爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.59 「めがねア
ーティスト特集」

いい音爆音アワー vol.59 「めがねアーティスト特集」

2015年10月14日(水)@風知空知

10月1日はメガネの日だそうです。1001って書くと、あーなるほど。

昔(1970年代くらいまで)はメガネをしているアーティストって少なかった。メガネって「ガリ勉」みたいでかっこ悪かったから。

大学に入ってロックバンドをやりたいと思って、軽音楽部に入部したら、黒縁メガネだったボクが先輩から最初に言われた言葉が「メガネでロックはできんぞ。コンタクト作ってこい!」でした。

今じゃ全然、かっこ悪いなんて感覚はなくなったけど、それでもめがねアーティストは少数派。コンタクトという選択肢もある中、敢えてメガネで活躍する彼らの想いは、その音楽をじっくり聴けばわかる!??

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
東海林太郎「国境の町」
昔はメガネと言えば丸い黒縁の、いわゆるロイド眼鏡。でも直立不動で歌う姿によく似合った。
∨シングル(1934年発売)

作詞:大木惇夫 作曲:阿部武雄

しょうじ たろう:

1898年(明治31年)12月11日、秋田市台所町生まれ。

1923年9月、南満州鉄道株式会社に入社。7年間勤務の後帰国、弟・三郎と早稲田鶴巻町で中華料理店を経営。

音楽に対する想いを諦められず、声楽を勉強、音楽コンクールで入賞するまでになった。

1933年、プロ歌手となり、大日本雄辯會講談社レコード部(現:キングレコード)から「河原月夜」「山は夕焼け」などを発売。

1934年2月、日本ポリドール蓄音機株式会社(現:ユニバーサル・ミュージック)より発売した「赤城の子守歌」が空前のヒット。同年、「国境の町」も大ヒットし、歌手としての地位を確立。

1963年、任意団体(当時)日本歌手協会初代会長に就任。

1972年(昭和47年)10月4日、死去
Buddy Holly「Words Of Love」
この人のおかげでメガネに抵抗感がなくなった人、多数。
∨シングル(1957年6月20日発売)

作詞・作曲:Buddy Holly

1957年4月8日に録音されたが、この時代で既にボーカルをダブルトラックにしている。

The Diamonds”がカバーし、1957年7月にビルボードHot100で13位のヒット

ジョン・レノンとポール・マッカートニーもホリーの大ファンで、ビートルズがキャバーン・クラブで演奏していた頃からこの曲をレバートリーにしており、カヴァーがアルバム『Beatles for Sale』(1964年12月4日発売)に収録された。
1936年9月7日、米国テキサス州ラボック生まれ。

高校時代からカントリーを演奏。

1955年、エルヴィス・プレスリーと出会い、その影響でロックンロールに傾倒。

1956年、デッカ・レコードと契約、2枚シングルをリリースするが全く売れず。

1957年5月、Brunswick Recordsよりシングル「That’ll Be the Day」をリリースし、全米1位のヒット。リリース時点でまだデッカとの契約があったので、Brunswickのほうは ""The Crickets""名義。

1957年10月、シングル「Peggy Sue」がヒット。

1959年2月3日未明、ツアー中、搭乗した小型飛行機が吹雪のために方向を失って墜落、ホリーと、同乗していたリッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)、ビッグ・ボッパー(The Big Bopper)が全員死亡した。3人のロックンローラーが一度に亡くなるというこの衝撃の日は、後に「音楽が死んだ日 The Day the Music Died」と呼ばれるようになった。
Elton JohnCandle In the Wind」
ボクはこの人にロンドンのエアー・スタジオで遭遇したのに、デカいメガネもかけておらず、派手な衣装も着ていなかったので、まったく気づかなかった…。
∨7th アルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』(1973年10月5日発売)収録

作詞・作曲:Bernie Taupin & Elton John/プロデュース:Gus Dudgeon

アルバムは全米・全英1位

マリリン・モンローに捧げた曲

1997年に、ダイアナ元英皇太子妃への追悼ソングにリメイクし、「Candle in the Wind 1997」として、1997年9月6日に行われたダイアナ元英皇太子妃の葬儀でエルトン・ジョンが歌い、CD化された。米では予約枚数が870万枚など、全世界で大ヒット、全米・全英・オリコンすべて1位に。
1947年3月25日、英国ミドルセックス州ピナー生まれ。

