Seo Taiji

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    Seo Taijiソテジ

    韓国ポップ・ミュージック史上最大のカリスマ。
    歌謡曲が主流だった韓国の音楽シーンが一気に変わったのは93年、ダンス・ミュージック・ユニット、ソ・テジ・ワ・アイドゥルのデビュー曲「ナン・アラヨ(ぼくは知っている)」のヒットだった。
    3人の男の子がダブダブのズボンにベースボールキャップで激しく踊り、繰り出されるラップは瞬く間に若者の心をつかんだ。その人気はすさまじく、「大統領にはだれがいいか?」というアンケートではダントツでテジが選ばれたという逸話さえある。
    アルバム『第3集』では、民族の統一を祈念した曲「渤海を夢見て」や教育制度を皮肉った曲「教室イデア」など政治的なテーマを取り上げ、従来のダンス路線から一転しハードロックを主体とした内容となった。これが従来の路線を期待したファンを裏切った形となり、95年に解散。テジは米国へ雲隠れしてしまう。
    ——その後00年、ソロで韓国音楽シーンに本格復帰。『ウルトラメニヤ』はミクスチャー・ロックの時流にも乗り、大ヒットを記録した。
    テジはもともと伝説的大韓ロック・バンド、シナウィのベーシストだった。彼がハードロックに回帰したのはむしろ自然の流れで、ブランクを経た復活でようやく真の彼が理解されたと言える。また、彼はデビュー時から「韓国語の音楽」にこだわっている。安易に英語を多用するミュージシャンとは明らかに一線を画する、骨のあるアーティストである。