『Never For Ever』/Kate Bush

『Never For Ever』/Kate Bush

ケイト・ブッシュの革新性が示された
傑作『魔物語』の色褪せない魅力

3作目にして前衛性とポップを
絶妙の構成力で両立させた傑作を発表

 ようやく『Never For Ever (邦題:魔物語)』('80)に辿り着いた。CD時代となっては関係ない話だが、アナログ時代、前2作のアルバムはシングルスリーブだったが、本作ではダブルジャケットとなり、豪華な作りになった。英国の有名な絵本画家、ニック・プライスの手なるイラストレーションがフロントカバー、中面に描かれている。鳥や魚、蝙蝠や怪物、白鳥、猫や蝶などさまざまな生物と一緒に描き込まれているケイト・ブッシュはもはや魔女のようだ。イラストの図案から察するに、描かれている生物や怪物は、ケイトの子宮から飛び出してきているというようなシチュエーションとなっており、何ともすごい。裏面はズバリ、コウモリに変身したケイトが宙を飛んでいる。アルバム中を探しても、もはや英国美女らしきものを感じさせる写真など皆無。ライナーノーツもなく、歌詞だけが訳されていた。日本盤に付けられた帯には「20ヶ月の時間が彼女に与えたものは…?」「英国最優秀女性ヴォーカリストに輝くケイト・ブッシュが自ら初のプロデュースで描くシュールリアリスティックな音と幻想の世界。今、その扉は開かれる!」と仰々しくある。最初の20カ月というのは、本作が前作から約2年のインターバルを置いて制作されたことを意味している。もっとも、その間を新譜の制作に費やしていたのかと言えばそうではなく、この間には自身初となる大規模な英・ヨーロッパツアーがあったり、ピーター・ゲイブリエルの要請でアルバム『ピーター・ゲイブリエル III』('80)のセッションに参加し、「Game Without Frontiers」でゲイブリエルとデュエットするなどの仕事もこなしていた。この曲は大ヒットを記録している。ゲイブリエルとはこの後、彼の大ヒット作『So』('86)にもケイトは招かれ、シングル「Don't Give Up」で再びデュエットし、これも世界的な大ヒットになっている。
 内容も過去の作品から大きく変化している。ここには女性シンガーソングライターというよりは“アーティスト”とシンプルに呼んだほうが良さそうなケイト・ブッシュがいる。本人が後に語ったのでは、過去におけるレコード会社主体のアルバム制作や自らをシンガーソングライターとして置かれているスタンスには不満だったという。彼女はデビュー時からあくまで自分をアーティスティックな表現を試みる者としてアピールしたかったようだ。さすがに最初からセルフプロデュースをするには経験値もなく、そのあたりは恩師ギルモアの手に委ねるのもやむなしとしていたようだが、多少の経験も積み、レコード会社に対しても充分な成績を示したとなれば、そろそろ自分流を貫き通したくなる。レコード会社側もケイトがこれほど主張の強いアーティストであるとは、思っても見なかったのかもしれない。最初はギルモアがやたら推薦するから、まぁ彼を信用してやらせてみるか、というぐらいだったのだろう。ところが、思いもよらずケイトは大物だったというか、言い方は悪いが、彼女は化け物だったのである。
 やれるものならやってみろと静観するつもりで、それでもさすがにレコード会社はクリス・レアとの仕事で実績のあるプロデューサー、ジョン・ケリーとの共同というかたちでケイト自身の制作指揮を承諾したのだが、英EMIのお膝元とも言うべきエアー、アビーロード・スタジオを使ってレコーディングされた本作の出来映えには、これまた会社もリスナーも、ミュージシャンを含む多くの音楽関係者もぶったまげるほどのものだった。アルバムは1980年9月8日に発売されると、チャートを駆け上り英チャートでついに1位を獲得してしまった。これは英国女性アーティストとしては初となる快挙だったそうだ。日本でもオリコンチャート40位を記録している。これは洋楽アルバムとしては大ヒットと言っても差し支えないのではないだろうか。ミュージシャンは前2作から継続して参加しているものも多いが、ジェフ・ベックとの仕事で知られるキーボードのマックス・ミドルトンの参加や「Violin」という曲ではアイリッシュ・トラッド系のフィドラー、ケヴィン・バーク、「Breathing」という曲ではバッキング・ヴォーカルで英国の燻し銀のシンガー、ロイ・ハーパーの参加が目をひく。
