爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.72「ナイス!
グルーヴ・ギター特集」

いい音爆音アワー vol.72「ナイス!グルーヴ・ギター特集」

2016年11月16日(水)@風知空知

ギターのリフやカッティング、上手い人が弾くと、それだけで思わずノッてしまうすごいグルーヴが生み出されます。グッとくるソロや速弾きなど、ギターは最も華やかな楽器でもありますが、同じことの繰り返しをひたすら刻み続けることによって、サウンド全体の気持ちよさに貢献するサイド・ギターも、実にかっこいいものです。今回はそんなサイド・ギターの、グルーヴ満点の名演を集めてみました。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Marvin Gaye「Sexual Healing」
生前最後のヒット・チューン。甘く切ない声に小気味良いギター・パッセージが絡みます。


シングル(1982年)

17th & Final アルバム『Midnight Love』(1982年10月1日発売)収録

作詞・作曲:Marvin Gaye, Odell Brown, David Ritz/プロデュース:Marvin Gaye

コロムビア移籍1弾そして生前最後のアルバム。世界で600万枚以上を売り上げ、彼のキャリア最大のヒットアルバムとなった。

シングルは全米3位、R&B1位、アルバムは全米7位、R&B1位

1983年グラミー賞ではこの曲で、”Best Male R&B Vocal Performance”と”Best R&B Instrumental Performance”を獲得。

ギター:ゴードン・バンクスGordon Banks(1977からGayeのバンドに加入、以降最後まで、ギターはもちろん音楽ディレクターとしても貢献する。

80年にはゲイの妹、ゼオラZeolaと結婚)
1981年1月、アルバム『In Our Lifetime』をリリースするが、本人が未完成だと思っているものをモータウンが勝手に編集して出してしまったらしく、20年在籍したモータウンともめる。

 2月、長年来ゲイのシンパでベルギーでコンサート・プロモーターを営むFreddy Couseartが、ヨーロッパ・ツアーを終えたゲイにロンドンで会うが、ゲイが薬物中毒で衰弱しているのを見て、ベルギーのオステンドにある彼のペンションに誘う。

 同月、2人目の妻、Janis Hunterとの離婚が決定する。

オステンドでやや健康を回復したゲイは、Couseartの協力により、イギリスとベルギーの短いツアーを行う。ツアー終了後も、バンド・メンバーのGordon Banks(g)とOdell Brown(organ)とともにオステンドに滞在する。

 何社かのレコード会社が契約を希望するが、1982年3月、コロムビアと契約締結。
1984年4月1日、父親に射殺され死亡。享年44歳(翌日が45歳の誕生日だった)。
George McCrae「Rock Your Baby」
ディスコ・ブーム初期の大ヒットは偶然のタマモノ!


1st シングル(1974年5月発売)

作詞・作曲・プロデュース: Harry Wayne Casey & Richard Finch (“KC and the Sunshine Band”)

全米・全英1位

ギター:ジェローム・スミスJerome Smith(“KC and the Sunshine Band”)

KCサンシャインバンドのケイシーとフィンチが自分たちのために作ったが、キーが高すぎて歌えないので、グウェン・マックレーに歌ってもらえないかと依頼する。ところがレコーディング当日、グウェンが遅刻したため、夫でありマネージャーであるジョージが試しに歌うとそのファルセット・ヴォイスが曲に最高にマッチするということになり、彼のソロとして発売することになった。
ジョージ・マックレー:

1944年10月19日 米国フロリダ州ウェスト・パーム・ビーチ生まれ

10代より”The Jivin' Jets”というグループを結成して音楽活動をするが、

1963年、海軍に入隊し中断。

1967年、妻のGwenを含め、グループを再結成するが、やがてグウェンとのデュオとなる。

1969年、Alston Recordsと契約しシングルをリリースするも売れず。グウェンはソロとなり、ジョージはマネージャーの仕事をしつつも、やがて音楽の道を諦め、法律の勉強をするため大学に入る準備をしていたところ、

