爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.82 「カウント
でいこう♪の巻」

いい音爆音アワー vol.82 「カウントでいこう♪の巻」

2017年9月13日(水)@風知空知

スタジオ録音なのに”1!2!3!4!”などのカウントで始まる曲がありますよね。演奏するときに録音されていたとしても、後で編集してカットしてしまうのが普通ですが、何らかの理由により残したんですね。中には意図的に後からつけたしたのもあったり。

ライブのような臨場感を出したいから?

あるいはせーので演奏してしてるんだぞと言いたいために?

いくつかの曲は、そのアーティストがステップ・アップするきっかけとなった作品です。これで勝負だ!という意気込みがカウントに込められているのかもしれませんね。


福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
The Beatles「I Saw Her Standing There」

ポールの元気なカウントで始まるデビュー・アルバムの1曲目。

∨1st アルバム『Please Please Me』(1963年3月22日発売)収録

作詞・作曲:McCartney–Lennon

レーベル:Parlophone

アルバムは全英30週連続1位
・テイク1がOKとなったが、カウントはテイク9のを持ってきた。

・他に「Taxman」「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」などもカウントあり。

・元は「Seventeen」というタイトルだった。
Wilson Pickett「You Can't Stand Alone」

歌自体がビートのかたまりって感じ。

∨シングル(1967年発売)

6th アルバム『The Sound Of Wilson Pickett』(1967年7月発売)収録

作詞・作曲:Rudy Clark/プロデュース:Rick Hall, Tom Dowd, Jerry Wexler

レーベル:Atlantic

全米70位、R&B26位 アルバムは全米54位
・カウントは ”1,_2,_1,2,__”


ウィルソン・ピケット:

1941年3月18日、米国アラバマ州プラットヴィル生まれ。

リトル・リチャードから多大な影響を受け、教会とストリートで鍛えられて、強力なシャウト唱法を体得する。

1955年、”Violinaires”というゴスペル・グループに参加し教会ツアーに明け暮れる。

1959年、歌手としての成功を求めて、”The Falcons”というソウル・グループに加入。

1963年、自らも曲作りに参加した「If You Need Me」という曲のデモをAtlanticのジェリー・ウェクスラーに送ったところ、ウェクスラーはピケットとの契約は断りながら、その曲をソロモン・バークSolomon Burkeに歌わせ、それがR&Bチャート2位のヒットとなる。ピケットも同曲をDouble L Recordsより1963年4月にリリースするが、R&B30位どまり。

1964年、次のシングル「It’s Too Late」がR&B7位となり、それを見たウェクスラーは慌ててDouble LからAtlanticに契約を買い上げる。せこい!

1965年6月、Altanticでの3枚目のシングル「In the Midnight Hour」がR&B1位、全米21位のヒット。

1966年7月、シングル「Land of 1000 Dances(ダンス天国)」リリース、R&B1位、全米6位のヒット。

1972年、RCAに移籍。

以降次第にチャート順位は低下していく。

2004年、病に倒れるまではコンサート活動を続ける。

2006年1月19日、心臓発作により死去。満64歳没。
James Brown「Hot Pants (She Got to Use What She Got to Get What She Wants)」

「ホットパンツ!」って叫ぶだけで曲にしちゃうこのファンキー・パワー。

∨シングル(1971年7月発売)

37th アルバム『Hot Pants』(1971年8月発売)収録(ロングver.)

作曲・編曲:James Brown/プロデュース:James Brown

レーベル:People Records

R&B1位、全米15位
・カウントは”1,_2,_1,2,3,Uh!”

・James Brownの他のカウント始まり曲:「Get Up I Feel Like Being A Sex Machine」、「Make It Funky」


ジェームス・ブラウン:

1933年5月3日 - 2006年12月25日

米国サウスカロライナ州バーンウェル生まれ。

16歳の時、車強盗で有罪となり、トコアの教護院で服役中、ボビー・バードと知り合う。

ボクサー、野球のピッチャーも経験するが、脚の怪我で断念、音楽の道を進む。

1955年、バードのグループ”Avons”に加入。いくつかの改称の後、”The Famous Flames”となる。

King Recordsのレーベル「Federal」と契約し、1956年3月、”James Brown and The Famous Flames”名義でシングル「Please, Please, Please」をリリース。R&B6位でミリオン・セラーとなる。

