春野×佐藤千亜妃 対談が実現、春野
のアーティスト人生に影響を与えた佐
藤千亜妃の表現の変化とは?

ネット発のシンガーソングライター/プロデューサーとして若い世代を中心に支持を集める春野。彼の近作で代表曲とも言える「Venus Flytrapfeat. 佐藤千亜妃」にちなんで、春野と佐藤の対談をセット。二人のシンガーソングライターとしてのスタンスや、歌詞の書き方などを深掘りする予定が、(もちろんその要素も含みながらも)序盤から春野が聞き手となって佐藤の表現者としての変化を深掘りする方向へ。そこには単なるリスペクトやシンガー、作詞家としてセンスが共振する以上の春野個人にとっての経緯があった。誠実に音楽と向き合う二人の対話をじっくり読み込んでほしい。
――春野さんがこの楽曲のタイミングで佐藤さんを迎えようとされた理由からお伺いしていいですか?
春野:僕の過去の話なんですけど、元々ボーカロイドでオリジナル楽曲を作って活動していたんです。で、そもそも男声が好きじゃなかったんですよ。自分が女声でありたかったっていうのに都合のいい存在だったんですよね、初音ミクが。そこから紆余曲折ありましてシンガーソングライターをやってますけど、根底に女声への憧れみたいなところがありまして。そこを経て、自分のメインの活動の中でボーカリストを迎えたいってなったとき、今のところ女声を迎えてて。言ってしまえば拗らせていたので、結構、声フェチだったんですよね。初音ミクって自分で声を調整するんですけど、自分の好みの声、ベース感だったりエッジの鋭さだったりブライトネスだったり、いろんな項目があって、自分の好きな声に持っていく作業があるっていうのを経ていたので、楽曲を聴く中で声に対してかなり重要なファクターだと思っていて。その中で無意識だったんですけど、きのこ帝国の当時から有名な「クロノスタシス」だけ知っていて。で、第一に“声がいい人”っていうイメージだったんですね。それからいろいろあって千亜妃さんもソロで活動されていらっしゃるじゃないですか。ソロのEPは“きのこ帝国のあの人”っていうつながりとは全く別のところで聴いたので、最初は一緒の人だと思わなくて。
佐藤:うんうん。
春野:基本、CDショップで買ったりレンタルして聴いていたので、ジャケットしか知らないとか、そういうアーティストがたくさんいて。その中で千亜妃さんのソロは“声のいい人だな、この曲もいいな”ぐらいの感じだったんですけど、2020年に仲良くなった友達がきのこ帝国がすごい好きだったんですよ。僕がちょうどスランプの時で、歌詞が書けない、どういう音楽をやっていけばわかんないってなった時があって。その時にきのこ帝国の歌詞を見せられたんです。2013年リリースのアルバム『eureka』収録の「春と修羅」のリリックなんですけど。何も包んでいない歌詞じゃないですか。
佐藤:そうですね(笑)。言いっぱなしで終わるという。何も解決してないっていうか。
春野:現状のため、自分のための歌というか。何よりも今の自分に対して必要な代謝としてとった歌詞っていう印象を僕は受けて。そこを聴かされた上で、2016年の「愛のゆくえ」(アルバム『愛のゆくえ』収録)を、“人間がこういうふうに変わっていくっていうのもありなんだよ”って言って聴かせてくれたんです(笑)。
佐藤:その友達がすごいですね(笑)。
千亜妃さんの心境の変化というか、スタイルの変化みたいなところが前例として、大きくドンっていてくれた。(春野)
