「忠義は、人の心の温かさの中に」尾
上松緑、神田松鯉、神田伯山が赤穂浪
士ゆかりの泉岳寺へ~『荒川十太夫』
取材会レポート

2022年10月4日(火)より歌舞伎座で、新作歌舞伎として赤穂義士外伝の内『赤穂義士外伝の内 荒川十太夫』が上演される。本作は、講談師で人間国宝の神田松鯉(しょうり)による口演をもとに創作されたもの。主人公の荒川十太夫を、尾上松緑(しょうろく)が勤める。松緑、松鯉、松鯉の弟子・神田伯山(はくざん)が、赤穂義士にゆかりの深い泉岳寺で、舞台の成功祈願をした。その後、取材会で作品への思いを語った。
■300年、皆が手をあわせてきた場所で
墓前に立った心境を聞くと、「いつも世話になっていますから、おのずと手を合わせてしますし、頭も下がりますね」と松鯉。松緑は、「まず『お久しぶりです』という気持ちに。それから、僕は高師直(吉良上野介)など、義士の仇役をやることもありますので、『ときたま裏切って申し訳ありません』という心境になります(笑)。今回は『勤めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。見守っていてください』と報告させていただきました」とコメントする。
尾上松緑
お墓が並ぶ区画は、昔のまま残されているのだそう。伯山は、「300年以上の歴史の中で、講釈師もお芝居の方も、皆があそこで手をあわせてきた。感慨深いですよね、皆の思いがある場所です。そしてやはり、私も食べさせてくれてありがとうございますって心境になりました」。神妙そうな伯山に、松鯉も松緑も、笑って頷いていた。
■講談師が97年ぶりに歌舞伎座の舞台に
『荒川十太夫』は、『芸術祭十月大歌舞伎』の第一部で上演される。松鯉は、自分の講談が歌舞伎になることは「夢のような話。今までになかったような喜びです。この気持ちを忘れず毎日を過ごしていきたい」と挨拶をした。歌舞伎化のきっかけは、松緑が伯山の講談を聞いたこと。伯山が「橋渡しをしてくれた」と目を細める。
泉岳寺には、外国人観光客も多くみられた。
9月28日には、歌舞伎座で『神田松鯉・神田伯山 歌舞伎座特撰講談会 神田松鯉傘寿を祝って』も開催。松鯉は二代目中村歌門の弟子をしていたことがある。
松鯉「歌門先生は前進座にいたこともあり、『旦那』ではなく『先生』と呼ぶよういわれました。私は三階さん(名題下)で、毎日先生の足袋を洗ったり。(松緑の祖父の)二代目の松緑旦那の大判事と、成駒屋(中村歌右衛門)の定高の両花道は忘れられません(『妹背山婦女庭訓』)。松緑旦那は銀鈴の声。高っ調子になると、声が歌舞伎座の天井まで一円に響き、すごいなあと思ったことを覚えています」
神田松鯉
時を経て、松鯉は講談の世界で人間国宝となり、80歳になる日に再び歌舞伎座の舞台に上がる。
松鯉「感無量といいますか。簡単には言葉にしきれない、色々な思いがあります」
■講談と歌舞伎の橋渡し
伯山は、師匠の傘寿のお祝いの会を歌舞伎座でできる喜びを語り、「日本に限らず、世界中が暗いムードになっている中、ハレの場を作るのが、エンターテインメントの役割。歌舞伎座に講談師があがるのは、97年ぶりだそうです。講談界復興の一里塚になれば」と期待を込める。また、歌舞伎が好きで、歌舞伎座に毎月来ているという伯山。歌舞伎座ギャラリーにある「木挽町ホール」で、講談会を行ったこともある。
境内を歩きながら、赤穂義士の逸話を語る松鯉。松緑と伯山の「へえー!」という声が聞こえてきた。
伯山「先ほど師匠は、僕が橋渡しをしたと言いましたが、『荒川十太夫』が歌舞伎になるのも歌舞伎座で講談会ができるのも、師匠と松緑さんがいたからこそ。僕はただ歌舞伎が好きで、年中歌舞伎座に通っていただけです。でも、それが松竹さんには『早くやれよ』のプレッシャーとも感じられたようで(笑)。プレッシャーを与えることができていたなら、それが僕のした橋渡しでしょうか」
歌舞伎座のキャパシティは、約1800席。昼夜2回の特撰講談会のチケットは即売り切れた。