1974年、ひょんなことから“KC and the Sunshine Band”のプロデュースで「Rock Your Baby」をリリースしたところ大ヒット。

1976年、グウェンと離婚。

何枚かアルバムをリリースしたが、人気は低迷し、70年代末には再婚し、カナダに移住する。

1984年、復帰し、ヨーロッパを拠点に活動、現在に至る。
Earth, Wind & Fire「September」
ご存知、ディスコの鉄板曲。いつ聴いても踊り出したくなるグルーヴはギターによるところも大。


シングル(1978年11月18日発売)

アルバム『The Best of Earth, Wind & Fire, Vol. 1』(1978年11月23日発売)収録

作詞・作曲:Maurice White, Al McKay, Allee Willis/プロデュース:Maurice White

全米8位、R&B1位 全英3位

ギター:アル・マッケイAl McKay+ジョニー・グレアムJohnny Graham


アース・ウィンド&ファイア:

1970年、ロサンゼルスでモーリス・ホワイトにより結成。ワーナーと契約。

1972年、コロムビアに移籍。

1973年5月に、移籍第2弾、通算4th アルバム『Head To The Sky』をリリース。R&B2位、ゴールド・ディスクを獲得する。

1975年3月、6th アルバム『That's the Way of the World(暗黒への挑戦)』、同名の映画のサウンドトラックとしてリリース、初の全米1位。

1976年、モーリス、「カリンバ・エンタテインメント」を設立。

1978年、CBS傘下に「ARCレコード」を設立。レーベルの第1弾としてベスト盤『The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1』をリリース。

2016年2月3日、モーリス、パーキンソン病により死去。
The Meters「What'cha Say」
粘っこいのにスピード感。ニューオリンズ・ファンクの魅力です。


5th アルバム『Rejuvenation(ニューオリンズ・ファンクの覇者)』(1974年7月発売)収録

作詞・作曲:Art Neville, Leo Nocentelli, George Porter Jr., Joseph Modeliste/プロデュース:Allen Toussaint, The Meters

ギター:レオ・ノセンテリLeo Nocentelli


ザ・ミーターズ:

1950年代中頃、アート・ネヴィルArt Neville (key,vo)が学業の傍ら、ニューオリンズ界隈で音楽活動を始める。

1965年、アート、レオ・ノセンテリLeo Nocentelli (g)、ジョージ・ポーター・ジュニアGeorge Porter Jr. (b)、ジョセフ・”ジガプー”・モデリストJoseph ""Zigaboo"" Modeliste (dr)と”The Meters”結成。

1965年、アラン・トゥーサンAllen Toussaintがマーシャル・スホーンMarshall Sehornとともに設立したSansu Recordsのハウス・ミュージシャンとなる。

1969年9月、1st アルバム『The Meters』リリース。

1974年、アートの弟、シリル・ネヴィルCyril Neville (per,vo)が加入。

1975年、ポール・マッカートニーがカリフォルニア州ロング・ビーチでのアルバム『Venus and Mar』お披露目パーティーにThe Metersを招く。そこに居たミック・ジャガーが彼らの演奏に感銘し、ストーンズの75年全米ツアー及び76年のヨーロッパ・ツアーのオープニング・アクトとして彼らを帯同する。

1977年、アートとシリルが脱退し、やがてバンドは解散。

1978年、アートは兄弟のCharles、Aaron、Cyrilを集め”The Neville Brothers”を結成。

1989年、アート、ノセンテリ、ポーターにラッセル・バティストRussel Batiste Jr.(dr)を加え、再結成。

1994年、ノセンテリが抜け、ブライアン・スコルツBrian Stoltz (g)が参加して”The Funky Meters”と改称する。

2000年代、並行して各メンバーが”The Original Meters”、”The Mertermen”、”The Meters Experience”といった名義で散発的に活動している。
Boukou Groove「I'll Take You There」
ニューオリンズ・ファンクの新しい才能。伝統は死なず。


1st アルバム『A Lil Boukou In Your Cup』(2012年8月27日発売)収録

作詞・作曲:Donnie Sundal/プロデュース:Donnie Sundal & Derwin “Big D” Perkins

ギター:ビッグ・ディーDerwin “Big D” Perkins


ブークー・グルーヴ:

2010年、ドニー・サンダルDonnie Sundal (vo,key)とビッグ・ディーDerwin “Big D” Perkins (g) により、ニューオリンズで結成。