春野:僕はちっちゃい頃にいじめに遭っていて、学生生活をあんまり楽しくやってこれなかったので、それに対する反逆心だったり、恋愛に対する反抗心だったり、そういうことを題材にすることがちょっと前までは多くて。憎しみって結構力強いじゃないですか。スランプになった時にその憎しみが尽きちゃって、いつまでも世界一寂しくて報われなきゃいけない人間だと思ってた自分が保てなくなって、っていうところで出会ったんですよ(笑)。
佐藤:ああ。
春野:で、それを聴かされた上できのこ帝国について調べてたら、ボーカルで知ってる名前が出てきて、“あ、佐藤千亜妃さんってソロ出してた……”。
佐藤:そこでつながる? 面白い(笑)。すごい今時というか、オリジナルな出会い方。
春野:で、“こういう人もいる、こういうふうに変わっていくのもあり”って思って、2020年に僕は「Angels」っていう曲を書いたんです。これからの話をしたくなったというか、考えたくなったというか。ちょっと前に向く様子を、僕も誰かに見せたくなって書いた曲なんです。結構、千亜妃さんの心境の変化というか、スタイルの変化みたいなところが一個前例として、大きくドンっていてくれたところがあって。どういうモチベーションで、どういう経験をして作られた詞で、自分で変わっていったって思っているのか、無意識なのか、そういうところを訊いてみたいなと思って。
佐藤:いや、まずめちゃくちゃ嬉しいです。やっぱり変化していく時に周りとの関わり方の変化とか、キャパオーバーになっていったりして。でも何かに出会ってそうやって前に進んで、みたいな変化の中に、自分の音楽とか自分の生き方、生き様が春野くんの生き方に影響しているんだとしたら、これほど嬉しい話はないなと。ミュージシャン人生の冥利に尽きるなって思ったんですけど。
――確かに。
負の感情で表現しているけど、希望を見せるために“死にたくない、生きたいんだ、戦うんだ”というのを表現しているつもりだった。(佐藤)
佐藤:自分が音楽を作っていく途中で、それこそ、きのこ帝国もアマチュア時代からインディーズにかけて、負のパワーみたいなところ、なかなか人生が音楽中心で生きられないことへの憤りとか、自分がそれまでに抱えてきた人にはあんまり言いたくないような、自分が一生向き合っていかないといけないであろう問題みたいなところを昇華する為に、ある種、初期のバンドは活動していて。そこからメジャーデビューして環境が変わっていく中で表現方法が変わっていったっていうのは、リスナーの皆さんも気付いていて。そこに“追いつけないな”って反感を抱いた人も一部いたりもしたので。なので、春野くんみたいな、後追いだとしても出会って、この変化をポジティブに受け止めて自分の生き方に反映させてくれてるっていうのは、自分的に今ものすごく救いになったなあ。あと、なんで当時その前向きな表現にシフトしていけたのか、っていうところを訊いてたと思うんですけど。
――そうですね。
佐藤:やっぱり、インディーズの3枚目の『eureka』というアルバムを出した後に『ロンググッドバイ』っていうミニアルバム的な5曲入りの作品を出したんですけど。そこに至るまでの間にCDを出したことで、いろんな人に聴いてもらったり、ツアーを回ったり、より聴いてくれる人の幅や人数、いろんなものが大きくなっていって。その中で、自分たちとしてはネガティブな感情を隠さずに、カタルシス的な感じで爆発させることで光みたいなものを見せられたらいいのになって思ってたんです。闇があるのって、光が差しているから闇と光のコントラストが生まれると思っていて。自分たちがネガティブなものを表現しているとは思っていなかったんです、当時。負の感情で表現しているけど、自分たちが希望を見せるために、“死にたくない、生きたいんだ、戦うんだ”というのを表現しているつもりだったんです。けど受け取る側は、怒りとか悲しみの曲ばかりをやっているバンド、という認識があるんだっていうのをリリース後に感じて。自分と同じ“生きづらい”と思ってる人を死なせないように、“一緒に歩いて行こうぜ”っていう音楽をやれていると思ってたんだけども、聴いた時に“死にたくなった”“きのこ帝国の音楽を聴くと死にたくなる”とか。ネガティブな意味じゃなく“死にてぇ”っていう、逃避の一部として言ってくれてる褒め言葉なんだと思うんですけど、なんか自分は喜べなくて。
