【連載】Vol.024「Mike's Boogie St
ation=音楽にいつも感謝!=」

カスケーズの名曲「悲しき雨音」をオリジナル・リード・シンガー ジョン・ガモーの歌声でついに感動の生体験!THE CASCADES初来日公演!!
いきなりぐっとパーソナルな話題から入るけど、僕は1963年4月から66年3月まで東京の練馬区立開進第三中学校に通った。その当時は練馬の学習院などと噂された進学校で9クラス中6クラスが越境入学者。僕もそのひとり、西武池袋線で保谷⇔桜台を電車通学。また保谷のひとつ池袋よりの大泉学園から通っていた同期生が現在も時折連絡させてもらっているジャーナリストの池上彰さん。昨年の同期会では池上さん&ポール・マッカートニーのショットを題材にちょっぴりトーク・ライヴをさせてもらった。そんな同期会でのBGMは毎回Mike's Selectionによる下記のようなメニュー。
サティスファクション=ローリング・ストーンズ

学生時代=ペギー葉山

逢いたくて逢いたくて=園まり(開三中の先輩)

ポエトリー=ジョニー・ティロットソン

女ひとり=デューク・エーセス

悲しき悪魔=エルヴィス・プレスリー

プリーズ・プリーズ・ミー=ビートルズ

美しい十代=三田明

高校三年生=舟木一夫

愛なき世界=ピーターとゴードン

明日は咲こう花咲こう=吉永小百合&三田明

テル・ミー=ローリング・ストーンズ

修学旅行=舟木一夫

星のフラメンコ=西郷輝彦

悲しき雨音=カスケーズ

君といつまでも=加山雄三

夢見るフランス人形=フランス・ギャル

ウナ・セラ・ディ東京=ザ・ピーナッツ

キューティー・パイ=ジョニー・ティロットソン

ラスヴェガス万才=エルヴィス・プレスリー

学園広場=舟木一夫

ミッシェル=ビートルズ

霧の摩周湖=布施明

ドゥ・ワ・ディディ・ディディ=マンフレッド・マン

こまっちゃうナ=山本リンダ

朝日のあたる家=アニマルズ

若者たち~空にまた陽が昇るとき=ザ・ブロードサイド・フォー

悲しき願い=アニマルズ

青い瞳=ブルーコメッツ

この胸のときめきを=ダスティ・スプリングフィールド

砂に消えた涙=弘田三枝子

バス・ストップ=ホリーズ

バラが咲いた=マイク真木

ハヴ・アイ・ザ・ライト=ハニーカムズ

エレクトリックおばぁちゃん=ザ・スパイダース

涙の乗車券=ビートルズ

いつまでもいつまでも=ザ・サベージ

想い出の渚=ザ・ワイルド・ワンズ

ミセス・ブラウンのお嬢さん=ハーマンズ・ハーミッツ

夕陽が泣いている=ザ・スパイダース

見上げてごらん夜の星を=坂本九

花はどこへ行った=ピーター・ポール&マリー

ブーベの恋人=サントラ

ダイアモンド・ヘッド=ザ・ベンチャーズ

今日の日はさよなら=森山良子

イエスタデイ=ビートルズ

明日があるさ=坂本九
あの時代のヒット・チューンなのだ。自画自賛だが同期生からなかなかの好評を得ている(冷や汗)。
中学時代の思い出の邦洋ヒット。USリリースは60年だけどJP発売は64年、66年4月以降の高校時のナンバー、とかとか細かくチェックすると突っ込みいろいろあるけど、そこはマァ青春時代のメモリーズ・ソングということで…。ザ・スパイダースの「エレクトリックおばあちゃん」は70年シングルだけど原曲がジャン&ディーンの64年ヒット「パサディナのおばあちゃん」ということで洒落で加えた。数年前に故ムッシュかまやつさんにその話をしたらオオウケだった…。
15曲目に注目、カスケーズの「悲しき雨音」!中学入学前から僕はFENで毎週土曜に放送されていた“TOP 20”でUSヒットを楽しんでいた。カスケーズの「Rhythm of the Rain」がフェン(当時はこう呼称するのがツウだった)のチャート番組で流れたのはデータでチェックすると63年2~3月にかけてのこと。Billboard/HOT100では63年1月12日付80位(★)に初登場、その後65位(★)→35位(★)→19位(★)→9位(★)→5位(★)→5位→4位。そして3月9日付で最高位3位を記録した。
わが国では62年にすでにカスケーズ(東芝音楽工業からリリースされている頃は“カスケイーズ”と表記されていたのだ)のシングルは発売されていて、セカンドとして多分3月頃に店頭に並んだと思われる。「悲しき雨音」という邦題。TBSラジオ“POPS BEST 10”チャートのデータ本を見ると4月1日付で20位に初登場し、5月6日付/13日付/20日付/27日付、6月10日付でナンバー・ワン、年間チャートで2位を記録している。カスケーズ(カスケイーズ)は知らなくても「悲しき雨音」は覚えているという同期生は多いという出口調査結果(池上流?!笑い)。当時、日本中で大ヒット。翌年から梅雨期になると「悲しき雨音」が様々なラジオ番組でオン・エアーされていた。このムーヴメントは70年代まで続いたように記憶している。何と“POPS BEST 10”では68年梅雨期に再チャート・イン。