2012年8月、1st アルバム『A Lil Boukou In Your Cup』リリース。

2015年10月、2nd アルバム『Let The Groove Ride』リリース。

2015年10月24日、「Peter Barakan’s LIVE MAGIC! 2015@恵比寿 ザ・ガーデンホール/ザ・ガーデンルーム」出演

2015年10月27日、ブルーノート東京にてライブ。
Chic「Le Freak(おしゃれフリーク)」
Roxy Music”と”KISS”に憧れて作ったバンドらしいですよ。


シングル(1978年9月21日)

2nd アルバム『C'est Chic(エレガンス・シック)』(1978年8月11日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Nile Rodgers、Bernard Edwards/エンジニア:Bob Cleamountain

全米1位、R&B1位 全英7位

米国だけで600万枚の売上(Atlanticレコード史上シングル最高売上)

ギター:ナイル・ロジャースNile Rodgers


シック:

1976年、ニューヨークでともに音楽活動をしていたナイル・ロジャースNile Rodgers(g)、バーナード・エドワーズBernard Edwards(b)を中心に結成。

1977年、1st シングル「Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)」リリース。全米6位のヒットとなる。

Atlantic Recordsと契約、11月、1st アルバム『Chic』をリリース。

1978年8月、2nd アルバム『C'est Chic』リリース。シングル「Le Freak」や「I Want Your Love」が大ヒット。

1979年7月、3rd アルバム『Risqué』リリース。シングル「Good Times」が大ヒット。
並行して、ナイルとバーナードはプロデューサーとしてシスター・スレッジSister Sledge、ダイアナ・ロスDiana Ross、デビー・ハリーDebbie Harryらを手がける。

1980年代のはじめ、ディスコ・ブームの終焉とともにバンドは解散。

ナイルとバーナードは引き続きプロデューサーとして大活躍。

1985年、バーナードとトニー・トンプソンTony Thompson (dr)は”Power Station”に参加。

1989年、再結成し、アルバム『Chic-Ism』を発売、ワールド・ツアーも行う。

1996年4月18日、日本武道館公演の翌日にバーナードが肺炎で急死。享年43歳。

2003年11月12日、トニー・トンプソンが肝臓がんで死去。享年48歳。
Daft Punk「Get Lucky」
”Chic”から35年。ナイル・ロジャースのグルーヴはまだ健在です。


シングル(2013年4月19日発売)

4th アルバム『Random Access Memories』(2013年5月17日発売)収録

作詞・作曲:Thomas Bangalter, Guy-Manuel de Homem-Christo, Nile Rodgers, Pharrell Williams/プロデュース:Thomas Bangalter & Guy-Manuel de Homem-Christo/featuring Pharrell Williams

仏英他世界各国で1位 全米2位 日本6位

アルバムは米英仏1位 日本3位

第56回グラミー賞にて、「Record Of the Year」「Album of the Year」「Best Pop Duo/Group Performance」「Best Dance/Electronica Album」「Best Engineered Album, Non-Classical」の5部門を受賞

ギター:ナイル・ロジャースNigel Rodgers+ポール・ジャクソン・ジュニアPaul Jackson Jr.


ダフト・パンクの2人とナイル・ロジャースは以前からの知り合いで、1997年の「Around the World」でもChicの「Good Times」を引用している。しかしなかなかコラボをする機会が訪れず、本作でようやく実現した。ナイルはレコーディングに際し、ドラム以外の音をすべてミュートして、リズム・ギターをプレイし、ベースその他はそのナイルのギターに合わせて再度録音し直した。
ダフト・パンク:

トーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストの2人組。

1987年、パリの学生だったトーマとギ=マニュエルが出会い、意気投合。

1990年、クラスメートのローラン・ブランコヴィッツLaurent Brancowitzを加え、”Darlin’”というバンドを結成。トーマがベース、ギ=マニュエルがギター、ローランがドラムという、ギター・ポップ・バンドだった。