春野:はいはい。そうじゃない。
佐藤:そう。“生きてみたくなったわ”って言って欲しくて音楽をやってたのに、ただただ悲しいものを発散していると捉えられてしまっている現状に、結構ぶち当たったんです。“もしかしたら、もっと希望となり得る言葉や表現方法を模索しないといけないのかもしれないね”っていうのにインディーズの後半あたりで気づいて。そこからどんどん表現が変わっていった感じでした。
僕は千亜妃さんが最初、不幸せで、自分が死にたいって歌を歌ってて、その変遷で幸せになったのかな?と思ったんです。(春野)
春野:メロディとリリックが引っ張る力って大きいじゃないですか。だから僕は、千亜妃さんが全部一人で背負っていたのかなって勝手に思って。ボーカルって一番分かりやすい楽器じゃないですか。で、僕は千亜妃さんが最初、不幸せで、自分が死にたいって歌を歌ってて、その変遷で幸せになったのかな?と思ったんです。幸せになりたいから足を一歩かけたというか、それで今に至るのかなと思って。今の千亜妃さんの歌詞って、昔書かれたリリックより少し客観的というか、若干、視野角が広い感じがして。一周二周している間に深みというか、当事者じゃいられなくなることってあるじゃないですか。
佐藤:なんでそんな全部わかるんだろう(笑)。凄いですね。そうなんですよ。お若いのにすごい。
春野:僕は、できれば自分自身の話しかしたくないというか、物語を書きたくないんです。僕が好きなラッパーが、自分のために自分の思想とか自分の立場、今の境遇、今の気持ちを、ちゃんとリリックに落とし込む人だったんです。26歳で自殺されちゃったマック・ミラーっていうラッパーなんですけど、僕はそうでありたいって思うので。そういう歌詞はすごく共感できるというか。上辺だけの歌詞って、苦労して絞り出している人から見たら、似たような言葉使いでもわかると思うんです。そこが、僕が千亜妃さんを好きなところで。なので今はどういう気持ちで書いてるんだろうなあ?っていうところも訊きたかったし。
佐藤:まさにその、“当事者じゃいられなくなる時があるじゃないですか?”って言ってたのが、まさに言おうとしていたことにハマってきて、パズルがハマるみたいな感じでびっくりしたんですけど。やっぱり、若い頃はなぐり書きというか、汚い言葉になるんですけど……ゲロみたいな(笑)。
春野:今じゃ恥ずかしくて書けない歌詞、ありますよね(笑)。
自分の代謝物のような感情をそのまま丸ごとを書くのが照れくさくなってきたんですよ、特に最近。(佐藤)
佐藤:苦しくて苦しくて、出すしかなくて、書きなぐって、それをメロディとか音楽にしてやってたんですね。それって春野くんもさっき言ってたんですけど、例えば自分が、人がしない経験をしていて苦しいと、自分しか見えてなくて、この世で一番悲しい人間なんじゃないか、ぐらいの――本当はそうは思ってないですけど、感覚としてはそういうのがあった。でも、そこから他人のいろんな悲しみとかに出会うじゃないですか。自分だけじゃなく、関わっていく人の中で、自分の代謝物のような感情をそのまま丸ごとを書くのが照れくさくなってきたんですよ、特に最近。
春野:最近の話ですか?
