コンチネンタル・キッズ

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    80年代の関西のパンク・シーンのみならず、日本のパンク・シーンの中でも強烈な個性をまきちらしまくっていたコンチネンタル・キッズ(以下コンチ)。81年に京都で結成され、オリジナル・メンバーは、元SSのシノヤン(g)とタカミ(dr)、ベースの経験のなかったランコ(b)、そしてツキイズミ(vo)。
    最初のレコードは、84年に出した7"シングル「ちくしょう/Johnny Gun」だ。リリース・レーベルはコンチによる<BEAT CRAZY>。もともとはライヴの企画団体であり、80年代の京都〜関西のシーンの活性化に一役買った。時代的にはハードコア・パンクの波が押し寄せていたが、当時の音楽性はミッド・テンポのパンク・ロックで、70年代のロック全般も吸収していた。それから85年、86年と続けて7"シングルをリリース。ブルースやバラードも入っていたりしたが、要は、やりたいことをやったらこうなった、というナチュラルなノリなのだ。んで、なぜコンチがパンク・バンドと言われたかというと、まさにアティテュードがパンクだからである。
    ヴォーカルが三代目のアキラになってから、ハードコア・パンク的な速い曲が増えた。そして88年、1stの『Outlaw Is A Nice Guy』と2ndの『Nowhere Gypsy's』を出し、さらに3rdの『Democracy Freakout』も立て続けにリリース。90年には<ALCHEMY>からセルフ・カヴァー・アルバム『Grand Punk Railroad』を発表する。過剰なまでのエネルギーはとどまるところを知らなかったが、同年に活動停止してしまう。
    既成のパンク・ファッションに収まらないブッ飛んだヴィジュアルもチャーム・ポイントだった。またコンチ以外の活動として、ランコはスペルマでヴォーカルをとり、シノヤンは全力オナニーズでドラムを叩いている。 (行川和彦)

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