出生名はReginald Kenneth Dwight。Elton Johnという名は、ソロ・デビュー前に参加したバンド、”ブルーソロジー”のメンバーだったElton DeanとLong John Baldryの2人から取ったもの。

これまでに3億枚を売り上げ、1972年の『ホンキー・シャトー』以降、アルバムが7作連続全米首位を記録し、1975年には『キャプテン・ファンタスティック』で全米ビルボードのアルバムチャート史上初の初登場1位を記録。

21世紀に入っては視力矯正手術にも成功し、長年愛用していた眼鏡もオークションに出した。
Nana Mouskouri「Plaisir d'amour(愛の喜びは)」
50年代から活躍している女性歌手でメガネはほんとに珍しい。
∨シングル(1971年発売)

作詞:ジャン・ピエール・クラリス/作曲:ジャン・ポール・マルティーニ

エルヴィス・プレスリー「好きにならずにいられない(Can't Help Falling In Love)」の原曲である

1934年10月13日、ギリシャ・クレタ島生まれ。

450枚のアルバムを発売し、15言語で約1500曲の歌を発表した。

1957年、ギリシャ語と英語で録音された「Fascination」で、レコードデビュー

1963年には生活の拠点をパリへ移す。

1965年、2枚目の英語アルバム『Nana Sings』を、クインシー・ジョーンズのプロデュースにより、米国でリリース、ハリー・ベラフォンテは、これを大いに評価し、ムスクーリは彼の北米ツアーに参加した。またライブ・デュオ・アルバム『An Evening With Belafonte / Mouskouri』を発表する。このツアーでベラフォンテが彼女に、メガネを舞台上で掛けないよう示唆したところ、ムスクーリはメガネは自分の一部であると、断固拒否した。

2004年、ベルリンで行われた70歳記念コンサートにて、引退を宣言したが、その後も度々コンサートを行っている。
つじあやの「月が泣いてる」
ウクレレとメガネがトレード・マークでした。
∨4th アルバム『恋恋風歌(こいこいふうか)』(2003年5月21日発売)収録

作詞・作曲:つじあやの/プロデュース・編曲:根岸孝旨/Gut-Guitar:小倉博和

1978年1月6日、京都府京都市左京区生まれ。

1998年、LD&K Recordsからミニアルバム『うららか』を発売。

1999年、ビクターエンタテインメントからミニアルバム『君への気持ち』を発売

2015年、結婚を発表
アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」
愛用は「Opticien Loyd CL-02」らしいですが、ダテ眼鏡だそうで。メガネはずすと美人なのになぜ。
∨8th シングル(2008年9月17日発売)

3rd アルバム『ANSWER』(2009年2月25日発売)収録

9月29日付オリコンチャートの3位に登場して以来、50位以内を維持し続け、2009年3月までの1年間でのトップ50位滞在28週(滞在週数1位)を記録。

アルバムはオリコン初登場1位

1977年9月15日、徳島県板野郡板野町生まれ。

父親が日本人で母親がイタリア系アメリカ人。

1996年、ジョージ・ワシントン大学に入学。1年生の時にサラ・マクラクランのライブを観て感銘を受け、それをきっかけとして真剣に音楽の道を志す。

2003年、日本に帰国。あちこち売り込んだが、年齢が足かせとなり、どこもとりあってくれなかった。

2005年3月、インディーズからピアノ弾き語りミニアルバム『ONE』をリリース。売行き好調。

2005年9月14日、シングル「HOME」でメジャーデビュー。

2006年6月14日 アルバム『Home』を発表。60万枚を超すロングセラーとなる。

12月26日 日本武道館史上初となる、単独アーティストによるピアノ弾き語りライブを開催。以降、武道館ライブは毎年行われることとなった。

2008年、第75回NHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲に「手紙~拝啓 十五の君へ~」を提供。

2014年8月4日、日本武道館での全国ツアー・ファイナル公演をもって無期限活動停止に入る。
くるり「How To Go」
“くるり”が出てきた時はまだ、リード・ボーカルが黒縁メガネというのはほんとに珍しくて特徴的だったと思う。
∨11th シングル(2003年9月17日発売)