佐藤:最近です。だからちょっと言い回しを 二周三周して別の言い方に変えたり。今も同じことを思っているとしても、そのまま書くと“すでにもうあるな”とか、“昔この感情で書いてるやん”ってなると、同じ言葉を書けないじゃないですか。だから、今だったらこういう風にアウトプットするな、とか。私、一番嫌いなのが、昔作ったものと同じものを今もう一回作ることと、それを似たような色違いで焼き直すことで。今だったらこう表現するな、今がベストだから、この30何年生きてきた表現の中でこれが今一番おもろいと思う書き方をしたくて。だから、昔のゲロ吐いてたみたいな書き方じゃなくなっているのかもしれない(笑)。濾過したりとか。
春野:結果、澄んでいくものってありますよね。余白を使う、だったり、あえて言葉を凝らない、とか。何回も使ってきたフレーズをあえてそこで入れるとか。少しロマンチックで、一見適当に思える温度感で千亜妃さんの今の歌詞は書かれているなと思って。
佐藤:難しい言葉を使わないようにしたいっていうのが、自分の中で結構あるかもしれないです。
春野:ありますか、やっぱり。
佐藤:普段使いの言葉っていうか、普段着の言葉で書きたいと思ってて。もちろん哲学的な用語とか、いろいろこの世の中で難しいことがいっぱいあると思うんですけど、それを入れる必要性がない音楽でやりたいなというか。
春野:千亜妃さんの曲は結構グルーヴの効いてるというか、サンプルビートやR&Bだったり、そこのあたりの色が濃いと思うんです。で、アメリカのメインチャートとかだと、やっぱりそのグルーヴに乗っかるような形で歌が乗ることが多いじゃないですか。僕はどちらかというとそっちのタイプなので、グルーヴを優先して言葉を選ぶことがかなりあるんですね。なので言ってしまえば、意味として通じない歌詞とか、散文的かなって、自分は評価するんです。でも、あくまでも千亜妃さんは乗っかってるジャンルはR&Bなんだけど、シンガーソングライティング的というか、あくまでもシンガーとしてのポジションは変わらないんだなって。
――言葉に対するスタンスの違いを感じるんですね。
春野:洋楽的なメロディの置き方をした時に、すごいハンデを背負ってしまうというか。両立ができなくて、僕は今のこの「Venus Flytrap」みたいなスタイルになってるんです。散文的で、直接的には理解が難しい主述のない歌詞と、手紙のような歌詞と、って分けていて。僕、どっちにもなりきれないんですよ。シンガー100にもなり切れないので、手紙みたいな詞を書いた時も、やっぱりグルーヴに合わせて言葉を削るしかなくなっちゃったりするんですけど、千亜妃さんの歌詞って、言葉が捨てられてないんですよね。
佐藤:ははは。
春野:“丁寧”って言っちゃうとすごい雑なんですけど。そこが多分“この人はメロディより歌詞なのかな”って思ったりするところで。どういう葛藤で詞とメロディを置きますか?
佐藤:詞先なんですよね。詞に合わせてメロディを作るからっていうのは大きいかも。先にメロがあって歌詞をハメることもあるんですけど。
春野:あんまりないですか?
佐藤:やる毎に慣れていってはいるんですけど、やっぱり初っ端にそういうことをやった20代前半の頃、歌う時に感情を込めづらかったんですよ、なんか。メロディが先にあって言葉を置いたときは“本当に私はこれを思っていたんだろうか”って思っちゃって。メロディに引っ張られて来た詞なんじゃないか?っていうのがあって。やっぱり先に詞があって歌ったときに、自分と繋がりがある感じがしたんですね。だから多分、そういう感情みたいなのが、詞に乗ってメロディにならないと自分が歌うことにあんまり意味を見出せないタイプのミュージシャンなんだと思う。だからシンガーソングライターというか、詩人でありそれを歌にする人間なんだなっていう感じなので。そもそも、ビートメイクが先の人種じゃなかったっていうのは大きいかもしれない。小学校のときから詩を書いていたので、歌うより先に詩を書いたりしていて、徐々に歌うようになってっていう。その、自分が経てきた人生の順番みたいなものが結構あるかもしれないですね。言いたいことが元々あったんですよ、なんか。
――春野さんは、この楽曲のイメージとかこの歌詞を佐藤さんと一緒にやりたいっていう感じだったんですか? 意味が通る曲っていうよりも。
春野:千亜妃さんには、千亜妃さんがやってこなかった曲、歌を歌わせたいっていうか。自分が好きなシンガーが自分の曲を歌ってくれるってなったら、ね?