1963年3月、アルバム『Live at the Apollo』リリース。全米2位の大ヒット。

1964年、世界初のファンク曲と言われる「Out of Sight」」リリース。

1970年3月、給料に関するトラブルからバック・バンドを大幅にメンバーチェンジ。”The J.B.’s”が結成される。

トロンボーンのフレッド・ウェズリーFred Wesleyが音楽監督を務めた1970〜75年は「ファンク完成期」。
Chic「Le Freak(おしゃれフリーク)」

このカウントは完全にイントロの一部だね。

∨3rd シングル(1978年9月21日発売)

2nd アルバム『C'est Chic』(1978年8月11日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Bernard Edwards & Nile Rodgers

レーベル:Atlantic

全米1位、全英7位 アルバムは全米4位、R&Bチャート1位、全英2位
・カウント:”1,2,Ahh”


シック(シークが正しいらしい):

1977年、ナイル・ロジャースNile Rodgers (g)、バーナード・エドワーズBernard Edwards (b)、トニー・トンプソンTony Thompson (dr)が中心となって結成。

 同年、デビュー曲「Dance, Dance, Dance」が全米6位、ダンスチャート1位の大ヒット。

 同年11月、1st アルバム『Chic』リリース。

ディスコブームの終焉とともに、人気は衰退したが、ロジャースとエドワーズはプロデューサーに転身し、共同でシスター・スレッジSister Sledge、ダイアナ・ロスなど、ロジャース単独で、デイヴィッド・ボウイ、マドンナ、ダフト・パンクなどを担当、ヒットを連発した。

1996年、CHICが再結成して来日の折、武道館公演の翌々日=4月18日、エドワーズがホテルで急死。

2003年、CHIC後、”Power Station”などで活躍したトンプソンが死去。
The Police「Masoko Tanga」

長いけど、グルーヴだけで聴けてしまう演奏力。

∨1st アルバム『Outlandos d'Amour』(1978年11月2日発売)収録

作詞・作曲:Sting/プロデュース:The Police

レーベル:A&M

アルバムは全英6位、全米23位
・オフ・マイクのカウント:”1,_2,_1,2,3,4,”

・「Outlandos d'Amour」は「Outlaws of Love」のフレンチ風

・スチュアート・コープランドStewart Copelandの兄、マイルズMilesに借金をして制作。当初インディーズでリリースする予定だったが、「Roxanne」を聴いて気に入ったマイルズが、A&Mと交渉し、「Roxanne」のシングル単発契約をとってきた。「Roxanne」は不発だったが、A&Mは再度チャンスを与え、今度は「Can’t Stand Loosing You」をリリースするとこれがヒットし、アルバムのリリースへつながっていく。

・「Kilwa Masoko」というタンザニアの都市がある。「Tanga」はTバック型下着の一種。
Todd Rundgren「Baby Let's Swing〜The Last Thing You Said〜Don’t Tie My Hands」

3曲それぞれいいのに、なぜ初出のアルバムでメドレーにしちゃったんだろ?

∨1st アルバム『RUNT』(1970年6月発売)

作詞・作曲・プロデュース:Todd Rundgren

レーベル:Bearsville Records
・カウント:”1_2,_1,2,3,Fine?”

・一応”RUNT”というバンドのアルバムということだが、ジャケットではTodd Rundgren/RUNTになっている。

・ソング・ライティングにおいて大きな影響を受けたLaura Nyroのことを歌っている。
トッド・ラングレン:

1948年6月22日、米国ペンシルヴェニア州アッパー・ダービー生まれ。

父親はスウェーデンおよびオーストリア系、母親はドイツ系

1967年、”Nazz”を結成。アルバムを3作リリースするが、2作目発表後にラングレンは脱退。

その後ニューヨークに移り、ボブ・ディランやジャニス・ジョップリンのマネージャーとして知られるアルバート・グロスマンAlbert Grossmanの下、Bearsville Recordsのプロデューサー&エンジニア、そしてアーティストとして活躍する。