5th アルバム『アンテナ』(2004年3月10日発売)収録

作詞・作曲:岸田繁

オリコン7位 アルバムは3位

ドラマー・森信行脱退後初のシングル。グラスゴーでレコーディングし、ドラムは後にくるりのツアーなどに参加するクリフ・アーモンドが叩いたが、帰国後リテイク、打込みのドラムで本シングル・バージョンを発表。アルバム『アンテナ』には2003年11月から正式メンバーとなるクリストファー・マクガイア(Christpher McGuire)がドラムを叩いたバージョンを収録
岸田繁(vo&g)と佐藤征史(b&vo)が立命館高等学校の1年のときに出会い、音楽活動を共にし、大学でも同じサークル「ロックコミューン」に入る。そこで森信行(dr)と出会う。

1996年2月、8曲入りカセットテープ『くるりの一回転』を発売し完売。9月にアマチュアバンド・コンテストの賞金10万円目的で正式に”くるり”結成。

1997年、「Bad News Records」にデモテープを送ったところ気に入られ、11月にインディーズ1st アルバム『もしもし』を発売。

1998年10月、ビクター・エンタテインメントよりデビューシングル「東京」をリリース。

1999年4月、佐久間正英プロデュースによる1st アルバム『さよならストレンジャー』をリリース。

2002年2月、くるり最大のヒット曲となった「ワールズエンド・スーパーノヴァ」をリリース。「ライブツアー2002 ~うんぽこどっこいしょ~」終了後の7月、森のバンド脱退が発表された。

2014年9月17日、11th オリジナル・アルバム『THE PIER』発売。
ASIAN KUNG-FU GENERATION「君という花」
“くるり”と同じくリード・ボーカル&ギター&ソングライターの後藤正文が黒縁メガネ。しかも同い年!
∨2nd シングル(2003年10月16日発売)

1st アルバム『君繋ファイブエム』(2003年11月25日発売)収録

作詞・作曲:後藤正文/編曲:ASIAN KUNG-FU GENERATION

オリコン14位 アルバムは5位

ジャケットは、(インディーズ2作を除き)全て中村佑介のイラスト。

タイトルは「君と繋がっていたい」、その距離の限界が5mであるという意味を表しているそうな。
1996年4月、関東学院大学の軽音楽サークル内で後藤正文(vo&g)と喜多建介(g&vo)により結成された。その後、山田貴洋(b&vo)と伊地知潔(dr)が参加。

大学卒業後はそれぞれ会社員をやりながらバンド継続。

2002年11月25日、UNDER FLOWER RECORDSよりミニアルバム『崩壊アンプリファー』リリース。

2003年4月23日、『崩壊アンプリファー』、キューンレコードから再リリース。

2003年11月19日、初のフルアルバム『君繋ファイブエム』リリース。

2004年10月20日 2nd アルバム『ソルファ』リリース。オリコン初登場1位を獲得(2週連続)。

2015年5月27日、8th アルバム『Wonder Future』発売。
サンボマスター「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
ボーカル&ギター・山口隆も岸田、後藤と同じ1976年生まれ。京都(岸田)、静岡(後藤)、福島(山口)での同時多発音楽才能&メガネ!
∨5th シングル(2005年8月3日発売)

3rd アルバム『僕と君の全てをロックンロールと呼べ』(2006年4月12日発売)収録

作詞・作曲:山口隆/編曲:サンボマスター

オリコン7位 アルバムは8位

フジテレビ系テレビドラマ『電車男』の主題歌


「自分で何のコードかわからないヤツがいちばん入ってる曲ですね。」(山口・談)

レコーディングは基本的に一発録りの方針。
2000年2月、東洋大学の音楽サークルで山口隆(vo&g)と木内泰史(dr)の2人で結成され、後に近藤洋一(b)も加わる。

7月、インディーズ・アルバム『キックの鬼』を5ヶ月かけてレコーディング、2001年発売。

2003年7月、”オナニーマシーン”とのスプリット・アルバム『放課後の性春』で、メジャーデビュー。

 12月3日、初のフルアルバム『新しき日本語ロックの道と光』リリース。

2010年9月 山口が同じ福島県出身である松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美TOKYO No.1 SOUL SET)、箭内道彦と4人で”猪苗代湖ズ”を結成。

2015年5月13日 8th al『サンボマスターとキミ』発売
GOING UNDER GROUND「グラフティー」
自然体で作り歌っているだけ、と感じさせながら充分ポップ、なかなかできないことです。
∨1st シングル(2001年6月21日発売)

