【GOING UNDER GROUND】ここから10年
やっていくためにもこのアルバムじゃ
なきゃダメだった
新生GOING UNDER GROUNDのアルバムが完成した。かつてないほどにバンド感が前面に押し出されたアルバムなのだが、サウンドうんぬん以前にもっと根本的な部分での変化がバンドであり、メンバー自身にあったようだ。
取材:石田博嗣
ニューアルバムにはバンド感があって、メンバーがバンドを楽しんでいる様子が伝わってきましたよ。
松本
今回はそこでしょうね。バンドに戻っていくまでに2年かかっているから、俺的には“無事生還した”っていう気持ちがありますね。こうなるために、キーボードの洋一(伊藤洋一)が辞めてからの2年があったんだと感じてます。“これが俺たちです!”っていう他人から何を言われても揺るがないものを作っていかないと、モチベーションとしてやっていけないと思ったから、気持ちを内へ内へと向けて、それをどう爆発させたらいいかを常に考えていましたからね。だから、ほんとに1stアルバムですよ。ここからまた10年やっていくためにも、このアルバムじゃなきゃダメだったというか。
インディーズ盤みたいな感じですよね。聴いてくれる人に向けて音楽をするっていうよりも、“自分たちがバンドを楽しむ!”ということに専念している。
松本
お客さんのことは考えてなかったもしれない。逆に言うと、洋一がいた頃のGOINGの後期は、そこにしか向かってなかったかもしれないですね。
河野
バンドの中のバイオリズムが、その年々であると思うんですよ。例えば、メンバー4人がいたら、みんな考えていることが違うと思うんですね。僕は自分の曲に関しては思い通りに全てやりたいと思ってたんですけど、メンバーが集まるとそうはいかない。だから、“自分の思い通りにできないんだったら、もういいや”って思ったりした時期もあったんですけど、素生が作った曲に惹かれて“やっぱり、このバンドは面白い!”って思ったり。今はメンバー全員が“このバンド、いいね!”って本心から思っていて、それがそのまま曲になっていると思うんです。その気持ちってすごくインディーズの頃に似ている…だから、そういうことを経ての『稲川くん』なので、一周した感じがありますね。
松本
あと、メンバーとじっくり話ができた…洋一が辞めてバンドが一回停止するってなった時に、俺たちは自分たちで事務所をやっているから大変なことがいっぱいあったし、悔しい思いもたくさんしたけど、結局それがバネになったというか。みんな同じ境遇にいるから、いろいろ話もしたし…読者に勘違いしてほしくないんだけど、辛い環境じゃないから(笑)。でも、この環境を手に入れられたっていうことがデカい。
そうなると制作作業も変わってきました?
松本
…変わってきますよね。“この曲でこういうことを歌いたい”っていう感じで出てくるから、アレンジでこねくり回さなくてもいいんですよ。
前はこねくり回さないと不安があったと?