いくつかの音源が”Stereolab”のレーベルのコンピに収録され、彼らのUKツアーの前座に招かれる。その演奏を「メロディ・メーカー」誌が「a daft punky thrash」と酷評したが、2人はこの言葉を気に入り、1993年にローランが脱退してDarlin’を解散、2人で”Daft Punk”を名乗り、ハウス・ミュージックへと方向性を転換する。

1994年4月、1st シングル「The New Wave」をリリース。

1995年12月、2nd シングル「Da Funk」リリース。フランスで7位。

1996年、Virginと契約。「Da Funk」を再発し、スパイク・ジョーンズが監督したミュージック・ビデオが大量にオンエアされ、ビルボード誌のHot Dance Club Playチャートで1位となった。

1997年1月、1st アルバム『Homework』リリース。世界で200万枚を売り上げる。

2000年11月、「One More Time」リリース。フランス1位、全英2位、米ダンスチャート1位。日本でも30万枚のヒット。

2001年2月、2nd アルバム『Discovery』リリース。

2013年5月、コロムビア移籍第1弾アルバム『Random Access Memories』リリース。

2014年のグラミー賞では5部門を受賞し、2人にナイル、ファレル、さらにスティービー・ワンダーが加わってパフォーマンスを披露した。
The Beatles「I'm Happy Just To Dance With You(すてきなダンス)」
8ビートなのにギターは16ビート乗り、という曲をいくつか(ここから「SUGAR」まで)。


3rd アルバム『A Hard Day’s Night』(1964年7月10日発売)収録

米Capitol 5th アルバム『Something New』(1964年7月20日/日本では1970年9月25日)収録

作詞・作曲:Lennon-McCartney(実質ジョン)/ボーカル:George Harrison

ギター:ジョン・レノンJohn Lennon


米国では『A Hard Day's Night』は映画会社ユナイテッド・アーティスツから発売され、キャピトルは""A Hard Day's Night""をタイトルにしたアルバムを発売できない契約だったため『Something New』を編集、発売した。『Something New』には「A Hard Day’s Night」「I Should Have Known Better」「Can’t Buy Me Love」「You Can’t Do That」「I’ll Be Back」が入ってない。全米9週連続2位だったが、これは1位に『A Hard Day's Night』がいたため。
Talking Heads「Pulled Up」
プロデューサーはトニー・ボンジョヴィ、ジョン・ボン・ジョヴィの又従兄弟。


第3弾シングル・カット(1978年)

1st アルバム『Talking Heads: 77(サイコ・キラー'77)』(1977年9月16日発売)収録

作詞・作曲:David Byrne/プロデュース:Tony Bongiovi, Lance Quinn, Talking Heads

アルバムは全英60位

ギター: デヴィッド・バーンDavid Byrne+ジェリー・ハリソンJerry Harrison


トーキング・ヘッズ:

デヴィッド・バーンDavid Byrne (vo,g)、クリス・フランツChris Frantz (dr)、ティナ・ウェイムスTina Weymouth (b)は米ロードアイランド州の名門美術大学、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの学生だった。1974年、バーンはフランツと”The Artistic”というバンドを結成。フランツとウェイムスは恋人同士だった。

1975年、3人はニューヨークに移住する。ベーシストが見つからないため、フランツがウェイムスに「スージー・クアトロのレコードを聴いて」ベースを勉強するように依頼した。

1975年6月5日、”Talking Heads”としての初ライブを、ニューヨークのライブハウス「CBGB」で、ラモーンズの前座として行う。

1977年2月、1st シングル「Love → Building on Fire (Love Goes to Building on Fire)」をリリース。

1977年3月、元Jonathan Richmanの”The Modern Lovers”のジェリー・ハリソンJerry Harrison (key,g)が加入。

1977年9月、1st アルバム『Talking Heads: 77』リリース。

ブライアン・イーノと組んで、2nd『More Songs About Buildings and Food』(1978)、3rd『Fear of Music』(1979)、4th『Remain in Light』(1980)の3作をリリースし、評価を確実なものとする。

1991年、ヴィム・ヴェンダースの映画「夢の涯てまでも」のために「Sax and Violins」をレコーディングした後、解散。
Crash Test Dummies「When I Go Out With Artists」
トーキング・ヘッズのジェリー・ハリソンがプロデュースしたアルバム。


