Ronnie Lane

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    Ronnie Laneロニー・レイン

    スモール・フェイセスではスティーヴ・マリオットの、フェイセスではロッド・スチュワートの陰に隠れて、いつも二番手のポジションにいたロニー・レインだが、こと音楽面となると非常に重要な部分をつかさどっていたことは間違いない。リアル・モッドであるから黒人音楽の影響はもちろんだが、米国のルーツ・ミュージックへの憧憬を露にするソングライティングは、両グループのサウンドに深みと滋味を与えていた。
    73年にフェイセスを脱退したロニーは、それまでのローラーコースター・ライフから距離を置き、曲芸師やダンサーなども参加したサーカス・レビューのような"パッシング・ショウ"を引き連れ英国各地のパブを廻る。そんな経験を踏まえ、自己のバンドであるスリム・チャンスと共に録音したのが1st『Anymore for Anymore』(74年)。カントリー/ブルース/トラッド/R&Bなどへの愛情に満ち、彼の人柄を彷彿とさせるハートウォームな傑作である。2nd『Ronnie Lane's Slim Chance』(75年)、3rd『One for the Road』(76年)でも同傾向のノスタルジックな香りのする田舎サウンドを奏でてみせた。
    その後、ピート・タウンジェントやロン・ウッドなどの旧友たちとアルバムを制作したり、完全なるソロ名義の『See Me』(79年)を発表したりするが、この頃から多発性脳脊髄硬化症という難病に冒されて音楽活動がままならなくなる。しかし80年代には彼のために大規模なベネフィット・コンサートも開かれ、ロニー自身も病をおして各地でライヴを行う。そして90年には、いまだ伝説として語り継がれる車椅子に座ったままの来日公演を敢行し、日本のファンを大いに喜ばせた。が、病魔は徐々に彼の体を蝕んでいき97年に他界。
    死後、彼の人徳を偲ぶかのように、未発表曲集やライヴ盤など、おびただしい数の音源が発掘されている。

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