ライオネル・リッチーの極めつけディ
スコヒット5曲

黒っぽさ満載のファンクグループ“コモドアーズ”を脱退し、黒人らしくないポップスシンガーとしてソロデビューしたライオネル・リッチー。80年代前半にディスコのチークタイムで人気を博した。

マイケル・ジャクソンと同様に、人種の
区別なく音楽の楽しさを提示したライオ
ネル・リッチー

“ライオネル・リッチーは主張のない単なるムード歌謡だ”、“あいつは擬似白人じゃないか”などと、ラジカルな黒人などからは揶揄されたこともあるが、彼は白人にも受け入れられるポップな音作りで、マイケル・ジャクソンと並んで万人に歓迎された黒人のポップスターである。人種や年齢に関係なく“誰もが楽しめる分かりやすい音楽”を提示することは、決して簡単なことではない。彼の高い音楽性は、アフリカ向けのチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド(原題:We Are The World)」(‘85)をマイケル・ジャクソンと共作することで見事に証明されたのではないか。ディスコでは特にバラードで成功を収め、80年代前半のチークタイムは、彼の曲ばかりで占められたこともある。
ソロデビュー作の『ライオネル・リッチー(原題:Lionel Richie)』(‘82)からは「ユー・アー」「トゥルーリー」「マイ・ラブ」の3曲がアダルトコンテンポラリー・チャートで1位を獲得し、2ndの『オール・ナイト・ロング(原題:Can’t Slow Down)』(’83)からは「オール・ナイト・ロング」「ハロー」の2曲が、3rd『セイ・ユー・セイ・ミー(原題:Dancing On The Ceiling)』(‘86)では「セイ・ユー・セイ・ミー」がそれぞれ1位となっている。

82年から84年はMTVで彼のミュージックビデオが毎日のようにオンエアされていて、上記ソロ3作と「ウイ・アー・ザ・ワールド」に共作・出演した頃が彼の絶頂期であった。日本では少し年齢の高い人が通うアダルティなディスコでの人気が高かったのだが、彼はバラードが得意なだけに、それも当然のことであった。

それでは、ライオネル・リッチーの極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみよう!

1.「ユー・アー(原題:You Are)」(
‘83)

ソロデビューアルバム『Lionel Richie』からの第二弾シングル。リッチーを代表する佳曲で、世界中で大ヒットしている。ミディアムテンポのソフトなナンバーで、リッチーのやさしいヴォーカルは絶品だ。ただ、アダルトコンテンポラリー・チャートでは1位になったものの、ポップチャート(どちらもビルボード)では最高4位どまりであった。この時のライバルは強者ぞろいで、1位がマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」、2位がカルチャー・クラブの「Do You Really Want To Hurt Me」、3位がデュラン・デュランの「Hungry Like The Wolf」と、ある意味で「ユー・アー」の4位も不思議ではないぐらい、ディスコで大ヒットした強力なシングルが続出していた時期なのである。そして、こういう曲が続々とリリースされていたからこそ、80年代にディスコの人気が爆発的に高まっていったのである。

2.「トゥルーリー(原題:Truly)」(
‘82)

1)と同様、デビューソロに収録されている。こちらが最初にシングル時カットされ、全米ポップチャート1位を獲得している。彼がもっとも得意とする「マイ・ウェイ」タイプの極甘バラード。この曲を初シングルにしたのは、彼なりの勝算があったからだ。というのは、ソロになる前のコモドアーズ時代に、リッチーが主導権を取ったバラードの「イージー」(‘77)が大ヒットし、このヒットをきっかけにコモドアーズはファンクからポップス路線へとシフトしていて、それぐらいリッチーは自分のバラードに自信を持っていたのである。そして、その読みが当たることになる。当時はテクノポップが流行していたので、ディスコでもシンセポップが主流であったが、すでに社会人のお兄さんお姉さんがディスコに求めるのはペラペラのチープな音より、少々時代遅れでも人力演奏が中心の落ち着けるサウンドであった。そういう人にはリッチーのようなソフトでゴージャスな音作りが受けたのである。

3.「オール・ナイト・ロング(原題:A
ll Night Long)」

2ndアルバムに収録された大ヒット曲。1)「ユー・アー」タイプのナンバーだが、こちらはシングル・アルバムともにポップチャートで1位を獲得する。彼が得意とするミディアムテンポの仕上がりで、ディスコ向きのBPMだ。それに加えて、曲の後半で展開するトロピカルさが雰囲気を盛り上げていく。当時流行っていたワールドミュージックのテイストを巧みに取り入れ、カリプソっぽいホーンセクションやアフリカ風のコーラスなども登場し、曲が進むにつれじわじわと熱くなっていく…このアレンジが、ディスコで大いに受けた。結局、1)のリベンジができたどころか、2ndアルバム『オール・ナイト・ロング(原題:Can’t Slow Down)』は第27回グラミー賞で最優秀アルバムに選出され、リッチーはアメリカで頂点に立つシンガーとなった。

4.「ダンシング・オン・ザ・シーリング
(原題:Dancing On The Ceiling)」(
‘86)

3rdアルバムに収録されたロックフィールあふれるダンサブルなナンバーで、全米ポップチャートで2位となった。曲のスタイルとしてはケニー・ロギンスの「フットルース」(‘84)やアイリーン・キャラの「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」(‘83)と同タイプ。この時期は、大人向けのアメリカンロックテイストを持つ曲がディスコでもヒットしていただけに、リッチー向きの曲とは言えないが、アルバムでは外せないスタイルであったからだろう。この曲をシングルカットしたのは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ曲でヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「パワー・オブ・ラブ」が前年にメガヒットしたからだと思われる。一流のポップスターになるとリスナーへのリサーチというか、何が受けるかというマーケティング能力の高さが必要になるんだなと再認識させられた。

5.「セイ・ユー、セイ・ミー(原題:S
ay You Say Me)」(’84)

この曲も4)と同様3rdアルバムに収録されているが、少し前の84年に録音されている。その理由はというと、85年の映画『ホワイト・ナイツ/白夜』の主題歌として使われることが決まっていたから。バラード作品でリッチーにしては珍しくゴスペル的で力強いヴォーカルが印象的なナンバーで、曲調はビートルズ(「レット・イット・ビー」など)にインスパイアされているようだ。こういったスタイルのソングライティングが「ウィ・アー・ザ・ワールド」の作曲にもつながっていくという意味で、興味深い作品となった。日本ではディスコのチークタイムによく使われていたが、ダンスするよりは聴き入ってしまう人が多かった。はっきり言って、途中に登場するエイトビートのブリッジ部分はダンスには邪魔なので、リッチーはこの曲をディスコで使いたくないと考えていたのかもしれない。全米ポップチャートとR&Bチャートで1位を獲得、さらにアカデミー歌曲賞も受賞するなど、彼の代表曲のひとつとなった。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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