第一回 おれは田舎のBボーイ
寒暖の差があるこの時期、ちょっとした腰痛が断続してくる。むかし取ったきねづかでもなければ、なんとかの勲章でもない。たんなる老いの証だ。それがいまや学校教育の科目、ユース五輪の種目(2018年)では錦の御旗になるなんて。あの時代、窃笑していたのはどっちだというのさ。上州空っ風の吹く田舎でBボーイをやるということは、つまりそういうことだった。
ストリートネームなんて気のきいたものはなかったが、ホームとなるストリートはあった。自宅から徒歩で三分、交差点角にあった古びた公民館の一階、吹き抜けの駐車場が練習場にしてホームだった。だれの許しも得ていない、ようするに不法占拠。スピーカーがひとつだけのしょぼいラジカセと、ひろげれば四畳ほどになるリノリウムを担いで現場まで歩く。そのわずか数分のあいだにおれたちはBボーイであるという自覚を植えつける。そうでもしなければ、こんなへき地でBボーイになりきるなんてできなかった。
いま“おれたち”と、複数形で呼んだよ。そのとおり、体裁だけはいっぱしのクルーだ。山間に立つ学び舎で中坊をやっていた五分刈り頭が、ふとしたきっかけでブレイクダンスの仲間になったなんて、いまからおもえば奇跡。Bボーイ版スタンドバイミー、といったらかっこつけすぎか。
最初に観た映像
「昨晩の12チャン(テレ東)観た?」――休み時間に階段の踊り場でたまたま居合わせたクラスメートにこうたずねる。ニューヨークの情報番組で一瞬流れた、アスファルトの上をスケートのようにスイスイと身体を移動させていた黒人のキッズに目が点となる。その感動を共有できた者を友に誕生したのが、おれたちのクルーだった。
そのブラウン管に登場していたのが、Bボーイの最高峰ロック・ステディ・クルーとの伝説のバトルが語り草になっているダイナミック・ロッカーズ(以下、参考動画)。シューレース二本をつなげて、ジョッパーズみたくズボンの裾をぐるぐる巻きにしていた彼らの格好もまねしてみたり。