1970年、Hunt Sales (dr)、Tony Sales (b)とともに”RUNT”を結成。

 同年アルバム『RUNT』をリリース。

1972年2月、2枚組の3rd アルバム『Something / Anything?』リリース。

1973年、”Utopia”を結成、

1974年9月、Utopiaの1st アルバム『Todd Rundgren's Utopia』リリース。

以降、ソロと並行してUtopiaは1985年まで精力的に活動を展開する。

……
Led Zeppelin「The Ocean」

ジョン・ボーナムによる「もう4テイクも録ったけど、おかげで今度はバッチリだ…」というラップ?に続けてのカウントが粋。

∨ドイツではシングル・リリースされた

5th アルバム『Houses of the Holy(聖なる館)』(1973年3月28日発売)収録

作詞・作曲:John Bonham, John Paul Jones, Jimmy Page, Robert Plant/プロデュース:Jimmy Page

レーベル:Atlantic

アルバムは全米・全英1位、オリコン3位
・カウント:ボーナムによる「We've done four already but now we're steady, and then they went 1, 2, 3, 4!」

・アルバムに正式にタイトルがつけられたのはこれが初めて。

・ツェッペリンのオリジナル・アルバムで全曲の歌詞が載っているのはこのアルバムのみ。
Bruce Springsteen「Born to Run」

この1曲の録音に6ヶ月もかかったという大作。音が洪水のようです。

∨シングル(1975年8月25日発売)

3rd アルバム『Born to Run(明日なき暴走)』(1975年8月25日発売)収録

作詞・作曲:Bruce Springsteen/プロデュース:Bruce Springsteen, Mike Appel, Jon Landau

レーベル:Columbia

全米23位 アルバムは全米3位
・途中ブレイクし、カウント”1,2,3,4”で再スタートする。

・ジャケットでスプリングスティーンがもたれているのはサックスの クラレンス・クレモンズClarence Clemons。
ブルース・スプリングスティーン

1949年9月23日、米国ニュージャージー州フリーホールド・ボロー生まれ

オランダおよびアイルランド系の父はバス運転手もしくは無職、イタリア系で法律事務職の母が主に家計を支えていた。

1964年、初めてのギターを$18で購入。同年「The Ed Sullivan Show」に出演したThe Beatlesを観て衝撃を受ける。

1965年、”Castiles”というバンドに参加してライブに明け暮れる。

1972年5月、Columbia Recordsと契約。

それまでに彼の周りに集まっていたミュージシャン達を”the E Street Band”としてまとめ、1st アルバム『Greetings from Asbury Park, N.J.(アズベリー・パークからの挨拶)』を制作、1973年1月にリリース。

1975年8月、3rd アルバム『Born to Run(明日なき暴走)』リリース。全米3位とブレイク。

 同年10月27日、「Time」と「Newsweek」、両誌の表紙を飾る。

1980年10月、5th アルバム(2枚組)『The River』リリース。全米1位。

1984年6月、7th アルバム『Born in the U.S.A.』リリース。全米・全英ともに1位。

……
Wink「ケ・セラ・セラヴィ」

あきらかに英語スピーカーのカウントですが、クレジットがなくてミュージシャンがわからん。

∨12th アルバム『overture!』(1994年7月1日発売)収録

作詞:芹沢類/作曲:杉真理/編曲:Brett Raymond/プロデュース:水橋春夫

アルバムはオリコン34位
・カウント:”1,2,3,4,”
ウィンク:

鈴木早智子 1969年2月22日 東京都出身

相田翔子 1970年2月23日 東京都東村山市出身
ワニブックスの雑誌「Up to Boy」が1987年に開催したミスコンテストの、上半期グランプリの鈴木、下半期グランプリの相田が、1988年に結成。

 同年4月、シングル「Sugar Baby Love」でデビュー。

1988年11月、3rd シングル「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」がオリコン1位。

1989年7月、5th シングル「淋しい熱帯魚」リリース。オリコン初登場1位。

 同年12月、第31回日本レコード大賞受賞。

1996年3月、活動停止。
ピチカート・ファイヴ
「スウィート・ソウル・レヴュー」

このメロディアスじゃないメロディは画期的でした。

∨4th シングル(1993年4月7日発売)