伯山「弟子の僕が申し上げるのもあれですが、師匠は大劇場でも30人の会場でも、いい意味で印象を変えることなく高座をされます。同じに聞こえるはずもないところで、ナチュラルに、巧みに聞かせてしまうんです」
師匠の芸について、伯山は熱く語っていた。自身の意気込みを問われた途端、少しトーンが変わった。
神田伯山
伯山「鶴瓶師匠と談春師匠でさえ、歌舞伎座の舞台にあがった時は、ふだんの力を発揮できなかったそうです。あの談春師匠が10分の1も出せなかったとおっしゃっているんです。俺……20分の1になるかもしんない……」
急に小声になり一同を笑わせつつ、「ふつうの劇場と違う何かが、歌舞伎座にはあるのでしょうね。ただお客さんとして勝手に親近感を抱いている場所でもありますから、ある意味フラットな気持ちでできたら」と明るい声を聞かせた。
■松鯉から伯山、そして松緑へ
松緑がはじめて『荒川十太夫』を聞いたのは、楽屋で化粧をしていた時だった。伯山(当時、神田松之丞)の講談を流していて、筆を持つ手が止まった。
松緑「あの鬘にあの衣裳、道具はあれで……と目に浮かびました。歌舞伎の約束事の中ですべてを成立させられる。聞き終わるより先に、これは歌舞伎になると思いました。真山青果先生や岡本綺堂先生の新歌舞伎のような、どこか懐かしさのある新作に。観たお客様に、これ、前にもやっていなかったっけ? あの新歌舞伎の続きかな? と思っていただけるような、歌舞伎の枠から出ることのない新作歌舞伎をおみせできれば」
赤穂義士ゆかりの泉岳寺にて。
この『荒川十太夫』を作ったのは初代松鯉(二代目伯山)であろう、と松鯉は言う。
松鯉「何十年も、どなたもやっていませんでした。同工異曲の『小田小右衛門』は、講談界でよく知られていましたから、もったいないと思い、『荒川十太夫』をおこして作りました。それをこの人(伯山)が教えてくれ、と受け継いでくれた」
伯山「決して派手ではありませんが、じみじみとした人の温かさ、人情に触れたと感じていただける話です。師匠は色々な作品をされますが、中でも、惻隠の情を大切にされています。『荒川十太夫』には、三代目神田松鯉の美学が凝縮されています。これを絶やしてはいけないと思いました。それが今度は歌舞伎となり、いっそう多くの方に知っていただける。荒川十太夫が大輪の花を咲かせたような印象です」
■全員の心のうねりで、ひとつの物語を
松緑が勤めるのは、主人公の荒川十太夫。義士の堀部安兵衛を介錯した人物だ。堀部安兵衛に市川猿之助、松平定直に坂東亀蔵、大石主税に長男の尾上左近、泉岳寺和尚に市川猿弥、杉田五左衛門に中村吉之丞という配役。
松緑「講談では、講釈師の先生がおひとりですべての役の台詞を読まれます。歌舞伎はその一人ひとりを、それぞれ役者が演じます。すると、誰かが喋っている間、別の誰かはどんな感情でそこにいるのか。行間の心を埋める作業に取り組んでいるところです。これにより、橋渡し役だった人物も意味をもつようになり、きれいごとではなく全員が主役に。全員の心のうねりで、ひとつの物語を作っていけるのでは、と感じているところです」
歌舞伎座『荒川十太夫』荒川十太夫=尾上松緑 /(c)松竹
脚本は歌舞伎の狂言作者の竹柴潤一、演出はInnocentSphereの西森英行が担当する。創作における苦労を問われると、「今回は自分が前のめりだからなのか、苦労と感じることがあまりありません」と笑顔をみせた。
松緑「『荒川十太夫』は、講談では松鯉先生や伯山先生たちによって、これからも読まれていくでしょう。歌舞伎としても残すには、どう工夫をしたら良いかを考えています。それは僕でなくてもいいんです。後輩で『荒川十太夫』をやりたい、と再演してくれる人が出てきたら、とてもうれしいです」
■長いものには巻かれない、人間の美学
『赤穂義士伝』『仮名手本忠臣蔵』の、令和の時代にも通じる魅力とは。
