4月9日@東京・青山CAY

4月9日@東京・青山CAY

マキタスポーツの定例ライヴ&トーク
イベントに西野亮廣(キングコング)
が登場

マキタとは旧知の間柄とはいえ、その発表段階から何かが起こる気がしてならない今回のイベント。その内容は、果たしてどんなものだったのか。そして、マキタが記念すべき第10回のゲストに西野を招いた真意とは、いったいどこにあるのか。それらのことも含めて以下、当日の模様をレポートすることにしたい。

マキタの盟友ジミー岩崎による客入れピアノ演奏が行われるなか、気が付けば着席満員の会場。開演前のひとときを、飲食を楽しみながら過ごす観客たちに向けて、マキタの弟子セクシーJによる“前説"が行われる――という恒例の流れ。その後、万雷の拍手を受けてステージに登場したマキタが、ジミーのピアノとともに、この日まず最初に弾き語りで歌い上げたのは、真心ブラザースの「人間はもう終わりだ」だった。ギターを弾きながら朗々と歌い上げるマキタ。その背後のスクリーンには、森友学園、籠池理事長、安倍首相、昭恵夫人……など、巷間にぎわせている場所や人々の姿が、次々とスライドで映し出されていくのだった。静かにざわつく客席。そして、マキタが歌う楽曲の歌詞とスライドが奇妙な因果関係を想起させるなか、そこに重ねられるマキタの《人間はもう終わりだ!》という歌声。

そんな客席のどよめきをよそに、続いてマキタが披露したのは、KANの「愛は勝つ」だ。《愛は弱者のいいわけ》と歌う真心ブラザースの楽曲から、《最後に愛は勝つ!》と宣言するKANの楽曲へ。しかも、その背後には、先ほどと同じスライドが、再び映し出されるのだ。その“異化効果"によって、早くもマキタならではの独特な世界に包み込まれてゆく会場。ちなみにマキタ曰く、『この2曲を同じコード進行で歌ってみたら、吉田拓郎になる』とのこと。確かにそんな気がしないでもない。そのあたりの音楽的な実験及び発見も、実にマキタらしいオープニングとなった。

続いては、「最近のマキタスポーツ」と題した、ソロトークのコーナー。まずは、マキタが大河ドラマ『おんな城主直虎』に出演することが発表される。それにしても、役者=マキタスポーツの活躍には、本当に目を見張るものがある。さらには、最近読んだ本として、清水富美加改め千眼美子の『全部言っちゃうね。』と柳澤健の『1984年のUWF』を紹介。その虚実入り混じった内容についての忌憚ない感想はもちろん、“全部言っちゃうね"さながら、現在自身のバンドがうまくいってないことも、マキタはサラリと告白する。その後は、最近トライしているというポエトリーリーディングを披露。ジミー岩崎のピアノに合わせて、今の彼のなかにある“リアル"が、むき出しのリリックとなって吐露されてゆく。“男らしく/女らしく"、“結果の蓄積"、“青春中年"など、マキタの口から放たれるパンチワードの数々。それはブルースのように醸成された、彼自身の生身の言葉のように思えた。そして、再びギターを持った彼は、アルバム『推定無罪』より「芸人は人間じゃない」を歌い上げる。ところで、マキタスポーツは“芸人"なのか、あるいは……そんなことを考えているうちに、ひとまず前半戦が終了する。

15分の休憩を挟んだあと、再びスタートした後半戦。マキタに呼びこまれる形で、遂に西野亮廣がステージに登場する。“おもしろ絵本作家"を名乗りながら、今日のために購入したというアコースティックギターを携行している西野。歌うのか。実は旧知の仲であるどころかプライベートでも親交があり、何かと世間を騒がせてきた西野の一連の活動も直接・間接的にサポートしてきたというマキタ。そんなふたりのトークは、思いのほかリラックスしたものとなった。とはいえ、昨秋発売した絵本『えんとつ町のプペル』の売り上げが異例の28万部を突破したこと、早くも映画化が決定したこと、ライバルはディズニーであることなどを意気揚々と爽やかに語る西野に対し、ちょいちょい悪い笑顔を浮かべながらツッコミを入れるマキタ。曰く、本日のテーマは、そんな西野が“嫌われる理由"を明らかにすることなのだとか。しかし、そんなツッコミをものともせず、まずは一曲、絵本のために自ら作詞作曲したという同タイトルの楽曲を、西野は弾き語りで披露する。というか、結構上手い。この何でもそつなくこなしてしまう感じも、彼が“嫌われる理由"のひとつなのかもしれない。無論、逆から見れば、そこが彼の魅力なのだろうけど。

その後再開したふたりのトークは、さらに多岐にわたるものとなった。クラウドファンディングから芸人のひな壇をめぐる問題、さらには好感度で測られることを余儀なくされる芸能人の宿命と、マキタが提唱する“第二芸能界"(好感度をもとにした広告モデルとしての芸能界ではなく、ライブなど自立採算によって自由に活動可能な芸能界)の必要性に至るまで。一般的には“芸人"とみなされながらも、その枠に縛られない活動を展開する両者が交わす率直な議論は、かなり示唆に富んだものとなっていた。そして、自身の持ち歌(?)である「オーシャンゼリーゼ」を弾き語ったのち、客席からの握手を浴びながら西野が退場。ジミー岩崎のピアノとともに、再びマキタの弾き語りがスタートする。

「Oh!ジーザス」、「黒い車」、「矛と盾」……自身の持ち歌を披露しながらも、西野との会話に刺激を受けたのか、ここからのマキタは少し様子が違った。端的に言うと、“笑い"の要素以上に、47年間生きてきたひとりの男の“存在"が、そこで打ち鳴らされていたのだ。自分は芸人なのかミュージシャンなのか、あるいは役者なのか。そんな“肩書き"問題に囚われることなく、人々に“何か"を感じさせようとするエンターテイナー……広義の“芸人"としての揺るぎないアティテュード。それさえあれば、他のことはどうでもいい。たとえ、“おもしろ絵本作家"を名乗ろうとも、本質的には何も変わらない、そして何も気にしていない西野のように何かを振り切ったマキタスポーツが、そこでギターを弾きながら、汗で額を光らせながら歌っていた。

さらに、本編終了後、間髪入れずに登場したアンコール。そこでマキタが披露した、自身の生活を綴った生身のブルース「普通の生活」、そして「昭和男のヒートウェーブ」が打ち放っていた、得も言われぬ音楽としての強度。それはオープニングで見せた実験精神とはまた違う、マキタ自身のむき出しの覚悟が感じられるとてもシリアスなライブ・パフォーマンスであった。この日、自身の“ホーム"とも言える「LIVE@マキタスポーツ」で、マキタが見せた覚悟。それは、自身の活動を支えてくれたファンに対する、彼なりの決意表明だったのかもしれない。もはや、何にもとらわれない天衣無縫な存在となりつつ西野を招きながら、自身も再び“弾き語り"という原点に戻り、“肩書き"に縛られることのない、ある種“むき出しの状態"となって、新たな創作のヒントを探ること。実際マキタは、今後はバンドとしての活動以上に、弾き語りでのライブを多く予定しているという。衣装もかつらも必要ない。生身のエンターテイナー=マキタスポーツの正念場が、いよいよここから始まろうとしている。

Text by 麦倉正樹(音楽ライター)
4月9日@東京・青山CAY
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OKMusic編集部

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