そんな60年代のアメリカン・ポップスのスタンダード、「悲しき雨音」のリード・シンガー、カスケーズのジョン・ガモー日本公演をCOTTON CLUBで観た。初日8月5日のファースト・ステージを楽しんだ。心温まる素晴らしいショーだった。初めてのライヴ・イン・ジャパンということもあって、ステージに登場し1曲目に入る前から自己紹介も兼ねてのトーク。曲間でも当時の音楽シーンを思い出させてくれるナイスなイントロダクション。次回の来日時にはぜひともインタビューしたくなってしまった…。
観客の大きな拍手でミスター・ジョン・ガモー登場。
MC : 東京に来たのは50年以上ぶりです。あの頃から大きく変わりました。当時は海軍に所属、佐世保基地に駐留。長崎や広島、京都にも行きました。ちょっとだけ日本語も勉強しました。

私の名はジョン・クロード・ガモー。60年代、カスケーズのオリジナル・メンバーでリード・シンガー。2日前に誕生日を迎え、79歳になりました。たまに疲れると手が震えます。ところで「悲しき雨音」はシングルでもあり、アルバムでもあります。アルバムの中には私の書いた「悲しき~」以外にもヒット曲があります。「悲しいわけは!!/There's A Reason」、私の作詞作曲したこのナンバーはカスケーズの最初の曲。

よく「カスケーズの他のメンバーは?」と聞かれます。「大多数が逝っちゃった。僕は毎朝、生きていることに感謝している」と答えます。どこかアジアの国の新聞に“60年代に活躍したカスケーズ、メンバー全員が飛行機事故で死亡”って記事が掲載されたらしい。2005年からライヴを再開し始めてからしばらく「私は死んでいません」と何度も何度も…。作曲家、そしてパフォーマーとして楽しんでいます。もうカリフォルニアに50年以上住んでいます。ではそろそろショーを始めましょう。今夜はファースト・アルバム『悲しき雨音』からのナンバーをどんどん演ります。印税を現在もいただいてますよ、日本からもね。それについては皆さんに感謝します。アイ・ラヴ・ユー。
1曲目はまさにアーリー・シックスティーズをダイレクトに感じさせるゴールデン・オールディーズ、60年のジョニーバーネットのカバーから「夢にみる恋/Dreamin'」。ジョンのソフト・ヴォイス、まさにアメリカン・ポップスなステージがここに幕開したのだ。
MC ; 私はとても嬉しく思うんです。24歳でこの曲をレコーディングした時とほぼ変わらず歌えていることに。もちろん鍛えています。歳をとったからタフでいないと。昨夜マニラでショーをして、そして日本で今日と明日ショーをして帰ります。若い頃と同じようにやれて満足しています。ネクスト・ナンバーも私が書いた曲です。62年にカスケーズが最初にレコーディングをした、前世紀のアルバムから「悲しいわけは!!」
続いてはジョンのMCにもあったようにザ・カスケーズのファースト・シングル「悲しいわけは!!」。62年夏にリリース、残念ながらUSチャート・インはしていない。ジョンの作詞作曲のミディアム・タッチのナンバー、しっとりと歌い上げる。
MC :私が初めて書いた曲でした。ここにカンペがあります。79歳にもなると途中で歌詞を忘れてしまうんですヨ。次もファースト・アルバムから。いろんなタイプの曲を演りますけど、これは最も可愛らしい曲。話は変わりますがひとつ紹介させてください。私自身は持ってないんですが、オーストラリアの方が編纂したアルバムがリリースされています。カスケーズの62年から66年までの全曲が纏められたCDアルバム。『Rhythms of Their Reign』、レインのスペルはREIGN。あの時代の全レコーディング楽曲が収録。ではいきましょう、「一人ぼっちの僕/My First Day Alone」。
3曲目は4枚目のシングル「一人ぼっちの僕」。63年リリース、USチャート・インはしていない。ミディアム・スローなポップ・ソング。まじめに歌い上げるジョンの姿勢が伝わってくる作品だ。
MC : 次のナンバーはきっと皆さんご存知でしょう。曲の途中で一緒に歌ってください。
ということで“Sing Along Part”。まず「見つめあう恋/There's a Kind of Hush(All Over The World)」 が登場。客席も♪La La La La La La♪。67年の大ヒット曲。
ジョン: 誰がレコーディング。

