70’s 黒人アーティストの極めつけデ
ィスコヒット5曲(その3)

前々回、前回と、70年代に人気のあった黒人ファンクグループを紹介してきたが、忘れられないのが黒人のコーラスグループだ。今回は70年代のディスコで大人気を博した、さまざまな黒人コーラスグループを紹介してみよう。

70年代のディスコで人気のあった黒人コ
ーラスグループ

黒人コーラスグループとひと口に言っても、その数は星の数ほどある。さて、それらの中にあってディスコで人気のあったグループはと言うと…

70‘s黒人アーティスト特集の(その1)と(その2)では、ディスコで人気の高かったファンク系を中心に取り上げてきた。他にもアイズレー・ブラザーズ、スレイヴ、バーケイズ、マンドリル、L.T.Dなどなど、いろいろ紹介したいグループはあるが、残りはまたいずれということで、今回はコーラスグループにスポットを当ててみたい。まぁ、数が多いのでこちらも何回かに分けてということになるだろうが、とりあえずディスコで人気の高かったグループをセレクトしようと思う。コーラスグループと言っても、歌いながら演奏もするパターンや、コーラスとバックバンドは別というパターンもあるので、ここではその両者のグループから5曲集めてみた。なるべく、“ディスコ”という概念が既にあった、70年代中期あたりにリアルタイムで登場したグループを紹介したい。

それでは、黒人コーラスグループによる極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみる。

1.「愛のディスコティック(原題:It
Only Takes A Minute)」(‘75)/タ
バレス

75年のリリースで、ディスコで大ヒットした彼らの代表曲。次の「ディスコ天国(原題:Heaven Must Be Missing An Angel)」(‘76)も大当たりし、日本のディスコでは常連グループとなる。タバレスは実の兄弟からなる5人組で、全員がリードを歌えるということで注目されたのだが、実はディスコ好きはそんなことはどうでもよくて、要は踊れるかどうかだけにかかっている。その点、この曲はディスコ向けにリリースされた作品ではあるが(全米ダンスチャートで最高2位)、さすがは70年代だけに実に丁寧に作られていて、聴いて良し、踊って良し、歌って良しと、三拍子揃った名曲だと思う。今聴いても彼らのサウンドは古くなっておらず、ヒット曲以外にも良い曲が多いので、当時のファンの方はアルバムでも聴いてみてほしい。この曲はアルバム『In The City』(’75)に収録されている。次アルバムの『Sky High !』(‘76)には「ディスコ天国」が収録され、両アルバムとも甲乙付けがたい仕上がりだ。77年、サタデー・ナイト・フィーバーのサントラに、ビージーズのカバー「モア・ザン・ア・ウーマン」が収録されることになるのだが、ここらあたりが彼らの人気の頂点であったかもしれない。

2.「ベスト・オブ・マイ・ラブ(原題:
Best Of My Love)」(‘77)/エモー
ションズ

ディスコファンに愛される名曲のひとつで、70sディスコを代表する曲のひとつでもある。エモーションズはもともとはゴスペルを歌っていた3人姉妹のグループで、アース・ウインド&ファイアのリーダー、モーリス・ホワイトのプロデュースでディスコ系にも目を向けたグループとして再デビュー、3枚目のシングルとなるこのナンバーで全米ソウルとポップ部門で1位(5週連続)、ダンスチャートで11位となった。抜けるようなハイトーンヴォイス、メリハリのあるリズムセクション、覚えやすいキャッチーなメロディーなど、ヒット曲に必要な要素が高濃度で配合されている。日本のディスコや大学のダンスパーティでは毎日のようにヘビロテされ、今でも愛聴している人は多い。79年にリリースされたアース・ウインド&ファイアの「Boogie Wonderland」(全米6位)にもゲスト参加し大ヒットしたのだが、多忙を極めることになり平安な生活がしたいということで、85年以降は大きな仕事は引き受けずフェードアウトした。

3.「愛がすべて(原題:Can’t Give Y
ou Anything(But My Love))」(‘7
5)/スタイリスティックス

これ、バリー・ホワイトの「愛のテーマ」に似た感じの曲で、プロデュースはヴァン・マッコイが担当している。日本人ならディスコ好きでなくともこの曲は知っているのではないだろうか。長い間、この曲を使ったテレビCMが流れているからだが、もちろんディスコでは定番曲のひとつとして愛されている。マッコイがプロデュースなだけに「ハッスル」のリフをストリングスで組み込んでいるのがミソだ。スタイリスティックスは美しいファルセットが特徴で、全員が黒人であるもののソウルグループというよりはポップコーラスグループである。前年の大ヒット「You Make Feel Brand New」(‘74)もディスコではよく知られた曲で、チークタイムには欠かせない名バラードであった。はっきり言ってしまえば、ディスコファンにとってスタイリスティックスはこの2曲だけで完結しているのである。

4.「サニー(原題:Sunny)」(‘76)
/ボニーM

このグループは黒人グループではあるが、ドイツ人プロデューサーのフランク・ファリアンがアフリカと中南米から集めたディスコ向けグループ。要するに、後年のユーロビート人気を支えた初期のミュンヘン・サウンドなのである。70年代中期に「ベイビー・ドゥ・ユー・ウォナ・バンプ」(‘75)「ダディ・クール」(‘76)「怪僧ラスプーチン」(’78)などのヒットをボニーMは生み出したが、その結果、ユーロビートの多くのグループがディスコ音楽シーンに送り込まれることになるのである。そう、ボニーMはミュンヘンからのディスコ偵察隊であり、このグループが売れたことでユーロビートの成功が確実になったのである。「サニー」は曲そのものがスタンダードであり、名曲のカバーであったから、日本でも大ヒットし、当時はアメリカのグループだと勘違いしていた人が多かった。前述の「怪僧ラスプーチン」は、同じくドイツのジンギスカンのヒット曲でもあるが、ボニーMがオリジナルである。

5.「ディスコ・インフェルノ(原題:D
isco Inferno)(’76)/トランプス

1)のタバレスと同様、トランプスの「ディスコ・インフェルノ」もまた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に収録され大ヒットを記録(全米ダンスチャート1位)する。彼らは以前紹介したフィラデルフィア・インターナショナル・レコード(以下、P.I.R)に所属していて、バックを受け持つのは「ソウルトレインのテーマ」でお馴染みのMFSBである。P.I.RにはMFSBやスリー・ディグリーズ、オージェイズ、ハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツら、優れたフィリーソウルのミュージシャンたちが在籍していたが、その中にあってトランプスは時代の要請もあってディスコ専門チームとなり、一時期はトップスターであった。特に76年は当たり年で「That’s Where The Happy People Go」「Disco Party」「Disco Inferno」(本作)「Starvin’」といったシングル曲がダンスチャートの1位を獲得している。この後『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラに「Disco Inferno」が収録されることになるわけだが、それを受けて78年に同曲は再発売、76、77、78年の3年にわたって大ヒットするのである。『サタデー・ナイト・フィーバー』の公開が77年でなければ、この曲がサントラに収録されることもなかっただろうし、もちろん3年連続のヒットになるわけもなかっただろう。タイミングの勝利というか、この映画がディスコシーンに与えた影響の凄さを今更ながら再認識した次第です、はい。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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