――やってないことの方がね。
春野:やらせたいですよね(笑)。っていうのは、結構ポジティブというか、したり顔で。
――確かにしたり顔な曲ですよね。
春野:そうですね(笑)。考えてたっていうのはありますね。千亜妃さんに歌ってもらうパートだからこうしたっていうのは特別なくて。単純に、セカンドのバース、プリコーラスでこのメロディを入れたい。で、このメロディにはこの歌詞を入れたいっていう順序で入ってきたリリックを、そのまんま千亜妃さんに置き換えてというか、お願いして歌ってもらったという感じなので。
――いい意味でクソガキ感というか、これを楽しいと思える人に歌ってほしいですね。
佐藤:ははは。
春野:そうですね。なんだろう? 千亜妃さんの書くリリックを僕は見ていたので、ふさわしいかふさわしくないかで言うと、間違いなく後者かなと思っていたんです。そこを僕、ぶっちゃけ嫌々でもやってもらえたらいいなと思ってて。
佐藤:ははは。
僕が最強だと思う佐藤千亜妃ができたらいいなって思っていたので、RECの時に立ち会ったんですけど、若干恥ずかしさはありました。(春野)
――声が欲しいって感じですか?
春野:そうそうそう。究極、自分の音楽を世に出すっていう過程でフィーチャリングにゲストをお迎えするっていう、まあエゴの積み重ねみたいなところなので。その人がどう思うかは、今回は僕が一応プロットという形でメロディもリリックも、千亜妃さんの歌うパートをやらせていただいたんですけど、その人の意思は僕にとっては関係ないので。僕が思うその人を一番よく使える手段というか、僕が最強だと思う佐藤千亜妃ができたらいいなって思ってて。なので、RECの時に立ち会ったんですけど、若干恥ずかしさはありましたね。どう反応されるかは関係ないと言いましたけど、あらかじめそのRECの日の前にデモを渡して聴いて頂いてましたし。
――それは佐藤さんとしては、新しいやりがいのあることだったんですか?
佐藤:そうですね。特に自分的に印象的だったのが、もちろん楽曲だったり歌詞もあるんですけど、最初はもうちょっと伸ばしめで歌ってたのかな? 1回目に歌った後に“修正どうします?”って話してて、リズムミュージックっていうところもあって、“メロディの歌詞を点置きして欲しい”っていうのを言われて。やってみると、すごい気持ちよくはまったんです。そういう発見があって、すごい面白かったですね。自分のワークスだと、やっぱり自分がディレクションするので、そういう鶴の一声的なのは特になく、自分の正解を突き詰めるだけなんですけど。この楽曲はこの楽曲にとっての最適解が春野くんの中にあって、そこに一緒に共犯的な感じで参加できた時は、やりがいを感じた瞬間でした。面白さがすごくありましたね。自分節だけじゃなく、春野くんの描く中に自分も入れたかなっていうのをすごい感じた瞬間でしたね。
――お二人とも限定的なシーンに属してない感じがすごいします。
春野:限定的な?
――いわゆるR&Bシーンとかシンガーソングライターシーンとかじゃない。
佐藤:ずっと浮いてますね(笑)。
春野:(笑)。千亜妃さんはどうなるんでしょうね。サブスクだと関連のアーティストをレコメンドされるじゃないですか? “そうじゃないんだけどな”って思うことはありますよね。ないですか?