松本
言ってしまえば、そういうことですね。それって“まだできる!”とか“俺たちはもっとすごいんだ!”っていう自惚れもあったと思うから、自分たちの身の程を知るっていうか。“等身大”っていう言葉にずっと付きまとわれていたんですよ。“等身大って何だろう?”って考えたり、“人はこういうふうに思うだろうから、もっとこうした方がいいんじゃないか?”って。だから、対“人”っていう考えになってたんでしょうね。でも、音楽はそこじゃないっていうか。“俺たちってこのぐらいのものなんだから、その中でできる最高のものをやろうぜ!”って思うようになった。それは諦めとはまた違うんですよ。もっと言うとね、GOINGってどういうバンドなのかって訊かれた時に、“いいなって思える歌を作って歌うバンドです”って答えられる…そこなんですよね、芯の部分は。それを4人が認識したことがデカい。“結局、やりたいのはコレだろ?”って。そこから始まったバンドですからね。
河野
すごく根本的な話なんですよ、多分。例えば、“楽しい”という気持ちを伝えたい時に、“僕、こんな気持ちなんです!”って楽しそうな人の顔の集めた写真を見せるのと、自分が楽しんでいるところを見せるのとでは全然違うじゃないですか。だから、どんどん自分を見せていこうって。それは僕だけじゃなくて、みんながそういう気持ちで音楽を作ろうと思っただけのことなんだと思うんです。それが前のアルバムにはなかったけど、10年前はあったなって。
中澤
このアルバムを作る上で、“こういうアルバムにしよう”っていう思惑がバンド側にまったくなかったんですね。4人になって初めてのシングル「LISTEN TO THE STEREO!!」をヒダカトオルさんと作って、次はライヴで威力のある曲を作りたいってなって「LONG WAY TO GO」をヒダカさんとまた作って…4人になったGOINGはシンプルに音楽を表現したいという気持ちがあったんですけど、表現の仕方が4人それぞれがまだ掴み切れてなかったというか、バンドとして打ち出し切れてなかったところを、ヒダカさんに“こうでいいんだぜ”って助けてもらったんですね。だから、あの2作品をヒダカさんと一緒に作ったことで、4人の目線や気持ちが揃った感じがありましたね。で、“ここからアルバムに向けて、4人でやれるんじゃないかな”ってなって1曲ずつ作っていったんですよ。それも“こういうピースが必要だから、そういう曲を作ろう”じゃなくて、自分たちが感動できるとか、“これをライヴでやったら自分たちが燃えるよね”っていうポイントで曲を作り続けて、“そろそろ曲が溜まったからアルバムが作れるな”ってなったんです。振り返るとインディーズの頃ってそういうかたちでしかアルバムが作れなかったから、そこがインディーズ盤ぽいって思われたところなんだろうなって。でも、それが本来のバンドのあるべき姿というか。
石原
やっぱりヒダカさんとやったのがデカかったなって。さっきおっしゃってくれた、バンド感が出てきたというか。「名もなき夢~煩悩青年とワーキング・ママ~」や「さよなら僕のハックルベリー」は4人だけで作ったんですよ。その前にHARCOさんとも一緒に共同プロデュースで曲を作ったりしたんで、そういうことを経て4人だけで作れたとも思うから、ヒダカさんやHARCOさんと一緒にやったことがすごく良かったなって思いますね。あと、録り方も今までと違ったんです。一日でオケをバッと録ってしまって、あとは丈さん(河野の愛称)家のプライベートスタジオで…ドラムは無理だけど、上モノは録れるから、みんなとゆっくりと話しながらやってたし。そういうことも大きいんじゃないかな。
デビュー10周年に意味のあるアルバムが完成したということですね。そして、その10周年のアニバーサリーツアーの最終公演として日比谷野外音楽堂が発表されましたが。
松本
もうツアーは始まってるんですけど、この10年間の中で、今、一番いい状態にありますね。このまま行けば野音は相当いいはずです。火を吹いたりはしないですけど(笑)、圧倒的なものを観せられると思いますね。“GOINGってこういうバンドなんだ”ってちゃんと分かり合える気がする。だから、ツアーも気を抜かないで一本一本超えていくようないいライヴをやって、最終的に野音まで行きたいと思ってます。
- 『稲川くん』
- PCCA-03350
- 2011.04.27
- 2800円
GOING UNDER GROUND プロフィール
ゴーイング・アンダー・グラウンド:中学1年生の時にTHE BLUE HEARTSに憧れ、幼馴染み同士で母体となるバンドを結成。1998年にミニアルバム『Cello』でインディーズデビューし、2001年にはシングル「グラフティー」でメジャー進出。09年に伊藤洋一(Key)が、15年に河野丈洋(Dr)が脱退したものの、3人でバンド活動を再始動させ、16年8月にアルバム『Out Of Blue』を発表した。GOING UNDER GROUND オフィシャルHP