フランク永井

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    フランク永井フランクナガイ

    米軍キャンプの皿洗い、トレーラーの運転手などを経て、クラブ歌手として活動を開始。55年に「恋人よわれに帰れ」でデビューする。初期こそジャズを歌っていたが作曲家・吉田正の薦めで歌謡曲に転じ、昭和三十年代の東京での典型的なデートコースを歌った「有楽町で逢いましょう」(57年)の爆発的ヒットでトップ・スターの座を獲得。"魅惑の低音"と呼ばれたバス・ヴォイスと、都会的でモダンなフィーリングで大衆を魅了した。そして「羽田発7時50分」「西銀座駅前」「夜霧に消えたチャコ」(共に58年)、自らがスカウトした松尾和子とのデュエット「東京ナイトクラブ」(59年)と連続してヒットを放ち、昭和歌謡史に決して消えることのない足跡を残した。
    しかし85年に、突如の自殺未遂事件を起こす。一命は取り留めたが、その後遺症で療養に専念。リハビリを続ける中、08年夏頃に風邪で体調を崩し入院、10月27日肺炎のため帰らぬ人となった。76歳だった。

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