 全11曲で約38分ほど。CDや音源配信の時代においては1パッケージでこれだけというのは短いと感じられるかもしれないが、中身のあまりの深さにそれを意識させない。全曲、アレンジの全てをケイト自身が手がけているのだが、粒ぞろいの楽曲が並び、いずれの曲にも崇高な世界観が描かれており、演奏だけでなく、ヴォーカル表現もこれまでになく複雑になり、可憐に歌っていたデビュー時のケイト・ブッシュはどこにもいない。今回、原稿を書くために棚から引っ張り出したのは90年代のはじめに最初にCD化されたバージョンのものだったが、内容はいささかも古びてはおらず、イヤホンで集中して聴いていると、これが先鋭的なアーティストによる2015年のリリース作だと言われても納得しそうな斬新さで、改めて驚かされた。これを機会に最新のリマスター盤、あるいはケイト側にハイレゾ音源でのリイシュー計画があるのならそれを買い求めようかと思ってしまうほど感動してしまった。
 本作を彼女の全ディスコグラフィから選んだのには、本作が彼女の音楽キャリアのある意味で現時点における頂点と考えるからだ。この2年後にリリースされる通算4作目となる『The Dreaming』('82)も本作に負けず劣らず傑作だと思うのだが、そこで示されているのは全身全霊をかたむけ、自分の持ちうる創造のアイデアを絞り出すような壮絶な世界であり、ケイトのヴォーカルも女性シンガーの、というよりは精神が破綻する寸前まで追い込んだアーティストのうめき声、悲痛な叫び、咆哮のようだ。暗いところでひとりで聴いていると怖ささえ感じないでもない。そういう意味で、彼女のクリエイティ部な面とシンガーとしての魅力がバランスよく両立している『Never For Ever(邦題:魔物語)』を選んだわけだ。
 そうは言っても、『The Dreaming』もぜひ聴いていただきたいアルバムだ。この作品では完全にケイトの独裁体制というか、単独プロデュースが実現されている。その結果、レコード会社との衝突も勃発することとなる。1981年の春から幾つものスタジオを使い分けながら行なわれたレコーディングは、一度は完成を見たもののケイト自身が満足できずに破棄、2度にわたって仕切り直されるなど、費用、時間ともにかさみ、レコード会社と対立を生む原因となった。また、この頃からケイトはデジタルサンプリングマシーン、フェアライトを大々的に導入するようになり、この最新鋭のマシンを駆使しながら、壮絶な72トラック録音が行なわれている。82年9月にリリースされたアルバムを聴けば、ケイトがおそらく精神が破綻する寸前まで自らを追い込んで制作されたであろう、狂気と見まごうばかりの凄まじい創作意欲を知るだろう。レコーディングに参加しているデイブ・ギルモアのピンク・フロイドを遙かに上回るプログレ度である。彼の他、ケイトと支え続けてきたお馴染みのメンバーに、ドーナル・ラニーやをはじめとしたアイリッシュ勢、元ペンタングルの名ベーシスト、ダニー・トンプソン、バグルズのジェフ・ダウンズらが参加しているのも話題になった。音の緻密さは群を抜いており、内容は実に前衛的かつ過激なもので、このアルバムで始めてケイト・ブッシュの音楽に接してしまった人は思わずたじろいでしまうかもしれない。
 『The Dreaming』はそれでも全英チャート3位に入ったのだから、リスナー側がいかに彼女の新作に期待を寄せるようになっていたかを物語っているとも思う。そして、いかに難解な内容になっていようが、アルバムの根底に流れているクリエイティビティーの素晴らしさを伝えてくるのだ。
