを忘れさせるほどに快調そうなのも嬉しかったし、HEATH(Ba)とSUGIZO(G)のコンスタントな安定ぶりも、このバンドのライヴを高次元で成立させるうえで大きな役割を果たしていることを改めて痛感させられた。
前述の通り、1曲目の「JADE」から本編最後の「X」、さらにはアンコール枠にあたる「ENDLESS RAIN」と「ART OF LIFE」に至るまで、演奏メニューに一切の変更はなく、観る側にとっては次にどの曲が飛び出してくるのかがあらかじめわかっているような状態でもあった。が、そうした予備知識が興奮の邪魔をしないのも、彼らのライヴのすごさのひとつだ。たとえ事前に決められた順番通りに演奏されていようと、その日の彼らには、やはりその日にしか会うことができない。もちろん大量のパイロや映像、照明効果などを伴った大掛かりなショウであるだけに、彼らにはある意味、巨大なマシーンの一部にならなければならないようなところもある。が、そこで完璧な演奏をしながらもかならず人間味を、感情の揺れや昂ぶりを感じさせてくれるのがこのバンドなのだ。
最後の最後、「ART OF LIFE」のクロージングの一節を歌い切ったToshlがその場にうずくまり、ほぼ同じ瞬間にYOSHIKIも仰向けに横たわる。そんなシーンを芝居がかり過ぎていると言う人たちもいるのかもしれない。が、すでにお決まりになっているそうしたシーンにすら感情移入したくなるのがこのバンドのライヴなのだ。それはあらゆる場面から、彼ら個々の本気が伝わってくるからこそだろう。
「またみんなと会えるよう、俺たちも頑張っていくから」

最後の「We are X!」の連呼の前に、YOSHIKIの口からはそんな言葉も聞こえてきた。次はもちろん、ニュー・アルバムを引っ提げてのライヴが観たい。その日の到来までに、こちらも自分のすべきことを頑張るしかない。あまり具体的な演奏内容についてこの場では触れずにきたが、それはまた別の機会に譲るとして、とにかくX JAPANがこの夜も深く記憶に残るライヴを完遂したことは、間違いない。
そしてVJSは、まだ終わらない。最後の仕上げは今夜も無敵バンドだ。その場で演奏されたのは、第二夜と同様にSEX PISTOLSのパンク・クラシック、「Anarchy In The UK」と「God Save the Queen」。もちろんステージ上に居並ぶミュージシャンたちの顔ぶれは違っている。そこで特筆すべきは、この日に出演していたわけではないGLAYの面々がこの場面のためだけに来場していた事実だろう。その場にX JAPANがいて、LUNA SEAとGLAYがいて、ゴールデンボンバーもいればcali≠gariもいる。YOSHIKIは3日間を通じてのすべての出演バンドの名前を読み上げて謝意を表し、読み忘れがないかどうかを気にしていたりもする。かと思えば、THE SLUT BANKSの名を呼んだ時には、そこにTUSKが居ることを思い出して「来年はZi:KILLよろしく!」などと声をかけてみたり。さらに付け加えておくと、前2日にはHIDEのギターを抱えてこの場に登場していたYOSHIKIは、この夜にはTAIJIのベースを弾いてみせたのだった。この賑やかでハチャメチャなセッションは、きっと彼ら二人の耳にも届いていたに違いない。
2曲のセッションを終え、記念撮影までを終了した頃には、すでに午後10時45分を過ぎていた。「電車、なくなっちゃう」と言いながら帰路を急ぐ人たちも少なくない。僕はといえば、結果的には無事に帰宅することができたものの、この時点ではどうやって帰るべきかを考えてもいなかった。結局、それくらい僕は楽しんでいたのだと思う。もちろん目に見えるところでもそうでないところでも問題は少なくなかったし、すべてを全面的に肯定することができるわけではない。また、VJSの持つ意義というのがいかなるものだったかをきちんと自分なりの文章にするためには、もう少し時間を要することになりそうだ。が、とにかくこの3日間を幕張メッセで過ごして良かったと思っている。なにしろこんな僕ですら「明日からまた頑張ろう」という気持ちになれたのだから。
取材・文◎増田勇一

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