YBO2

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    YBO2イボイボ

    雑誌『フールズメイト』の初代編集長である北村昌士が84年に結成したのがYBO2である。現在ではヴィジュアル系ロックの専門誌となってしまった同誌は、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターのアルバム・タイトルからとった誌名が示すように、そもそもヨーロッパのプログレッシヴ・ロックや現代音楽、パンク/ニュー・ウエイヴや前衛音楽、さらにはその周辺に広がる雑多なサブ・カルチャー状況まで俯瞰したクオリティ・マガジンであり北村はその理論的支柱だった。その北村のポスト・モダン/ポスト構造主義的な思想を実践に移そうとしたのが、80年代後半のインディーズ・ブームの主役となったレーベル<トランス>であり、自らがベース/ヴォーカルを担当するYBO2だったわけだ。
    吉田達也(dr/後にルインズ)、K.K.NULL(g/後にゼニゲバ)、栗原ミチオ(g/後にホワイト・ヘヴン)、森川誠一郎(g/Z.O.A.)、といった錚々たるメンバーが在籍していたYBO2は、キング・クリムゾンとジス・ヒートの間隙を埋めるようなノイジーかつプログレッシヴな音楽性を繰り広げていた。入り組んだ変拍子リフが連続的に展開する複雑な曲構成と、オブセッションに満ちたヒステリックなヴォーカルなどで、ある種の危機感や崩壊感を表出するサウンドは、およそ親しみやすいともポップとも言いがたいものだったが、彼らがZ.O.A.、ソドム、アサイラム、さらに北村のもうひとつのバンド、キャニス・ルーパスらとともに「トランス・ギャル」なる少女たちを呼び寄せるほどの人気を得てしまったのは、やはり80年代という時代ゆえだろうか。
    YBO2は90年に活動停止、北村はディフェランスという新バンドを率いていたが、00年になってYBO2を再結成し、ディフェランスと並行する形で活動を続けている。
    また<トランス>、さらにはその後身の<SSE>というインディ・レーベルを主宰し、Z.O.A.やアサイラム、イル・ボーン、さらにはボアダムズ、電気グルーヴ、さかな、ヤマジカズヒデといった異能を次々と発掘した北村の功績は、もしかしたらYBO2やキャニス・ルーパスで成し遂げた音楽的達成より高く評価されるべきかもしれない。 (小野島 大)