アルバム『ボサ・ノヴァ 2001』(1993年6月1日発売)収録

作詞・作曲・編曲:小西康陽/プロデュース:小西康陽&小山田圭吾

レーベル:TRIAD/日本コロムビア

オリコン19位 アルバムはオリコン7位
・カウントはイントロの最後と曲の後半:”1,2,3,4,”

・1993年カネボウ化粧品夏のイメージソング。この曲でやっとブレイク。
PIZZICATO FIVE:

1984年、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子により結成。当初、宮田繁男(dr. 後に”オリジナル・ラヴ”)を加えた5人の予定だったので、”ピチカート・ファイヴ”となった。

1985年、細野晴臣がテイチク・レコード内に設立した「NON STANDARD」レーベルから、12インチシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。

1986年、CBSソニーに移籍。

1987年4月、1st アルバム『couples』をリリース。全く売れず、鴨宮と佐々木が脱退。既に”オリジナル・ラヴ”で活動していた田島貴男を加える。

1988年9月、2nd アルバム『Bellissima!』リリース。

1990年、日本コロムビアに移籍。田島が脱退。元”ポータブル・ロック”の野宮真貴が加入。

1993年4月にリリースした「スウィート・ソウル・レヴュー」がブレイク。12月リリースの「東京は夜の七時」も、フジテレビ系の子供番組「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングで使用され、ヒット。

1994年10月、アルバム『Overdose』リリース。高浪が脱退し、小西と野宮のデュオとなる。

1995年2月〜、米欧14都市のワールド・ツアー。

1997年、小西はレーベル「*********(readymade) records,tokyo」を設立。

2000年8月、小西プロデュースによる「慎吾ママのおはロック」発売、ミリオン・セラーを記録。

2001年1月1日、オリジナルとしては最後のアルバム『さ・え・ら ジャポン』をリリース。

2001年3月31日、ベストアルバム『PIZZICATO FIVE R.I.P.〜Big Hits and Jet Lags 1998-2001』をリリースし、田島や高浪および大勢のゲストを招いてのラスト・ライブ(「お葬式」ライブ)を開催、およそ17年間の活動に終止符を打つ。
フジファブリック「夜明けのビート」

「モテキ」を観てこの曲が好きになり、この曲のせいで「モテキ」を好きになりました。

∨5th アルバム『MUSIC』(2010年7月28日発売)収録

作詞・作曲:志村正彦/編曲:フジファブリック

レーベル:ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ

アルバムはオリコン7位
・カウント”いち,に,さん,_”の声は、サポート・ドラマーの刃田綴色(元”東京事変”)

・テレビ東京系ドラマ24「モテキ」主題歌。

・ボーカルとギター・ソロは志村正彦が残したもの


フジファブリック:

2000年、志村正彦(vo,g)を中心に結成。

2002年10月、アルバム『アラカルト』リリース。

2003年6月、アルバム『アラモード』リリース。

2004年2月、東芝EMIよりのプレ・デビュー・アルバム『アラモルト』リリース。

 同年11月、1st アルバム『フジファブリック』リリース。

2005年11月、2nd アルバム『FAB FOX』リリース。

2008年1月、3rd アルバム『TEENAGER』リリース。

2009年9月、4th アルバム『CHRONICLE』リリース。

 同年12月24日、志村が死去。

2010年1月、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズへ移籍。

 同年7月、5th アルバム『MUSIC』リリース。

 山内総一郎(vo,g)、金澤ダイスケ(key)、加藤慎一(b)の3人で活動継続を宣言。

2011年9月、6th アルバム『STAR』リリース。

……
いまみちともたか、そして浜崎貴司
「うまくやれ」

できたてホヤホヤの今の音。ヤンチャだけど大人のロック。

∨CD未発売(ライブ会場で配布)

2017年8月24日よりYouTubeで公開

作詞・作曲:いまみちともたか&浜崎貴司/編曲・プロデュース:いまみちともたか

浜崎貴司:vocal

いまみちともたか:vocal, guitars, ondomo, programming

additional violin by ARIA

Recorded, Mixed &Mastered by 杉本哲哉(spacestudio) 2,3,&12July 2017
・カウント:いまみちともたかの声で、”1,_2,_1,___”
いまみちともたか(本名:今道友隆):