客席:ハーマンズ・ハーミッツ。

ジョン : リード・シンガーはピター・ヌーンだった。
まるで歌声喫茶ムードの中でのオールディーズ・バッ

ト・グッディーズ、懐かしのナンバーが次々に登場だ。

ジョンと観客が一体になりながら…。
ドゥ・ワ・ディディ・ディディ=マンフレッド・マン

ロコモーション=リトル・エヴァ

漕げよマイケル=スピリチュアル

パフ=ピーター・ポール&マリー

ナナ・ヘイヘイ・キス・ヒム・グッドバイ=スティー



ドレミのうた=サウンド・オブ・ミュージックから
全曲、僕もほぼ口ずさめた(冷や汗)。
MC : さて次の曲は「内気なあの娘/ Shy Girl」。フィリピンでのショーの時、母親と幼い男の子が近づいてきました。母親が「息子があなたのために歌います」ってこのナンバーを…。その2歳くらいの子は♪Tiger Tiger♪って歌ったんです。シャイ・ガールがタイガーに聞こえたんでしょう…。
といわけでカスケーズにもどって今度は63年のサー

ド・シングル「悲しき北風/The Last Leaf」のB面ソング「内気なあの娘」。スローなポップ・ソングで

B面ながらHOT100の5月11日付18日付で最高位91

位を記録している。
MC : この年齢で東京に来ることが出来て、自分が好きなことをやれて、そして皆さんが私のステージを楽しんでいただいて、とても幸せです。ありがとうございます。さて最後の曲を…いやまだ数曲あったな。次のナンバーもファースト・アルバムから。実は毎回ライヴをやるときはファースト・アルバムの曲をほぼやろうとしているんです。アルバム・レコーディングはロサンゼルスの有名なゴールド・スター・レコーディング・スタジオ。シェールやライチャス・ブラザーズらビッグ・アーティストが使っていました。シェールはとても愉快な女性でしたよ。若い時はね。今もまあ、ファニーですけど。彼女はよくスタジオのデスクに腰かけて、電話を取ったりしていました。「ハイ、ゴールド・スター・スタジオのシェールです」ってね。電話の相手は一旦沈黙して言うわけです。「冗談でしょう」。誰も信じないですよね、シェールが電話に出るなんて!ほかにも面白い話があります。レコーディング中、「悲しき雨音」のファイナル・プレイバックを確認していた時、向こう側に超有名人がいたんです。今は刑務所にいますが。彼の名はフィル・スペクター。ウォール・オブ・サウンドで有名な彼はロネッツほか多くのアーティストをスターにしました。フィルは「悲しき雨音」のファイナル・プレイバックを聴いた後、こう言ったんです。「一体、何やってるんだ、リッキー・ネルソンに渡すデモか?」。皮肉なことに、彼は後日それが20世紀で最も演奏された楽曲のひとつなることを知ることになります。私たちはこのファースト・アルバムを“魔法の12曲の集合体”と呼んでいます。全ての曲が世界のどこかでヒットしてるからです。フィリピンでは全曲トップ5に入りました。ここ日本では2、3曲かな。「恋人になりたい/I Wanna Be Your Lover」を歌います。お尻を振っちゃうのを許してくださいね。
63年リリースのファースト・アルバムから「恋人になりたい」。コーラスも加えたリズミックなナンバー。