 だが、さすがに内容が重すぎたとケイト自身も思ったのだろうか。またまた3年のインターバルを置いて発表された次作『Hounds of Love(邦題:愛のかたち)』はラヴソングが多く歌われ、ケイト自身のヴォーカルもエキセントリックなスタイルから一転、穏やかにメロディーラインを追うものになっていた。ジャケット写真にもケイトの美しいポートレイトが使われている。アナログ盤が棚に残っているところを見れば、このアルバムまでがヴィニールで、次作の『The Sensual World』('89)から完全にCD時代に切り替わっている。『Hounds of Love(邦題:愛のかたち)』『The Sensual World』、そしてさらに3年後に出る『The Red Shoes』('93)あたりから顕著になってきたのが、いわゆる当時の言い方での“ワールドミュージック”への接近だろうか。すでに『The Dreaming』から前述したようにアイリッシュの重鎮たちがレコーディングに参加しているのだが、そうしたアイリッシュ音楽へのよりいっそうの接近、さらにブルガリアン・ヴォイスの女声合唱グループ、トリオ・ブルガルカを大々的にレコーディングに起用するなど、伝統的なものと彼女なりの実験的な音楽を融合し、それをポップフィールドに提示するかたちでアルバムは制作されていく。引退前というか、『The Red Shoes』には彼女には意外というか、その頃とてつもなくスーパースターになっていたプリンスが参加しているほか、エリック・クラプトンやジェフ・ベックまでが顔を揃えている。豪華絢爛なスタープレイヤーを迎え、ともすれば話題性先行の凡庸なアルバムに陥りそうなものだが、そうならないところがケイトらしいところで、セルフプロデュースの姿勢は崩さず、独特のヴォーカルを通して唯一無比な存在感を示している。
 この後、ケイトは一切の音楽活動を停止してしまう。精神を病んで、それこそピンク・フロイドのシド・バレットじゃないが、家から一歩も出ない生活をしているのだとか、いかにもそれらしい噂もあったが、実際には『The Red Shoes』のレコーディングにも参加していたダニー・マッキントッシュとの間に一児をもうけ、家事と育児にあてる時間を優先したということだった。
 思えば彼女不在の90年代、そして2000年に入ってからの音楽界は目まぐるしいものだった。彼女の後継と言ってしまっていいのかどうか分からないが、ケイトが付けた道筋を辿るように、ヨーロッパ圏からはビョークのようなユニークなアーティストが現れるなど、世界中で才能溢れる女性アーティストがデビューした。前衛的な音楽が受け入れられる一方で、ミュージシャンやリスナーの間からルーツミュージックへの眼差しも熱くなった。そして、音楽制作の環境もデジタルレコーディング、宅録というものが当たり前のようになった。さらにインターネットを介して音楽流通が行なわれるようになった。…と挙げ始めればきりがないけれど、その間、ケイト・ブッシュという存在が忘れられることはない代わり、まったくの噂さえ耳にしなかった。それはやはり、寂しいものだったと言わざるを得ない。60年代、70年代、そして80年代と主に米英の音楽を聴いてきたものには、90年代以降の新しいアーティストたちが届けてくる音楽には時として“やり尽くした”感を覚えないではいられないことがある。あぁ、それはすでに誰かがやっていたよ、とてもいいけど最新のものじゃないね、過去の焼き直しか…と。過剰なクラシックロック賛美ほど鬱陶しいものもないし、方法論ばかり追うことは少しも音楽の本質を理解したことにならないが、こういう時代にケイト・ブッシュならどんな作品を作っただろうと、思うことは一度や二度ではなかった。

OKMusic編集部

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