日本の芸術を変えたとまで評された天
才・寺山修司とはどんな人?

そもそも寺山修司とは、どんな人?

寺山修司は、1935年に青森県で生まれました。警察官の父親の転勤で弘前や五所川原など県内各地を転々とする少年時代を送っており、独特の青森訛りはこの頃に身についたようです。

高校まで青森で過ごした後、寺山修司は東京の早稲田大学に進学します。そこで短歌と出会い、歌人として活動を始めました。すぐに才能を発揮し、新人賞を受賞するものの、病により大学は1年で退学してしまいます。

シナリオ作家への道を歩むきっかけとなったのは、谷川俊太郎との出会いでした。谷川の勧めでラジオドラマのシナリオを書くようになり、その後、劇団四季の戯曲や、篠田正浩監督のシナリオを手掛けるなど、活躍の場を大きく飛躍させていきました。

天井桟敷は、そんな寺山修司が手がけたアングラ劇団です。1967年に結成され、1969年には日本初のアングラ専用劇場「天井桟敷館」を開館しています。

言葉の錬金術師と呼ばれた男

「たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け、言葉は武器だ!」

寺山修司が残した言葉は、今なお多くの人たちを惹きつけ、錆びることのない新鮮な光を放っています。数え切れないほどの名言を残し、「言葉の錬金術師」との異名を持つ寺山修司。

「私が死んでも墓は建ててほしくない。私の墓は私の言葉であれば充分。」

寺山らしい名言も残しています。

詩人としてだけでなく、シナリオライター、映画監督、写真家、劇作家など多くの才能を発揮し、いつの時代も若者たちを魅了し続けています。

元祖・天才プロデューサー「寺山修司」

没後30年の2013年に、突如巻き起こった寺山修司ブーム。原宿のファッション界にまで影響を与えるほど、熱狂的なブームは続き、生誕80年を迎えた2015年には各地でイベントが開かれました。

寺山修司は、天井桟敷という劇団を演劇実験室と称することから分かるように、劇中に様々な仕掛けを工夫し、いわば総合プロデューサーの先駆けのような存在でした。言葉の美しさや時代を超えても色あせない普遍性は、寺山修司をリアルタイムで知らない若者たちにも、新鮮な驚きをもって受け入れられています。天井桟敷は解散しましたが、当時の演劇が楽しめるDVDなどが人気を集めています。

寺山修司の世界観に浸ってみては?

2015年に生誕80年を迎えた寺山修司。47歳の若さで亡くなったこともその魅力を高めているのかもしれません。人生の糧になる名言集や美しい言葉の詩集を読むのも良し。見たとたん独特の世界観に引きこまれてしまう天井桟敷の演劇を鑑賞するのも良し。寺山修司の世界観に、一度浸ってみてはいかがでしょうか?

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