能瀬慶子

2217 views

    能瀬慶子ノセケイコ

    現在では考えられないことだが、70年代のアイドルとは、触れてはならない神聖な存在だった。シモネタは一切なし、プライヴェートなエピソードもキレイ事が並べられ、歌が下手でも誰も指摘しない、なかにはトイレにも行かないんじゃないかと思っているファンも居たほどだ。
    能瀬慶子は、そんな時代の真っ只中に生きたアイドルである。78年、伝統ある<ホリプロ・スカウト・キャラバン>の第3代グランプリに輝き、すぐさまアイドル歌手としてデビュー、TVドラマの主役にも抜擢、と順風満帆なスタートを切ったかに見えた。しかし、ハマショーこと浜田省吾(当時は無名)が作曲したデビュー・シングル「アテンション・プリーズ」では、気の毒になるほどレベルの低い歌唱力が露呈。ヴィブラートをかけているんだか震えているんだかわからない声で「ア〜テンション・プ〜リ〜ズ♪」と絶唱したのであった。また、主演ドラマでも学芸会並の演技を披露してしまい、徐々にブラウン管からその姿を見かけなくなってしまう。結局、顔がカワイイだけでは、過酷なサヴァイヴァル・レースに生き残れなかったのである。
    その後、彼女の座は堀ちえみに取って代わられ、能瀬慶子という存在は、広い芸能海の藻屑となって消えていった。合掌。