1959年10月12日、東京都生まれ。

1984年、”Barbee Boys”のリーダー&ギター担当としてEPICソニーよりデビュー。ほとんどの作詞・作曲を手がけた。1992年に解散。その後ソロ活動。

2009年、椎名林檎「ありあまる富」の補作曲・編曲・ギターを担当。

その後、中島卓偉や杏子の作品に参加。

2014年、椎名純平らと”ヒトサライ”結成。

2015年11月、”ヒトサライ”1st アルバム『ディレクターズ・カット』リリース。

2016年7月27日、”ヒトサライ”2nd アルバム『嘘のようなマジな話』リリース。
はまざきたかし:

1965年6月11日 栃木県宇都宮市生まれ

1988年、”Flying Kids”を結成、ボーカルを担当。

1989年2月、”Flying Kids”で「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演。初代グランド・キングになる。

1990年4月、”Flying Kids”、シングル「幸せであるように」でデビュー。

1998年2月、”Flying Kids”解散。

 同年12月、「ココロの底」でソロ・デビュー。

2007年10月、小峰理紗とのユニット「ハマザキコミネ」を結成。

2008年より、ゲスト・アーティストとギター1本でライブ対決をする「GACHI」シリーズを展開中。
Peter Gabriel「Games Without Frontiers」

アトランティックが売れそうもないと米国での販売を断った。結果は全英1位、全米でも22位。

∨先行シングル(1980年2月9日発売)

3rd アルバム『Peter Gabriel (Melt)』(1980年5月23日発売)収録

作詞・作曲:Pete Gabriel/プロデュース:Steve Lillywhite

レーベル:Charisma (UK) / Mercury (US)

全英4位 アルバムは全英1位、全米22位
・カウント:”あ1,_2,_1,2,4,_”

・反戦ソングらしい。

・コーラスにKate Bush参加。

・ジャケット・デザインはHipgnosis


ピーター・ゲイブリエル:

1950年2月13日、英国サリー州ウォーキング生まれ

1967年、パブリック・スクールの友人たち、アンソニー・フィリップス、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスらと”Genesis”を結成。

1969年3月、”Genesis”、アルバム『From Genesis to Revelation(創世記)』でデビュー。

1975年、6th アルバム『The Lamb Lies Down on Broadway(眩惑のブロードウェイ)』リリース後、”Genesis”を脱退。

1977年2月、1st ソロ・アルバム『Peter Gabriel (Car)』リリース。

1982年7月、「WOMAD, World of Music, Arts and Dance」というワールド・ミュージック・フェスティバルを主宰、この時は25万ポンドの赤字だったが、その後世界各地で開催され、ギネスブックに「世界最大の国際音楽フェスティバル」として認定されている。

1986年3月、5th アルバム『So』リリース。全英1位、全米2位と大ブレイク。

1988年、ワールド・ミュージックのレーベル「Real World Records」を立ち上げる。

……
Electric Light Orchestra「All Over The World」

映画は大外れ。サントラは大ヒット。

∨シングル(1980年7月発売)

アルバム『XANADU』(1980年8月発売)収録

作詞・作曲・プロデュース: Jeff Lynne

レーベル:Jet (UK) / MCA (US)

全英11位、全米13位 アルバムは全英2位、全米4位
・ガヤガヤの中から”1,2,3,4,”

・アルバムは1980年の映画「Xanadu」のサウンド・トラック。Side-1がOlivia Newton-John、Side-2がELOという構成。
エレクトリック・ライト・オーケストラ:

英国バーミンガム出身のバンド

1971年、前身の”The Move”を経て、Roy Wood、ジェフ・リン、Bev Bevan (dr)により結成。12月に1st アルバム『Electric Light Orchestra』をリリース。

ウッドが抜け、Richard Tandy (key,b)が加入。チェロ2名とヴァイオリン1名も常駐し、ユニークな編成が異彩を放つロック・バンドとして注目を集める。

1974年9月、4th アルバム『Eldorado』リリース。本作より、ルイス・クラークLouis Clarkがストリングス・アレンジ。米国でゴールドディスクとなるが英国ではいまいち。