アーリー・シックスティーズにはこのテンポのサウン

ドでホーム・パーティー、ダンスしていたのだ。
MC : 次の曲は61年のシェルビー・フリントのヒット曲。ファースト・アルバムでカバー。彼女に電話したんです。「シェルビー、君のこの曲はすごく良いね。どうやって作ったの?」と。彼女はこう答えてくれました、「子供たちのために作ったのよ。歌詞を読んだらわかるでしょ。エンジェル・オン・マイ・ショルダー!」この作品はカスケーズ・ファンの間でも有名になりました。初期のメンバーは5人、3人が亡くなってしまいました…。ひとりはサンディエゴに住んでいて70代、偉大なギター奏者。血液ガンに侵されましたが骨髄移植をして回復。でも、もうパフォーマンスはしたくないそうです。今回一緒に来て欲しかった。カリフォルニアで息子や孫たちに囲まれて暮らしています。一緒にやろうって誘い続けています。彼の名はエディ・スナイダー。

さて音楽に戻りましょう。歌詞は全て聴き取れるでしょ?いつも、はっきりと正確に発音するよう心掛けているんです。歌詞が大切ですから。「エンジェル・オン・マイ・ショルダー」
ファースト・アルバムから「エンジェル・オン・マイ・

ショルダー」。ジョンからも紹介されたようにカスケ

ーズと同じヴァリアント・レコードに所属していたシ

ェルビー・フリント60~61年のヒット曲(シェルビ

ーの邦題は“私のエンジェル”)。
MC : ありがとう。とても美しい曲ですよね。次も前世紀のアルバムから。会場には若い方もいらっしゃいますが、やはりシニアの皆さんが多いですね。我々が若い頃の音楽は、歌詞がはっきりと理解出来てメロディックな曲が多かったですよね。今やそういった曲はほぼ皆無です。もちろん若い世代の音楽も好きですよ。ブルーノ・マーズやビヨンセ。でもラップは苦手。曲に戻りましょうか。今度はラヴリーなナンバー。カスケーズのために書かれた楽曲です。「ラッキー・ガイ」
「ラッキー・ガイ」はソングライター/プロデューサーとしてよく知られヴァリアントを主宰していた

バリー・デ・ヴォーゾンの作品。カスケーズのファー

スト・アルバム収録。ゆったりとした展開の中にポッ

プなテイストをしっかり漂わせてる。
MC :レコーディングの時、このナンバーと私が書いたもう1曲(註:悲しき雨音)があって、後者を選んだのは大正解。サウンドがカスケーズにピッタリはまりました。ビートルズが出てくる直前のこと。彼らが世に出て、たくさんのキャリアがつぶされてしまいました。67年にカスケーズを脱退しましたが、その後3年はソロとして別の成功を手にしました。ABCダンヒル・レコードにまず所属、同レコードではグラス・ルーツも頑張っていました。ユニ・レコードやロンドン・レコードにも所属していました。そして70年代初頭、人生のパートナーと出会い、結婚しました。46年間連れ添っています。楽しい時間を過ごす合間にレコーディングをしたり、とても幸せな人生を送っています。「悲しき雨音」のおかげです。この作品はブロードウェイのショー、そして私の知る限り3作の映画でも使われました。前世紀最もプレイされた楽曲という称号も得ました。世界中の言語でカバーされました。以前イギリスとフランスを旅行中に出会った、カメルーン出身の美しい黒人女性と話していた時、彼女は私が「悲しき雨音」の歌手だと知ると、なんとスワヒリ語で歌ってくれたのです。驚きました。スワヒリ語でもカバーされていたなんて!アメリカをはじめ、世界中で大ヒット。もちろん日本でもロング・セラー、大ヒット。本当に感謝しています。ありがとう。最もブレイクしたのはイギリス、フランス、そしてドイツ。ではカスケーズを象徴するナンバー、「悲しき雨音」です。おっと、雷の音が必要ですね。いきましょう!
「悲しき雨音」。ということでイントロの雷音から