佐藤:どうだろう? でも分類したい人は難しがるだろうなといつも思います。これ不思議なんですけど、バンドの時もそうだったから。きのこ帝国も、フェスでいつも浮いてたし、今でこそこうやっていろいろ別の世代の方に聴いていただけているんですけど、結構きのこ帝国みたいなバンドっていうのが当時はあんまりいなかったから。やっぱり四つ打ちハイスピードが……。
春野:多かったですよね。
佐藤:なので、“こいつらなんでこんなにBPMが遅いんだ?”という好奇の目で見られてましたからね(笑)。で、ソロになっても結局どこに属しているかっていうのは、自分でもわからないし。あと、そもそもシーンには興味がないというのが昔は大きかった。
自分で自分というジャンルを完成させようと思っているので。もう結構、バンドも入れると長いことやっているので。(佐藤)
春野:僕、今は結構アジア圏をちゃんとその圏内に入れたいというか。そういうアーティストですごい魅力的なアーティストがたくさんいるので、そこら辺と関わりを持っていきたいなっていうのはすごい強く思いとしてあって。なので後々……僕は根本的には日本人であって、日本語を巧みに扱いたいので、完全にRina Sawayamaのような、100%あちらに属するみたいな展望が見えないんですけど……。大きい名前ばっかりだして申し訳ないんですけど、例えば星野源さんのような、海外のアーティスト、プレイヤー、ディレクターを上手に巻き込みながら、言ってみればスーパー・オーガニズムと一緒にやった、トム・ミッシュと一緒にやったみたいな感じで浮いていけたらいいなというか。このシーンに入って来たばっかりの頃は、やっぱりどこかのシーンに属したかったんです。なんですけど、今一周回ってみて、こう発言しているので、たぶんその思いもなくなって、好きなことをやっていけるというか、それっぽいものは多分もうやらないんじゃないかなっていう(笑)、希望的な、展望はありますね。千亜妃さんは、ここからまたなにかインディーポップみたいなものに行ったりとかあるんですか?
佐藤:自分で自分というジャンルを完成させようと思っているので、結構あれこれやってますけど。そろそろまとめ作業をしないといけないなと思いつつ(笑)。もう結構ね、バンドも入れると長いことやっているので。でもやっぱり、言葉は大事にしつつ、自分しかこの世でこういう考え方はしないであろうという部分はなくさないように残していこうかなと。面白いですもんね、自分が2013年とかに書いた「春と修羅」が春野くんの2020年に刺さるというか、何か転機を与えるというのが。その当時、偽りなく書いていたもので純度が高いから、そういう風に時を経ても誰かに何か変化を及ぼしたりするんだろうなと思うし。
――ほんとにそれが証明されましたね。
佐藤:自分は、歴史に残る曲とか名前を残すとか全然興味ないタイプで、昔から。その時その瞬間、例えばライブとかでわーって聴いている5分間、その人が何度も感情をスパークさせてたらいいなあっていう。結構、刹那的な瞬間が音楽の美点だと思っていて。もちろん今までに音楽をカルチャーとして作り上げてきた人たちへのリスペクトはありつつ、自分はそれになろうとは思ってなくて。今こうやってしゃべっている瞬間とか、音楽で繋がった時にお互いスパークする何かがあったらいいなっていう、それをただ追い求めているだけだから。考えた方が良いんだろうけど、あんまり考えてないかもしれない(笑)。音楽という飼い慣らせない生き物と暮らしている、という感じなんですよ(笑)。歌は本当にずっと片思いで、もう自分は歌の奴隷だと思っているので(笑)。両想いだと思える時があったらいいなっていう感じだから、ずっと試行錯誤だと思う。
――今日、きのこ帝国の楽曲の話で伏線が回収されました。
佐藤:なんかびっくりしました。そんな思いがあったとは。“聴いてました”っていうことしか分かってなかったので。
春野:自分が“良い”って信じてる人たちだけとやりたいですよね、っていうのはやっぱ根本にあるので。そこを「Venus Flytrap」で、いつもはやらないディスコファンクっていうジャンルで、いつもやらないアーティストと一個階段を登れたというか、そんな気がしているのはすごい良かったことですね。
取材・文=石角友香 撮影=haruta

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