1975年、Kelly Groucutt (b)加入。

1979年5月、8th アルバム『Discovery』リリース。初の全英1位。全米は5位。この後、ストリングス・メンバーは解雇される。

1986年2月、11th アルバム『Balance of Power』リリース後、バンドは活動停止。

2001年6月、ELOとして15年ぶりの12thアルバム『Zoom』をリリース。

2014年から”Jeff Lynne's ELO”名義でライブ活動を再開。
U2「Vertigo」

ボノがかっこよくスペイン語でカウントしているが、間違ってる(笑)。

∨先行シングル(2004年11月8日発売)

11th アルバム『How to Dismantle an Atomic Bomb(原子爆弾解体新書)』(2004年11月22日発売)収録

作詞:Bono and The Edge/作曲:U2/プロデュース:Steve Lilywhite

レーベル:Island, Interscope

全英1位、全米31位、オリコン10位 アルバムは全英・全米ともに1位、オリコン4位
・最初はドラム・スティック4回、イントロの間にBonoがスペイン語で”Unos, Dos, Tres, Catorce!”=”Some, Two, Three, Fourteen!”

・iPodのCMイメージソングとして使用された。

・この曲にちなんで、2005〜06年のワールド・ツアーは「Vertigo Tour」と名付けられた。

・2005年の第47回グラミー賞で、「Best Rock Performance by a Duo or Group with Vocal」と「Best Rock Song」を獲得。

・2006年第48回グラミー賞では、「Album of the Year」、シングル「Sometimes You Can't Make It on Your Own」が「Song of the Year」を獲得
ユー・ツー:

1980年9月、アイランド・レコードよりシングル「11 O'Clock Tick-Tock」でデビュー。

1983年2月、3rd アルバム『WAR(闘)』リリース。初の全英1位。

1987年3月、5th アルバム『The Joshua Tree』リリース。 全英・全米ともに1位。

『Achtung Baby』(1991)、『Zooropa』(1993)、『Pop』(1997)と、90年代はブレイク・ビーツを多用したビッグ・ビート。

All That You Can't Leave Behind』(2000)から原点回帰。

2014年9月、アルバム『Songs of Innocence』をiTunesで無料配信。10月にはCD発売。
Maroon 5「Can't Stop」

2ndアルバムが1stの5年後ってのも珍しい。

∨2nd アルバム『It Won't Be Soon Before Long』(2007年5月16日発売)収録

作詞・作曲:Adam Levine, James Valentine/プロデュース:Eric Valentine & Maroon 5

レーベル:A&M Octone

アルバムは全米初登場1位、全英1位、オリコン3位
・スティックとともに”1.2.3._”
マルーン・ファイブ:

1994年に結成された4人組バンド”Kara's Flowers”が、2001年、5人編成となりバンド名を”Maroon 5”と改称。2002年6月にリリースした1st アルバム『Songs About Jane』はロング・セラーとなり、2005年の第47回グラミー賞・最優秀新人賞を受賞。
*アダム・レヴィーンAdam Levine (vo,g)

1979年3月18日、カリフォルニア州ロサンゼルス出身

*ライアン・デューシックRyan Dusick (dr)

1977年9月19日 カリフォルニア州ロサンゼルス出身 2006年脱退

*ジェシー・カーマイケルJesse Carmichael (key,g)

1979年4月2日、コロラド州ボルダー出身 2012年離脱、2014年復帰

*ミッキー・マデンMickey Madden (b)

1979年5月13日 テキサス州オースティン出身
*ジェームス・ヴァレンタインJames Valentine (g)

1978年10月5日、ネブラスカ州リンカーン出身 2001年加入

*マット・フリンMatt Flynn (dr)

1970年5月23日 ニューヨーク州ウッドストック出身 2006年加入

*PJ・モートンPJ Morton (key)

1981年3月29日、ルイジアナ州ニューオーリンズ出身 2014年加入
John Mayer「Who Says」

映画「Back To the Future」(1985)を観て、ギターに興味を抱いたらしい。若いね!

