John Lydon

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    John Lydonジョン・ライドン

    97年のソロ・アルバム『サイコパス』からすでに4年の歳月がたとうというのに、ジョン・ライドンが音楽活動を再開するような気配はない。いやそれどころか、彼の復帰を期待する空気さえ、希薄だ。かつての衝撃があまりにも大きかったからこそ、現在の落魄との対比は残酷だ。
    ライドンがセックス・ピストルズの一員として起こしたセンセーションはここで触れるまでもない。78年初頭「ロックは死んだ」と言い残して脱退したこの男の真の非凡は、しかし、そのあとだった。
    すでにポスト・パンクへと動き始めていた英シーンを決定的に加速したのが、ピストルズ解散後にライドンが結成したパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)だった。すべてのロック的規範を解体、あらゆるロック・ビートの擬制から解放されることがパンク/ニュー・ウェイヴ運動の最大の目的だったとすれば、それをもっともラディカルに、もっとも容赦なく押し進めたひとつがPILだったのである。ピストルズ末期からレゲエ/ダブ、あるいはカン、ノイ!といったジャーマン・ロックに傾倒していたライドンは、それらの要素を自らの音楽に大胆に取り込み、再構築することで、ポスト・パンクどころか「反ロック」と呼ぶに相応しい斬新な世界を作り上げた。ジャー・ウォブル、キース・レヴィンといった異能と組んで送り出した初期3作、とくに3作目の『フラワーズ・オブ・ロマンス』(81年)は、その後20年のロックが一向に超えることのできない里程標である。
    だがその後のライドンの歩みは、やはり痛切な思いがする。ウォブル、レヴィンといったパートナーを失ったライドンは場当たり的にさまざまなメンバーと組み、散漫な作品を垂れ流すようになる。ときおり往時の輝きを見せるものの衰弱が隠しきれなくなったライドンは96年、ついにピストルズを再結成。壮大な茶番劇に終わったこの顛末とは別に、ライドンは密かにソロ・プロジェクトを並行して進めていた。その背景にはテクノ/ハウスの勃興がある。
    安いサンプラーやシーケンサーさえあれば、アイディアひとつでいくらでも面白い音楽が作れるテクノ/ハウス以降の流れは、ライドンにとって願ってもなかったはずだ。彼の音楽の成否は、天才的な閃きに満ちた彼のアイディアをいかに具現化するパートナーを見つける、ということである。電子楽器を会得することで、パートナーがいなくてもそのアイディアを自らの手でダイレクトに焼き付けることができるようになったライドンが、満を持して発表したのが前記の『サイコパス』だったわけだ。だが皮肉にも、そのときすでに彼の中には何一つとして表現すべきものが残っていなかったのである。
    そして今もロックはしぶとく生き残っている。現在ライドンはL.A.の豪邸で金持ちの奥さんと左うちわの生活を送っているはずだ。 (小野島 大)

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