1st アルバム『かよわきエナジー』(2001年10月24日発売)収録

作詞・作曲:松本素生 編曲:GOING UNDER GROUND Mix: 渡辺省二郎

THE BLUE HEARTS”に憧れた中学一年生だった松本素生(vo&g)、中澤寛規(g&vo)、石原聡(b)、伊藤洋一(key)の4人がバンドを結成。

高校1年の時に河野丈洋(dr)がバンドに加入したのを機に1994年、初めて”GOING UNDER GROUND”と名乗る。

1998年頃から下北沢を中心にライブ活動

1998年12月、ミニアルバム『Cello』をインディーズ・レーベルからリリース。

2001年6月、シングル「グラフティー」でビクターよりデビュー。

2009年4月18日、日比谷野外大音楽堂でのライブをもって伊藤洋一が脱退。

2015年1月31日の渋谷公会堂ライブをもって河野丈洋が脱退。

2015年9月18日、新生GOING UNDER GROUNDとして初のシングル「もう夢は見ないことにした」をリリース。
XTC「Life Begins At the Hop」
アメリカでは受けない、筋金入りの「ひねくれポップ」。そろそろなんかやってくださいよ~。
∨5th シングル(1979年4月27日発売)

3rd アルバム『Drums and Wires』(1979年8月17日発売)収録

作詞・作曲:Colin Moulding/プロデュース:Steve Lilywhite

デイブ・グローリー(Dave Gregory g&key)加入後初のシングル

イングランド・ウィルトシャー州スウィンドン出身のバンド

1977年2月、アンディ・パートリッジ(Andy Partridge)、コリン・モールディング(Colin Moulding)、テリー・チェンバース(Terry Chambers)からなる”ヘリウム・ヘッズ”にバリー・アンドリュース(Barry Andrews)が参加し、”XTC”と改名。

1977年夏、Virginレコードと契約

1978年1月20日、1st アルバム『White Music(気楽にいこうぜ)』リリース

1979年2月、アンドリュース脱退表明(後にロバート・フリップ率いる”League Of Gentlemen”に参加)、デイブ・グローリーが参加。

2000年5月 『Apple Venus Volume 2』リリース後沈黙
King CrimsonNeurotica」
来日公演ではメガネを外していたロバート・フリップさん。まだまだがんばって。
∨9th アルバム『BEAT』(1982年6月18日発売)収録
ジャック・ケルアックの「On the Road」出版25周年記念アルバムということで、ビート・ジェネレーションに向けた内容となっている。

「Neurotica」はビート世代向け雑誌のタイトルと同じ。

イントロにロバート・フリップ考案になる「Frippertronics」なる楽器(?…ググってみて)が使われているが、フリップのソロ・アルバム『Exposure』(1979)の「H??den Two」での演奏を持ってきている。

この時期のメンバーはロバート・フリップ、ビル・ブルーフォード(Bill Bruford)、トニー・レビン(Tony Levin)、エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew
1968年に結成。1st アルバム『In the Court Of the Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)』で1969年にデビュー。

1972年4月、解散。→ビル・ブルーフォード、ジョン・ウェットンが加入。

1973年、5th アルバム『太陽と戦慄』リリース。

1974年、7th アルバム『RED』リリース後、また解散。

1981年、トニー・レビン、エイドリアン・ブリューが加入し8th アルバム『DISCIPLINE』リリース。

2014年9月9日、トリプル・ドラムの7人編成で再始動、アメリカ・ツアーを開始。

2015年12月、12年ぶりの来日公演。
The Buggles「Clean, Clean」
「ラジオスターの悲劇」は音楽史に輝く名作だと思うけど、今回は別曲で~。
∨3rd シングル(1980年3月24日発売)

1st アルバム『THE AGE OF PLASTIC』(1980年1月10日発売)収録

作詞・作曲:Trevor Horn, Geoff Downes & Bruce Woolley

バンド名の由来は「The Bugs」+「Beatles」。「The Bugs」とはレコーディング・スタジオにいる想像上のトラブルを起こす虫。何か原因不明なトラブルが起こると(よく起こる)、この虫のせいにする。
1976年、トレバー・ホーン(Trevor Horn)とジェフ・ダウンズ(Geoff Downes)が”Tina Charles”のバックバンドで出会う。

