堂島孝平が
GO GO KING RECORDERSとともに
作り上げた
『サンキューミュージック』は
解放の歓びを感じる大傑作

名うての
音楽プロデューサー集団との邂逅

[当時、尾崎 豊さんを中心にしたメッセージ色強いシンガーソングライターが注目を浴びていたので、僕にも、同じようなものを期待されたんです]([]は広島FM webサイト『食卓ON楽』からの引用)。

当時、彼が所属していたレコード会社と事務所は彼に尾崎的なものを望み、社会派メッセージの入った歌詞をリクエストしてきたという。そうした彼自身の言質が載ったサイトは上記のものだけではなかった。おそらくリアルな話なのだろう。堂島孝平がメジャーデビューしたのは18歳の時。10代のシンガーソングライターだ。その姿を尾崎 豊と重ねたことは短絡的と言わざるを得ないが、理解出来ないわけでもない。『僕は僕なりに~』のリリースは1995年で、尾崎が亡くなったのは1992年4月。そこから3年も経っていたが、「OH MY LITTLE GIRL」がドラマの主題歌に起用され、尾崎豊唯一のシングルチャート1位&ミリオンセールスとなったのが1994年である。巷間で最も尾崎の音楽がヒットしていたのは堂島孝平のデビュー直前なのである。そう考えると、大人たちが“柳の下の泥鰌”を狙ったことも軽々に責められないだろうし、その時の堂島はまだ17歳。彼が大人たちに従うしかなかったとしても、これもまた責められるはずもなかろう。筆者が『僕は僕なりに~』に尾崎の要素を感じたというのは(僭越ながら、想像するに)17、18歳の彼が大人たちからのリクエストをクリアした証しでもあろうし、むしろその若さでミッションを遂行したことを称えるべきではあろう。ただ、『僕は僕なりに~』を以て堂島孝平というアーティストの全てがある…というのはちょっと無理がありそうではある。

それでは堂島孝平を紹介する時にどのアルバムを取り上げたらいいのか。そのヒント(いや、答え?)もまた上記サイトにアーカイブされた記事の中に見つけることができた。

[GO GO KING RECORDERSのメンバーと出会って、彼らの音楽に触れてみると、僕がそれまでカッコ良いと思っていた曲も、全然カッコ良くないんですね。GO GO KINGのメンバーは、もっとカッコ良い、踊れるポップスを作っていたんです。僕は、彼らと一緒に曲を作ることが、自分自身にとって大きな刺激になると確信しました。(中略)彼らと一緒に作った躍動感あふれるようなメロディーは、曲を聴いた人がドキドキするような感じで、まさに、僕が求めていたものでした。僕自身、自分の中で何か新しいエンジンが動き始めたような気がしたんです]([]は広島FM webサイト『食卓ON楽』からの引用)。

GO GO KING RECORDERSとは、東京スカパラダイスオーケストラ、レピッシュ、エルマロのメンバーらが参加した音楽プロデューサー集団(兼バンド)。件のサイトによれば、2000年、彼は同集団のメンバーでもあった、スカパラの大森はじめから“一緒にやらないか”と誘われたという。そして、結成されたのが堂島孝平×GO-GO KING RECORDERS=DJKH×GGKRであり、そのDJKH×GGKR名義で発表されたのがシングル「ルーザー」と、アルバム『サンキューミュージック』である。当の本人が“僕が求めていたもの”というほどなのだがから、これが最良の堂島孝平作品のひとつであることは間違いなかろう。ようやく核心に辿り着いた。早速『サンキューミュージック』を聴く。そして、確信した。本作が堂島作品のベスト・オブ・ザ・ベストであるかどうか、彼の全てのアルバムを聴いたわけではないので分からないけれど、これは名盤である。間違いない。

OKMusic編集部

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