松鯉「やはり、忠臣。本当に人を思う気持ちなんですよね。恩や欲得ではなく、殿様をヨイショするのでもありません。身分は関係なく、人と人がお互いにハートで繋がっている。『仮名手本忠臣蔵』『赤穂義士伝』が今も受け入れられる理由は、そこにあると思います」
「私もそのように生きたいです」と言葉に力を込める松鯉。
松鯉「惻隠の情という言葉があります。忖度も、本来はいい言葉です。人を思いやり、弱いもの、幼気なものを常に温かい眼差しで包み込む心。長いものには巻かれない。これが男の美学、人間の美学であり、講談の美学です。忠臣蔵にはそれが描かれています」
浅野内匠頭は、理不尽に耐えかねて吉良上野介に斬りかかった。それが皆の運命を変えた。
松鯉「世渡りの上手い人だったら、適当に仕事をしてお茶を濁して、安泰だったと思います。それを出来ない人間の弱さ。でも、それを出来ないことが駄目なのではない。出来ないのがいいんだ、と。だから私は『義士』が好きなんです」
■人の心の温かさの中に、忠義がある
松鯉の言葉に耳を傾け、時には深く頷いていた松緑。「松鯉先生がおっしゃったことが、すべてだと思います」と続く。
松緑「『忠臣蔵』の眼目は、仇討ちではありません。『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』で、綱豊卿が助右衛門を諭す言葉にもあるように、真に大事なことは、四十七士が殿様のために、清廉潔白なまま思慮を巡らすこと。仇討ちに至るまでの義士たち、吉良方や上杉家の人たちにも、葛藤はあったでしょう。若い人たちからは『今どき流行らないよ』と言われそうですが、僕は、そこに男のロマンを感じます。現代では薄まり、ほとんど失われてしまったとも言えるのではないでしょうか」
「ことに『忠義』は、僕の中でかっこいいものなんです」と松緑。
たしかに生活の中で、忠義という言葉に触れる機会はそうそうない。伯山は「大人の責任かな、とも思う」と、この話題に触れる。
伯山「以前は、地上波で時代劇をやっていましたよね。12月14日には10時間くらいかけて『忠臣蔵』をやって。今では、NHK大河ドラマぐらいしかみかけません。時代劇を作るにはお金がかかるし、そのわりに視聴率はとれない。減っていくのも分かるんですが、思えば僕らは、知らず知らずのうちに時代劇から、日本人の根幹にある大事な何かを教わっていた気がするんです。数字がとれないからやらない、ではなく、風物としてテレビで提供していくことも大事なんじゃないでしょうか。それを息長くやっているのが、歌舞伎や人形浄瑠璃、講談。僕らは、それを守る意義深いことをしている、という意識があります」
「堀部安兵衛、34歳。大石主税、16歳。若くして見事に美学を貫いたのは素晴らしいなと感じました」と伯山。
9月の歌舞伎座では、名作『菅原伝授手習鑑 寺子屋』が上演された。壮絶なまでの忠義心が描かれたエピソードを、松緑は松本幸四郎とのWキャストで2役を日替わりで、ひと月演じた。
松緑「『寺子屋』は、昔からあるコテコテの忠義の話。子どもが犠牲になったり、リアルに首がでてきたりもしますから、今の時代、拒否反応を示される方がいらっしゃるのも分かります。その意味で『荒川十太夫』は、人の心の温かさの中に忠義がある、という作品です。共感いただきやすい作品を提供して、段階をふまえていくことで、『寺子屋』のような古典の名作を受け入れてくださる方が増えていけば、と思います」
伯山「若い方や赤穂義士を知らない方も、『荒川十太夫』には感銘を受けてもらえるでしょうね。何より松緑さんは、それを託せる方ですから」
(右から)尾上松緑、神田松鯉、神田伯山
歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』は、2022年10月4日(火)~27日(木)まで。『荒川十太夫』は、第一部(11時開演)に『三代猿之助四十八撰の内 鬼揃紅葉狩』とともに上演される。
取材・文・撮影=塚田史香

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