神田沙也加、世論も認める親の七光り
を感じさせない「努力家」

神田沙也加

 神田沙也加の印象は、歌は上手く、表現力も豊かで笑顔。大ヒットとなった映画『アナと雪の女王』で見せた堂々たる歌声は、2014年末の紅白歌合戦において、米ニューヨーク・マンハッタンの特設会場から本家エルサ役を務めたイディナ・メンゼルとの共演でも発揮された。

 彼女は昨年末まで、TRUSTRICK(トラストリック)というユニットを組み、音楽活動していた。アルバムを定期的にリリースしていたがライブユニットとの印象が強い。

 他の歌手と異なるのは舞台経験が豊富であること。音楽と舞台とでは声の出し方は違う。沙也加は舞台で培った声量と演技力(この場合は表情だけでなく声も含まれる)をもって曲の世界観を立体的に映し出していた。時折みせるバラードでの繊細さにハッとさせられることもあった。

 神田正輝と松田聖子の間に生まれた。プレッシャーも大きかったのであろう。1回目のデビューは2002年。SAYAKA名義で歌手デビュー、その後、女優としてもデビューを果たすもその3年後の19歳の時に活動を休止した。

 当時、休止の理由を「高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し将来のことを考えたい」と語っている。後に、ある番組で「高校卒業したのが大きい。これから芸事をやるか、普通の仕事をするのか、選べるギリギリのボーダーかなと思って」と振り返っている。

 その後、表舞台から姿を消した。ある番組で彼女はこの期間、生活のために懐石料理店で仲居のバイトをしていたと明かしている。そこでの評価は高く正社員の打診もあったそうだ。真面目な仕事ぶりが目に浮かぶ。

 そして、2006年12月に本名の神田沙也加名義で芸能界に復帰。最初に足を踏んだのは舞台だった。舞台経験を重ね実力を磨いていく。くじけず前を見据えて稽古に励む。その姿をみてある関係者は「努力家」と称えた。

 その努力で磨かれた才能によっていつしか神田正輝・松田聖子の娘とは言われなくなっていった。親の影は薄らぎ神田沙也加として確固たる地位を築く。

 そんな彼女が昨日、俳優の村田充と結婚することを発表した。結婚とは別にもう一つ話題になったのは親子関係だった。沙也加の母親が松田聖子と知らぬ人も多かったようで驚きの声が多数あがったという。

 しかし、この現象をこう捉えている声も多く聞かれた。「それだけ親の七光りを感じさせなかった」「まさに努力家」。

 アニメ好きを公言し、声優としての評価も高い。まさにマルチ。しかし、その才能は努力をもって開花させたともいえる。それは身近にいる関係者以上に一般人が感じているのだから相当なものだ。

 ある大物俳優がこう言っていたのを思い出した。「厳しい芸能界では、才能があっても努力がなければ活躍し続けることできない。活躍し続けている人はそれだけ努力をしている。そう感じないのは見せていないだけだ」。この言葉をそのまま沙也加にも当てはめたい。

 ある番組で「音楽とは何か」と問われ「ホームベース」と答え、芸能界は「戦場、自分との戦いも含めて」を語った彼女。沢山の経験、努力を重ねて得た表現力。妻となり、そしてやがては母となり。また異なる経験を積んだ彼女が再び、音楽の世界に戻り、様々な世界観を歌をもって魅せてくれることを願いたい。(文=木村陽仁)

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