飯田久彦

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    飯田久彦イイダヒサヒコ

    自称"歌い手くずれ"。坂本九の薦めで歌手としてデビュー、瞬く間にスター街道を昇りつめトップスターの座を射止めるものの、70年代に裏方であるディレクターへの転身を図る。松崎しげるの「愛のメモリー」をきっかけに、ピンクレディー/桜田淳子/小泉今日子など、アイドルの大ヒットに貢献。90年代には、プロデューサーとしてSMAPや河村隆一を担当し、現在テイチクの代表取締役社長……と、世にも稀な経歴を誇る人物だ。
    歌手としては、61年に米国歌手ディオンの名曲「悲しき街角」で世に出る。この曲は、英詞を日本語訳した洋楽ポップス・カヴァーの先駆となるのと同時に、大ヒットも記録。続く、「ルイジアナ・ママ」(これもカヴァー)も連続して大ヒット。その親しみやすい容貌から、"チャコ"の愛称で親しまれ、コンサートの行われた日劇では、ファンが会場を二重に取り囲んだという逸話もあるくらいの人気者であった。しかし70年代には、時代の流れと共に歌謡曲へシフトしていき、その人気も下降線を辿る。そこで、裏方へと転向するのである。
    多くの歌手が、一度でもスターの座から転げ落ちると二度とそこには昇れないのだが、飯田は、裏方としても再度成功を収めた。後にも先にも例がない存在だろう。

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