S.O.B

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    S.O.Bエス・オー・ビー

    85年、トッツァンを中心に関西で結成され、まもなくコンピレーション盤『Last Punk Osaka』に参加。86年に、トッツァン(vo)、トシミ(g)、ナオト(b)、ヤスエ(dr)という4人にメンバーが固まり、快進撃が始まる。まず86年末に、1st 7"EP「Leave Me Alone」をリリース。S.O.D.の「Milk」よりも速く!というのも頭にあったというが、当時欧米でもほとんど使われなかったブラスト・ビートで全編押す驚異のサウンド。リリース元の<SELFISH>による"世界最速"という当時の宣伝文句は、あながち大げさではなく、そのスタイルのレコードを出したのは少なくてもNapalm Deathより早かった。
    87年に12"EP(ミニ・アルバム)『Don't Be Swindle』を発表。89年には、Napalm Deathとヨーロッパ・ツアー。それに合わせ、自主レーベルの<SOUND OF BURIAL>から2バンドのスプリット・ソノシートも出した。なお当時、日本のハードコア/パンク・バンドが海外をツアーするのは珍しかった。同じころ、リー・ドリアン(当時Napalm Death、現Cathedral)主宰の<RISE ABOVE>から、7"EPもリリース。90年にはベースがダイスケに変わり、『What's The Truth?』を発表。デス・メタル色をブレンドしつつあった。また、91年にもヨーロッパ・ツアーを敢行する。
    そして、<TOY'S FACTORY>と契約。当時も今も内外問わず、こういうサウンドでメジャーからのリリースというのは、ほとんど例がない。まず93年に『Gate Of Doom』をリリースし、翌年、今までの総括的でありつつポップ面もある『Vicious World』を発表した。しかし95年5月、トッツァンが自殺。残されたメンバーはS.O.B.続行を決意。翌年、ナオトがヴォーカルとして復帰して活動を再開する。そして、実験的な音作りも施した『Dub Grind』を99年にリリース。しかし、00年3月にナオトが脱退。常に先駆者だったS.O.B.の復活が望まれる。 (行川和彦)

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