2nd アルバム『God Shuffled His Feet』(1993年10月26日発売)収録

作詞・作曲:Brad Roberts/プロデュース:Jerry Harrison and Crash Test Dummies

アルバムは全米9位、全英2位、各国で5以内にランクするが、地元カナダでは最高17位。

ギター:ブラッド・ロバーツBrad Roberts


ジャケットはイタリアルネサンス期の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「バッカスとアリアドネ」という名画のパロディ
クラッシュ・テスト・ダミーズ:

カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身のオルタナ・バンド。

1980年代半ば、ブラッド・ロバーツBrad Roberts (vo,g)を中心に、エレン・ライドEllen Reid (key)、ベンジャミン・ダーヴィルBenjamin Darvill (harmonica,mandolin)、ダン・ロバーツDan Roberts (b)、ミッチ・ドージMitch Dorge (dr)が結成。

1991年4月、1st アルバム『The Ghosts That Haunt Me』リリース。カナダで40万枚を売り上げる。

1993年10月、2nd アルバム『God Shuffled His Feet』リリース。シングル・カットの「Mmm Mmm Mmm Mmm」がヒット。全米4位、全英2位、オーストラリア1位、なぜかカナダは14位。アルバムは世界で550万枚を売り上げる。

1999年3月、4th アルバム『Give Yourself A Hand』をリリースした後、BMG Recordsを離れ、自らレーベルを立ち上げる。

その後も、バンドあるいは各メンバーのソロのリリースを続ける。
キャンディーズ「年下の男の子」
GSの仲間が10年後に作ったファンキー歌謡ポップの逸品。


5th シングル(1975年2月21日発売)

4th アルバム『年下の男の子』(1975年4月21日発売)収録

作詞:千家和也/作曲・編曲:穂口雄右

オリコン9位 キャンディーズ初ヒット

この曲で紅白歌合戦初出場

ギター:水谷公生


水谷公生、穂口雄右、そしてディレクターの松崎澄夫は、グループ・サウンズのひとつ”アウトキャスト”で、それぞれギター、キーボード、ボーカル(当時、轟健二)を担当していた。
シュガー・ベイブ「SUGAR」
オリジナル盤では“おまけ furoku 付録”とされていますが、なかなかどうしてかっこいい曲です。


1st アルバム『SONGS』(1975年4月25日発売)収録

作詞・作曲・編曲:山下達郎/プロデュース:大瀧詠一&山下達郎/ミックス:笛吹銅次(大瀧詠一)

ギター:山下達郎+村松邦男


シュガー・ベイブ:

1973年、四谷の「ディスクチャート」というロック喫茶で、店がはねた後に大貫妙子のデモ・テープを作る作業する中で、山下達郎がメンバーをまとめ、結成した。

「Sugar Babe」はジェシ・コリン・ヤングJesse Colin Youngがいたフォーク・ロック・バンド”The Youngbloods”の2nd アルバム『Earth Music』(1967年5月)内の曲名。

大瀧詠一や細野晴臣の影響で、ニューオリンズ・ファンクやラテン、メレンゲとかのリズム・センスを学んでいったという。
山下達郎「氷のマニキュア」
シュガー・ベイブから23年。根っこは変わらず、サウンドは洗練されきって。


11th アルバム『COZY』(1998年8月26日発売)収録

作詞:松本隆/作曲・編曲・プロデュース:山下達郎

アルバムはオリコン1位

ギター:山下達郎+佐橋佳幸(ソロのみ?)


前作『ARTISAN』から7年ぶりのオリジナル・アルバム。

前年1997年には楽曲提供したKinki Kidsの「硝子の少年」が大ヒット。
Swing Out Sister「That's The Way It Goes」
彼らの中ではいちばんヒューマンにグルーヴしているアルバムから。


4th アルバム『The Living Return』(1994年9月発売)収録

作詞・作曲:Andy Connell, Corinne Drewery, Derick Johnson, Tim Cansfield, Myke Wilson/プロデュース:Ray Hayden, Swing Out Sister

それまでの打込み中心のサウンドではなく、メンバーを集めてのバンド・サウンドを追求したアルバム。

ギター:ティム・キャンスフィールドTim Cansfield


スウィング・アウト・シスター:

バンド名は1945年の映画「Swing Out, Sister」から拝借。

1984年、英国マンチェスターにて、アンディ・コネルAndy Connell (key)、マーティン・ジャクソンMartin Jackson (dr)が結成し、コリーン・ドルーワリーCorinne Drewery (vo)が加わる。

1985年11月、1st シングル「Blue Mood」リリース。

1986年末、2nd シングル「Breakout」が全英4位、全米6位のヒット。

1987年5月、1st アルバム『It's Better to Travel』リリース。全英1位(全米40位)

1989年5月、2nd アルバム『Kaleidoscope World』リリース。制作中にマーティンが脱退し、デュオとなる。

1992年6月、3rd アルバム『Get in Touch with Yourself』リリース。

1994年9月、4th アルバム『The Living Return』リリース。
Jamiroquai「Love Foolosophy」
ファンキーなグルーヴに重点を置いたアルバムから。


第3弾シングル・カット(2002年2月25日発売)

5th アルバム『A Funk Odyssey』(2001年9月3日発売)収録

作詞・作曲:Jay Kay, Toby Smith/プロデュース:Rick Pope

アルバムは全英1位、全米44位、オリコン2位

ギター:ロブ・ハリスRob Harris(本作よりバンド加入)


ジャミロクワイ:

“the Brand New Heavies”のボーカル・オーディションに落ちたジェイソン・ケイJason ""Jay"" Kayが、ならばバンドでいくとロンドンで結成。

1992年、1st シングル「When You Gonna Learn(いつになったら気づくんだい?)」リリース。この曲を評価され、ソニー・ミュージックと契約。

1993年、1st アルバム『Emergency On Planet Earth』リリース。

1996年、3rd アルバム『Travelling Without Moving』リリース。世界で700万枚を売り上げる。
Booker T. and the MG's「Time Is Tight」
メンフィス・サウンドを支えたたくましいグルーヴ・ギター。


シングル(1969年2月発売)

アルバム『UpTight』(1969年1月発売)収録

作詞・作曲:Booker T. Jones, Al Jackson, Jr., Donald ""Duck"" Dunn, Steve Cropper/プロデュース:Booker T. Jones

1968年の映画「Uptight」のサウンド・トラック・アルバム

全米6位、R&B7位

TBS「林美雄のパックインミュージック」のオープニング・テーマとして使用される。

ギター:スティーブ・クロッパーSteve Cropper


ブッカー・T&ザ・MG’s:

1962年、米国テネシー州メンフィスのスタックス・レコード専属ハウス・バンドとして、ブッカー・T・ジョーンズBooker T. Jones (org, p)(当時17歳)を中心に結成された。1960年代にウィルソン・ピケットWilson Pickett、オーティス・レディングOtis Redding、サム&デイブSam & Daveらの何百というレコーディングに参加し、「サザン・ソウル」あるいは「メンフィス・サウンド」と呼ばれるサウンドを築き上げた。

結成時のメンバーは、スティーヴ・クロッパー(g)、ルイス・スタインバーグLewie Steinberg (b)、アル・ジャクソンAl Jackson, Jr. (dr)。1965年にスタインバーグがドナルド・ダック・ダンDonald ""Duck"" Dunnに替わる。

1962年夏、ビリー・リー・ライリーBilly Lee Rileyのレコーディング・セッションでスタジオにいた彼らが、休憩時間に遊びで演奏した曲を、居合わせたスタックスの社長ジム・スチュワートJim Stewartが気に入り、急遽録音した。これが「Green Onion」である。

シングルはラジオで大評判となり、ビルボードのR&Bチャートで1位、ポップチャートでも3位を獲得する。また「American Graffiti」を含むいくつもの映画等で使われた。

1967年6月、「モンタレー・ポップ・フェスティバル」にオーティス・レディングのサポートおよび、バンドとしても出演する。

1969年2月、1968年のJules Dassin監督の映画「Uptight」のサウンド・トラックを担当し、シングル・カットした「Time Is Tight」が彼らにとって2番目のビッグヒットとなる。