始まる。改めて記すけどジョンの作詞作曲だ。このナ

ンバーを聴きにCOTTON CLUBへ…。懐かしくて懐かし

くて、名曲である。
MC : ありがとう。皆さん本当に素晴らしい!次が最後の曲になります。「悲しき雨音」後、US TOP40には届かなかったけど、世界中で注目されました。「悲しき雨音」より好きだという方も多いようです。オー・ヘンリーの詩がもとになっています。私は詩を読まないんですが、ある人がこの詩を読んでくれた時、これは偉大なメッセージだと感じたのです。「The Last Leaf」、風が吹いたとき、葉が樹から落ちるところを見たことがあるでしょう、「悲しき北風」
最後のこのナンバーもファンに親しまれている、「悲

しき北風」。前述したようにカスケーズ3枚目のシン

グル。HOT100では63年5月11日付98位初登場でそ

の後79位(★)→71位、6月1日付で最高位60位(★)

を記録した。わが国では68年に「悲しき雨音」に続

いてリバイバル、“POPS BEST 10”で9月22日付29

日付12位が最高位。
そしてバック・ミュージシャンの紹介のあとアンコール。「愛しているのに/You Don't Know Me」。カントリー&ウエスタンのスタンダードで、56年にエディ・アーノルドでヒット。レイ・チャールズからエルヴィス・プレスリーまで多くのアーティストがカバーしている。ベテランらしく包容力ある歌唱で観客を魅了。カスケーズ、ジョン・ガモーのステージに大感激!!
▲写真提供:COTTON CLUB 撮影:米田 泰久(ライヴ・ショット)、森脇 康晴(プライベート・ショット) and from Mike's Collection & Library

☆☆☆
【書籍紹介】

『ビートルズ語辞典/藤本 国彦・著』(誠文堂新光社)
日本を代表するB4研究家、藤本さんの力作。素晴らしい一冊だ。このところ、出かける際には必ず持参し飛行機や電車やバスでの移動中しっかり楽しませていただいている。未だに中2の春に桜台駅前のサクラレコードで購入したLP『ビートルズ』(モノラル)をリスニングするのだが、その時もじっくり読ませてもらっている。辞典だけどさすが藤本さん(ハイ、知り合いでございます)、実に楽しい雰囲気でビートルズのいろいろなことを紹介してくださる。僕らのようなリアル・タイム派から若い20代ファンまでの幅広い層に、実に自然に、そしてアカデミックにならない雰囲気の中でジョン、ポール、ジョージ&リンゴのことを教えてくれるのだ。そして彼らの“本物感”をダイレクトに感じる。シェイ・スタジオでなく、ちゃんとシェア・スタジアムになっているのだ。著者は僕より少し若い“ちょっぴり後追い派”だけど、普段の“ほじくりかた”が違うのだろう、まさにリアルなのだ。ぜひとも英訳して世界発売して欲しい。全体の構成もさすが元編集長、ヤァ!ヤァ!ヤァ!フィーリング満喫なのだ!フロント・カバーは勿論50周年ということでSPLHCB!!
生前親交のあった永島達司さん、藤村俊二さん(高校時代“ビートポップス”でバイト。RS特集では出演も…)、石坂敬一さん(RS作戦をいろいろ)、水野晴郎さん。そしてB4をいろいろ教えてもらっている高島弘之さん、星加ルミ子さんらも登場。ヴィージェイ、宇宙中継、彼氏になりたい…次々に様々な方向性の中からのビートルズ語。コラム“ビートルズ切手コレクション”“素敵なパロディ・ジャケット”もイカシテる。楽しみながらTo Mike入りでジョージにサインをもらった時のことや(E・クラプトンと連名)、ジュリアン・レノンと六本木のキャバクラで酒盛りしたことを思い出した。それにしてもりんごすったーのCFは印象的でしたよネ。本書発売をきっかけにまたまた楽しんでいる。

最後にヒトコト突っ込みたい爺のたわごとをふたつ…。ピーター&ゴードンはピーターとゴードンにして欲しかった。ヘレン・シャピロやロニー・スペクターも登場しているのでドナ・リンもお願い。そうそうもうひとつ、Hamburg Mapあれば200点、来月RS欧州ツアーの初日に同地に行くので…、勝手言ってスイマセン。

藤本さん、B4業界ではその名を知られる川原伸司さん(高校&大学の同期生)を誘って雑誌「おとなの終末」“カレー東京完全ランキング”で5位に輝いた東京・外苑前のカリー・バー「ヘンドリクス」(オーナーは勿論ジミヘン・フリークでShinji & Mikeとは高校、大学が一緒)で出版記念パーティーしましょう。もちろん主題は大相撲!?

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