∨先行第1弾シングル(2009年9月24日発売)

4th アルバム『Battle Studies』(2009年11月17日発売)収録

作詞・作曲:John Mayer/プロデュース:John Mayer, Steve Jordan

レーベル:Columbia

全米17位(Adult Alternative Songsチャート1位)、オリコン51位

アルバムは全米初登場1位
・たぶんドラムのスティーブ・ジョーダンが”1,2,3,_”
ジョン・メイヤー:

1977年10月16日、米国コネチカット州ブリッジポート生まれ。両親ともに教師。

米「Rolling Stone」誌の2007年2月号で、ジョン・フルシアンテ、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト(The New Guitar Gods)」に選定され、表紙を飾った。

1999年9月、自主EP『Inside Wants Out』を発表。

2000年3月、「South by Southwest music festival」に出演。そのパフォーマンスが評価され、2001年、Aware Recordsからネット・オンリー・アルバム『Room for Squares』をリリース。やがてAwareはColumbiaと契約し、Columbiaは『Room for Squares』に『Inside Wants Out』の曲も加え、リミックスして、2001年9月に改めてリリースする。

2003年、グラミー賞にてシングル「Your Body Is a Wonderland」が「最優秀ポップ男性ボーカル」を獲得。

2003年9月、2nd アルバム『Heavier Things』リリース。全米1位。シングル「Daughters」は2005年グラミー賞の「Song of the Year」を獲得。

2006年9月、3rd アルバム『Continuum』リリース。

2009年11月、4th アルバム『Battle Studies』リリース。

2011年11月、5th アルバムの制作中、声帯の肉芽腫除去手術を受け、休養。

2012年5月、5th アルバム『Born and Raised』リリース。全米初登場1位となるが、声帯が完治せず、2013年まで歌えなかった。

2013年10月、6th アルバム『Paradise Valley』リリース。

2017年4月、7th アルバム『The Search for Everything』リリース。
Sheryl Crow「Love Is Free」

「恋は自由だ」と思っていたら、「恋はタダだ」という意味でした。

∨第2弾シングル・カット(2008年1月発売)

6thアルバム『Detours』ディートゥアズ=回り道(2008年2月5日発売)収録

作詞・作曲:Sheryl Crow, Bill Bottrell/プロデュース:Bill Bottrell

レーベル:A&M

全米63位、オリコン10位 アルバムは全米2位、全英20位、オリコン22位
・みんなでいっしょに”1,_2,_1,2,3,_”

・ハリケーン・カトリーナで大きな被害を被ったニューオリンズの人々の、それでも希望を失わない前向きな生き方に触発されて作った歌、とのこと。
シェリル・クロウ:

1962年2月11日 米国ミズーリ州ケネット生まれ。

小学校の音楽教師をしながら、コマーシャルのジングル制作(マクドナルドやトヨタなども)。

1987〜1989年、マイケル・ジャクソンの「Bad World Tour」でコーラスを担当、来日もした。その他、スティーヴィー・ワンダー、ベリンダ・カーライル、ドン・ヘンリーなど多くのアーティストのレコーディングに参加。

1990年、A&Mレコードと契約。

1992年、ヒュー・パジャムHugh Padghamのプロデュースによりデビュー・アルバムをレコーディング、1992年9月22日に発売される予定だったが、レコード会社との話し合いの末、無期延期となってしまう。オーバー・プロデュースが本人の気に入らなかったものと思われる。

1993年8月、31歳にしてやっとデビュー・アルバム『Tuesday Night Music Club』リリース。当初は動きが鈍かったが、1994年の秋になって、4月にシングル・カットした「All I Wanna Do」が急に売れ始め、全米2位にまで上昇、1995年第37回グラミー賞では「Record of the Year」、「Best New Artist」、「Best Female Vocal Performance」の3冠を受賞、結果、アルバムは700万枚以上売り上げる。

1996年9月、2nd アルバム『Sheryl Crow』リリース。

1998年9月、3rd アルバム『The Globe Sessions』リリース。

2002年4月、4th アルバム『C'mon C'mon』リリース。

2005年9月、5th アルバム『Wildflower』リリース。

2008年2月、6th アルバム『Detours』リリース。

2010年7月、7th アルバム『100 Miles from Memphis』リリース。

2013年3月、初のカントリー・アルバム『Feels Like Home』リリース。

BARKS

BARKSは2001年から15年以上にわたり旬の音楽情報を届けてきた日本最大級の音楽情報サイトです。

新着