1969年にスタックスの共同経営者となったAl Bellと反りが合わず、ジョーンズとクロッパーは1970年にスタックスを離れる。

1971年1月、最後のアルバム『Melting Pot』をリリース。
Bob Marley & the Wailers「Could You Be Loved」
全身癌に侵されつつも、歌い、弾ききった魂の叫び。


シングル(1980年)

アルバム『Uprising』(1980年6月10日発売)収録

作詞・作曲:Bob Marley

プロデュース:Chris Blackwell, Bob Marley

全英5位 アルバムは全米45位 全英10位

マーリィ生前最後のアルバム。

ギター:ボブ・マーリィ、ジュニア・マーヴィンJunior Marvin、アル・アンダーソンAl Anderson


ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ:

1945年2月6日、マーリィ、ジャマイカ・Saint Ann Parishで誕生。

1963年頃、マーリィ、ピーター・トッシュPeter Tosh、バニー・ウェイラーBunny Wailerの3人が中心となり”The Teenagers”を結成。バンド名は→”The Wailing Rudeboys”→”The Wailing Wailers”→”The Wailers”と替わる。

1964年2月、Coxsone labelからリリースしたシングル「Simmer Down」がジャマイカ・チャートの1位になる。

1970年頃、 リー・ペリーLee ""Scratch"" Perryのバンド”The Upsetters”からアストンAston (b)とカールトンCarlton (dr)のバレットBarrett兄弟が加入。

1973年4月、Island移籍第1弾アルバム『Catch a Fire』リリース。

 10月、アルバム『Burnin’』リリース。収録曲の「I Shot the Sheriff」をエリック・クラプトンがカバーし、1974年9月に全米1位となる。

1974年、トッシュとウェイラーが脱退、”Bob Marley & The Wailers”として再出発。

1976年4月、アルバム『Rastaman Vibration』リリース。全米8位のヒット。

1980年6月、アルバム『Uprising』リリース。

1980年、アルバム『Uprising』リリースに伴い、ワールド・ツアーを展開するが、途中容態が急変する。癌が全身に転移していたためで、残りのツアーをキャンセルし、信じるところに従って、Josef Isselsというドイツ人医師が提唱する癌治療法を受けるためにドイツに行く。しかし8ヶ月闘病を続けても回復せず、ジャマイカへ戻ろうとするが、途上危篤状態に陥り、マイアミの病院に収容され、1981年5月11日、永眠する。享年36歳。
Fela Anikulapo Kuti「Zombie」
音楽が武器だったフェラ・クティのビート攻撃が熱い。


アルバム『Zombie』(1976年発売)

作詞・作曲・プロディース:Fela Anikulapo Kuti

ナイジェリア政府を痛烈に批判した内容で、これによりクティは自宅&拠点=カラクタ共和国は軍隊に襲撃され、クティの母親はこの時受けた傷がもとで死去する。

ギター:レケ・ベンソンLeke Benson、オゲネ・コログボOghene Kologbo、オカルエ・オジェアOkalue Ojeah


フェラ・クティ:

1938年10月15日生 - 1997年8月2日没、ナイジェリア・アベオクタ出身。

「Black President(黒い大統領)」と呼ばれる。
1958年、ロンドンのトリニティ音楽大学に留学。トランペットを習得し、友人たちと”Fela Ransome-Kuti & the Koola Lobitos”を結成する。

1963年、大学を卒業し帰国。

1969年、アメリカ・ツアー。アフリカ土着音楽へのこだわりと政治的メッセージの重視が強まる。

1970年、ナイジェリアのアフロ・スポット(のちに「アフリカ・シュライン」)という会場を拠点に活動を展開、バンド名を”Fela Ransome-Kuti and the Africa '70”と改称。黒人の解放、キリスト教・イスラム教の破棄、パン・アフリカニズムの実現を訴える。

1974年、冤罪による逮捕など公的弾圧が強くなる。自宅の周囲を有刺鉄線で囲み、「カラクタ共和国」と称する。以降12回逮捕されるがその都度証拠不十分により釈放されている。