1977年、ロンドンの南西、ウィンブルドンにて”The Buggles”結成。

1978年、デモ作り。「Video Killed the Radio Star」のデモをもってレコード・レーベルを当たるがなかなか反応がない。最終的にアイランド・レコード社長のクリス・ブラックウェルが興味を示し契約にこぎつけるが、実はアイランドにはそれ以前に3回断られていたらしい。

1979年の前半で1st アルバム『THE AGE OF PLASTIC』を制作

1980年終盤、2nd アルバム『Adventures in Modern Recording』の制作にとりかかる。たまたま隣のスタジオに、ジョン・アンダーソン(Jon Anderson)とリック・ウェイクマン(Rick Wakeman)が脱退したばかりの”Yes”が入っていた。ふたつのバンドはマネージャーが同じだったこともあり、ホーンとダウンズは”Yes”に加入することになり、制作中だったアルバム『Drama』に参加し、ツアーにも加わった。

二人が参加したYesは特にライブの受けが悪く、1981年初頭に”Yes”は解散してしまう。

二人は再び、2nd アルバムの制作にとりかかろうとするが、ダウンズは元”Yes”のスティーブ・ハウ(Steve Howe)とともに、”Asia”の結成に加わるために脱退する。

1981年11月11日、残りをホーン独りで完成させた『Adventures in Modern Recording』を発売するが、前作ほどの結果は出せず、”The Buggles”も活動終了。
Thomas Dolby「The Key To Her Ferrari(フェラーリをブッ飛ばせ)」
技術屋でもある彼はその容貌もなんとなく、マッド・サイエンティスト。
∨3rd アルバム『ALIENS ATE MY BUICK』(1988年4月発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Thomas Dolby

1958年10月14日、ロンドン生まれ

初期のキャリアは、キーボード・プレイヤーとして”Bruce Woolley and the Camera Club”のサポート。『イングリッシュ・ガーデン』というアルバムのインストゥルメンタル曲「WW9」ではサンプリング・サウンドを使っている。

元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが1980年までいた”フォリナー”の1981年リリースのアルバム『4』とツアーへの参加で得た報酬で、デビュー・アルバム『光と物体 (The Golden Age of Wireless)』を制作、1982年3月発売した。

1990年代中頃~2006年はインターネットあるいは携帯電話向けに、ダウンロード用ファイル形式やシンセ音源、呼び出し音など、技術と音楽両面から事業を展開。

以降、音楽プロデュース、映画やゲームのサウンドトラック制作など、幅広く活動中。
Steely Dan「Peg」
ウォルター・ベッカーがメガネさん。それとは関係なく、この曲のギター・ソロは絶品。
∨13th シングル(1977年11月発売)

6th アルバム『Aja(彩)』(1977年9月23日発売)収録

作詞・作曲:Walter Becker & Donald Fagen/ギター・ソロ:Jay Graydon/コーラス:Michael McDonald

アルバムからの初シングル全米11位。 アルバムは全米3位。全英5位

1968年、ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)とウォルター・ベッカー(Walter Becker)はニューヨークのバード・カレッジ在学中に知り合い、バンド活動を始める。

1969年、卒業後2人はBrill Buildingに自作曲を売り込む。ジェイ&ジ・アメリカンズのケニー・ヴァンス(Kenny Vance)が気に入ってくれて、バンドのツアーにもバック・ミュージシャンとして帯同した。

ヴァンスの親友、ゲイリー・カッツ(Gary Katz)がABCレコードのスタッフ・プロデューサーになるためにロスに移住する際、フェイゲンとベッカーをスタッフ・ソングライターとして雇い、2人もロスへ移住。

彼らの曲がABCのアーティストには難しすぎると感じたカッツは、2人にバンドを作ることを勧め、デニー・ダイアス(Denny Dias)(g), ジェフ・バクスター(Jeff ""Skunk"" Baxter)(g), ジム・ホッダー(Jim Hodder)(dr), デイビッド・パーマー(David Palmer)(vo)を呼び寄せ、ABCとアーティスト契約を交わした。バンド名は、ビート・ジェネレーション文学のウィリアム・S・バロウズの小説「裸のランチ」に登場する男性器の張型「Steely Dan III from Yokohama」から拝借した。

