デジタル機器を駆使して、一般リスナーにファンクを浸透させたザップの『ザップ!』
60年代、黒人音楽としての「ファンク」の概念をジェイムス・ブラウンが創造してから、スライ&ザ・ファミリーストーンはロックをベースにしたダンス音楽としてのファンクを構築し、ロックのリスナーを中心に白人にも広まっていく。彼らの尽力や『ソウル・トレイン』などのテレビ番組の効果もあって、70年代にはアース・ウインド&ファイアーやオハイオ・プレイヤーズなどのファンクグループが続々と登場する。パーラメントとファンカデリックのふたつのグループを主宰するジョージ・クリントンは、JB譲りの硬派のファンク(パーラメント)とロック的要素が強い実験的なファンク(ファンカデリック)で勝負していたが、70年代後半になるとダンスに特化したディスコ向け音楽が世界的な隆盛を極めていく。当初は黒人特有のグルーヴがファンク音楽の魅力であったが、やがてシンセと打ち込みを多用したヨーロッパのディスコ音楽が流行し、ファンクは単なるダンス音楽の一ジャンルだと認識されるようになる。1980年に本作『ザップ!(原題:Zapp)』でメジャーデビューしたロジャー・トラウトマン率いるザップは、あえてシンセや打ち込みを使い、デジタル世代のファンクだけでなくヒップホップのアーティストにも影響を与えるなど、次世代の黒人音楽に大きな貢献を果たした。