1976年、キリスト教の洗礼名”Ransome”を捨て、”Fela Anikulapo Kuti”と改名する。

 同年、アルバム『Zombi』リリース。

1981年、バンド名を”Fela Anikulapo Kuti and the Egypt '80”と改称。

1997年8月2日、エイズによる合併症で死去。享年58歳。
James Brown「Super Bad (LIVE)」
オリジナル"J.B.’s"時代の唯一の正規ライブ録音を、映画のためにリマスタリング。


アルバム『GET ON UP(ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男) O.S.T.』(2014年7月29日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:James Brown

2014年8月に公開されたジェームス・ブラウンの伝記映画「Get On Up(ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男)」のサウンド・トラック。

1971年3月8日録音。アルバム『Love, Power, Peace, Live At the Olympia, Paris 1971』(1992年8月)に収録されているバージョンのリミックスあるいはリマスター。

コリンズ兄弟がいたオリジナルJ.B.’sでのライブ音源は『Love Power Peace』でしか聴けない。当初、1972年にアナログ3枚組でリリースされる予定だったが、コリンズ兄弟がParliament / Funkadelicに参加したので契約上1992年まで出せなかった。

ギター:フェルプス・コリンズPhelps ""Catfish"" Collins(ブーツィ・コリンズの兄)


ジェームス・ブラウン:

1933年5月3日 米国サウスカロライナ州・バーンウェル生まれ

1967年、最初のファンク・ソングとされる「Cold Sweat」リリース。R&B1位、POP10位。

1970年3月、報酬への不服などの理由で、ボビー・バードBobby Byrd以外のバンドメンバー全員が辞める。ブラウンはシンシナティにいた”The Pacemakers”からブーツィ(b)とフェルプス(g)のコリンズ兄弟らを加入させる。彼らと、やがて戻ってきたフレッド・ウェズレーFred Wesleyらは”The J.B.’s”を名乗る。しかし、1971年3月のヨーロッパ・ツアーの後、コリンズ兄弟は脱退し、”Parliament-Funkadelic”のコア・メンバーとなる。

2006年12月25日 うっ血性の心不全により死没。享年73歳。
Red Hot Chili Peppers「Dark Necessities」
プロデューサーを替えて、心機一転のレッチリ最新作。まだまだ元気いっぱいです。


先行シングル(2016年5月5日発売)

11th アルバム『The Getaway』(2016年6月17日発売)収録

作詞・作曲:Anthony Kiedis, Flea, Josh Klinghoffer, Chad Smith, Brian Burton (Danger Mouse)/プロデュース: Danger Mouse

アルバムは全米、全英2位。オーストラリア、イタリア、アイルランドなど10カ国で1位。オリコン4位。

ギター:ジョシュ・クリングホッファーJosh Klinghoffer


前作『I’m With You』(2011年8月)から5年ぶりのアルバム。プロデューサーをこれまで25年間6作のアルバムを担当したRick RubinからDanger Mouseに変更。2014年に制作が始まったが、ベースのフリーがスノーボードで腕を骨折し、8ヶ月中断。その後、プロデューサーをDanger Mouseに決めたが、彼はこれまでことは忘れてすべて新しく作ろうと言い出し、2、30曲も用意していた曲はすべて捨てることになった。by Anthony
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ:

1983年、アンソニー・キーディス、フリー、ヒレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズによりバンド結成。

1989年、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスが加入し、アルバム『Mother's Milk(母乳)』をリリース。初めてのヒット。

1991年、Warnar Brothers Recordsに移籍し、アルバム『Blood Sugar Sex Magik』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。リック・ルービンをプロデューサーに迎える。シングル・カットの「Under The Bridge」は初の全米1位。

1999年、アルバム『Californication』をリリース。驚異的なセールスを記録し、現在までの最大のヒット作である。

2002年、アルバム『By the Way』をリリース。初の全英1位。全米2位。

2006年、アルバム『Stadium Arcadium』をリリース。初の全米1位、さらに全世界24ヶ国で1位を獲得。オリコンでも、2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得。

2009年、ジョンが自分の志向を突き詰めたいとして2度目の脱退。

2011年、新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム『I’m With You』をリリース。全米2位、全英1位。

2016年、プロデューサー、リック・ルービンの手を離れ、デンジャー・マウス(ブライアン・バートン)を迎えて制作したアルバム『The Getaway』をリリース。

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