1972年、シングル「Dallas」でデビューする。

1972年11月、1st アルバム『Can’t By a Thrill』リリース。シングル・カットの「Do It Again」は全米6位のヒットとなった。

Palmerは2nd alの制作中、脱退。

1974年7月4日、Steely Danとしての最後のライブ@「the Santa Monica Civic Auditorium」in カリフォルニア。

1977年9月、6th アルバム『Aja』発売。グラミーの最優秀録音アルバム賞受賞。

1980年11月、7th アルバム『GAUCHO』発売。この後、2人は長い休止期間に入る。

2000年、復活。8th アルバム『Two Against Nature』リリース。

2003年6月10日、9th アルバム『Everything Must Go』リリース。
冨田ラボ「God Bless You! feat. 松任谷由実
メガネを外した顔が想像できない、その風貌は研究者。アイデアは無尽蔵。
∨1st ALBUM『SHIPBUILDING』(2003年2月5日発売)収録

作詞:松任谷由実/作曲・編曲:冨田恵一


1962年6月1日、北海道旭川市生まれ。
獨協大学在学中より、コンサートのバックバンドでのギタリストとしての活動を始める。

1988年にユニット「KEDGE」名義にてアルバム『COMPLETE SAMPLES』を発表。以後、作編曲家として活動し、遊佐未森等を手がける傍ら、テレビドラマ等の劇伴作家としても活動する。

1997年、プロデュースを手がけたキリンジが注目を集める。

2000年、MISIAの最大のヒット曲となる「Everything」をプロデュース。

2001年、中島美嘉のデビューシングル「STARS」をプロデュース。以後、bird、松任谷由実、平井堅、Crystal Kay、AI、BONNIE PINK 等、数多くのアーティストのプロデュースを手がける。

2003年、自身のセルフ・プロジェクト”冨田ラボ(Tomita Lab)”として東芝EMIからアルバム『Shipbuilding』を発表。フィーチャリング・ボーカリストに松任谷由実・畠山美由紀ハナレグミ・キリンジ・Saigenji・birdを起用し、音楽プロデューサーの企画アルバムとしては異例の好セールスを記録する。

2006年、2ndアルバム『Shiplaunching』を発表(SMアソシエイテッド)。

2010年、""Shipシリーズ3部作""の完結編となる3rdアルバム『Shipahead』を発表(rhythm zone)。

2013年、4thアルバム『Joyous』を発表(ビクター)。
キリンジ「風を撃て」
冨田ラボの出世作。まさに海の上を吹き上がる風のような音楽だ。
∨1st マキシ・シングル『キリンジ』(1997年5月21日発売)収録

作詞・作曲:堀込泰行/プロデュース&演奏:冨田恵一

1996年に兄の堀込高樹が弟の堀込泰行を誘って兄弟2人で結成。

大半のリード・ボーカルは泰行。

1997年5月21日、1st マキシ・シングル『キリンジ』で、Natural Foundationよりインディーズ・デビュー。

1998年8月26日、ワーナーミュージック・ジャパンから、マキシ・シングル『双子座グラフィティ』でメジャー・デビュー。

2013年、10thアルバム『Ten』をリリース。

 4月12日、全国ツアー「KIRINJI TOUR 2013」最終公演をもって泰行が脱退。

 7月18日、新メンバー5名(楠均、千ヶ崎学、田村玄一、弓木英梨乃コトリンゴ)を加えた6人編成で再始動することを発表。

2014年、ユニバーサルミュージック・ジャパン・Verveレーベルに移籍。

 8月6日、新体制で11th アルバム『11』発売。
山弦「Song For James」
メガネの小倉博和は左側。佐橋佳幸が右。見事な生ギター競演。どっちもすごい。
∨1st アルバム『JOY RIDE』(1998年8月発売)収録

作曲:山弦

小倉博和:1960年1月28日、香川県高松市生まれ。

1982年、プロ活動開始。

1990年、映画「稲村ジェーン」音楽制作に参加。

1994年、桑田佳祐ソロ・アルバム『孤独の太陽』で全面サポート。

2005年より、小林武史、櫻井和寿を中心に結成された”Bank Band”のメンバーとして、毎年つま恋にて開催される「ap bank fes.」に参加。
佐橋佳幸:1961年9月7日、東京都生まれ。

1983年、バンド”UGUISS”のメンバーとしてデビューするも、1枚のアルバムだけで解散。

1985年より、渡辺美里の楽曲制作の手伝いを始め、渡辺のバックバンドのバンマスを10年に渡り務める。

2007年12月28日、女優の松たか子との入籍を発表。
山弦:

1991年 結成

1998年8月 1st al『JOY RIDE』リリース

2004年 5th al『Island Made』リリース
ユニコーン「大迷惑」
奥田民生、若い頃はしてなかったけど、今はたいていメガネ。ひょっとして老眼ってこと?
∨1st シングル(1989年4月29日発売)

3rd アルバム『服部』(1989年6月1日発売)収録

作詞・作曲:奥田民生/管弦楽:笹路正徳とオルケスタ・デル・アミーゴ

オリコン12位 アルバムはオリコン3位

1986年、広島市にて結成。

1987年、1st アルバム『BOOM』にてデビュー。

1989年7月10日、初の日本武道館ライヴ。

1990年、4th アルバム『ケダモノの嵐』が第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞。

1993年9月、解散。

2009年元旦、再始動を発表。

 2月、シングル「WAO!」、アルバム『シャンブル』発売。
ハナレグミ「Tシャツに口紅」
今の日本の男性ボーカリストの中で、いちばんいい声してると思う。
∨アルバム『風街であいませう』(2015年6月24日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:鈴木正人

松本隆の作詞家生活45周年を記念してリリースされたトリビュート・カバーアルバム

初出は”ラッツ・アンド・スター”の1983年9月1日発売のシングル

永積タカシ(1974年11月27日 東京都出身)によるソロユニット。

高校2年の頃よりアコースティック・ギターで弾き語りをはじめる。

1994年、学生時代に”Super Butter Dog”を結成。

1997年、アルバム『FREEWAY』でデビュー。

2002年、”Super Butter Dog”活動停止。

2002年11月27日、ソロ1st アルバム『音タイム』リリース。

2015年8月19日、6th アルバム『What are you looking for』リリース。
Lisa Loeb「Probably」
登場したときはもっと売れると思った。この曲なんかほんとかっこいいのに。
∨4th アルバム『THE WAY IT REALLY IS』(2004年8月10日発売)収録

作詞・作曲:Jimmy Harry, Lisa Loeb & Billy Steinberg/プロデュース:Lisa Loeb & Dweezil ZappaFrank Zappaの息子)


1968年3月11日、米国テキサス州ダラス生まれ。
名門ブラウン大学で比較文学を専攻し1990年に卒業。大学時代のルームメイト、エリザベス・ミッチェルとともに、”Liz And Lisa”というバンドで音楽活動を始める。2枚のアルバムを自主制作でリリース。

1994年公開の映画『リアリティ・バイツ』(ベン・スティラー監督)のサウンドトラックに、同映画に主演の俳優イーサン・ホークと友人だったという縁がきっかけで、リサの曲「Stay (I Missed You)」が使われる。これをきっかけに同曲が大ヒット、当時レコード会社未契約にもかかわらず、ビルボード・シングルチャートで1位を記録するという史上初の快挙を成し遂げる。

1995年、ゲフィン・レコードより、”Lisa Loeb & The Nine Stories”名義でデビュー・アルバム『Tails』を発表。

最新アルバムは2012年発売の『No Fairy Tale』。女優・声優としても活動歴がある。
Elvis Costello「Pump It Up」
メガネがすごく似合う人。この曲のMVで披露している足首が捻挫しそうな内股ステップは「コステロ・ウォーク」と言われてたらしい。
∨6th シングル(1978年4月28日発売)

2nd アルバム『THIS YEAR'S MODEL』(1978年3月17日発売)収録

作詞・作曲:Elvis Costello/プロデュース:Nick Lowe

アルバムは全英4位 全米30位

本名:Declan Patrick Aloysius MacManus 1954年8月25日、ロンドン生まれ。

「エルヴィス・コステロ」は、エルヴィス・プレスリーと、父方の祖母の旧姓コステロ(アイルランド系)に由来する。
1974年、最初の妻・メアリーと結婚、デビュー時には既に長男・マシューがいた。

1977年、パブロック・ムーブメントの立役者ニック・ロウのプロデュースにより、シングル「Less Than Zero」でデビュー。同年、1st アルバム『My Aim Is True』リリース。

1978年、2nd アルバム『This Year's Model』リリース(日本ではこちらが先に発売された)。このアルバムから”The Attractions”を率いるようになる。

1986年、プロデューサーとして関わったのが縁でザ・ポーグスのベーシスト、ケイト・オリオーダンと再婚。

2003年、ジャズ歌手のダイアナ・クラールと3度目の結婚。

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