オート・モッド

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    オート・モッドオート・モッド

    ある意味で、いわゆるバンド・ブーム以降のメジャー・ロックにもっとも大きな影響を与えたのがオート・モッドである。これは決して大げさな言い方ではない。オート・モッドにはかつて、布袋寅康、高橋マコト(いずれも元BOOWY)、渡辺貢(後にパーソンズ)、朝本浩文(後にUAなどのプロデューサー)といった、バンド・ブーム以降の日本のロックを支え続ける才能たちが在籍していた。そしてポジティヴ・パンク/ゴスに通じるデカダンスなイメージ、耽美的なメイクや衣装、演劇的かつ様式美的なステージなどは、もちろん後のヴィジュアル系バンドたちにそのまま受け継がれている。
    しかし、にもかかわらず、オート・モッドは一度たりともメジャー・シーンでもてはやされたことはないし、レコードがベスト・セラーになったこともない。なぜならオート・モッドのリーダーであるジュネは反権力・反国家を標榜するアナーキストであり、音楽資本やショウ・ビジネスの芥からも無縁な、本質的な意味でのアンダーグラウンド・アーティストだからだ。布袋寅康のようなアーティストがサポートしてポップなサウンドを作り上げても、彼らの音楽はどこまでも異端であり、彼らのフォロワーたちがメインストリームの商業的成功を収めても、彼ら自身はあくまでもオルタナティヴであり続けている。
    オート・モッドは80年6月に結成され、バンドの解散を前提としたシリーズ・ギグ「時の葬列・終末の予感」はインディーズ史上画期的なイヴェントとしてオート・モッドの名を伝説的なものとした。85年11月に5枚のアルバムを残して解散、リーダーのジュネはさまざまなバンドを作っては壊し、95年に「オート・モッド1999」、そして96年になってついにオート・モッドを再結成。01年にはオート・モッドとしては16年ぶりにあたるアルバム『Death of the 20th Century』を発表。マリリン・マンソンなどにも通じるヘヴィ・ゴシック・ロックを展開、その危険なまでの存在感にいささかの揺るぎもないことを改めて示した。 (小野島 大)