『BOLERO』から感じる
反抗・反逆の姿勢は
Mr.Childrenが
ロックであることに他ならない
残酷さ、冷酷さすら感じられる視点
M10「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」は、シングルとして発表された時から、その社会風刺的な内容が小林よしのり『ゴーマニズム宣言』の影響を受けていると喧伝されていたので、今回改めて聴いた時には大きな驚きはなかったけれど、少なくとも爽やか内容ではないし、4th「CROSS ROAD」(1993年)、5th「innocent world」(1994年)と来て、6th「Tomorrow never knows」(1994年)から一カ月という短いインターバルでありながらも、当時こうした内容のシングルを世に放ったミスチルの心意気に想いを馳せるところではある。
タイトルチューンであるM11「ボレロ」のザラついたサウンドと、ヴォーカルの気怠い感じも気になるところではあるものの、ストリングスが豪華に配されているところで悲壮感のようなものはあまり感じられない。《感情をむき出しにして/朝から晩まで 裸のまんまで 暮らしたい》辺りの歌詞にメンタルのへこみを垣間見られなくもないけれど、個人的にはこれもまたそこまでヘヴィなものを感じなかった。
ただ、アルバムのフィナーレに置かれたM12「Tomorrow never knows (remix)」にはグッと来たし、考えさせられた。“remix”と言っても、それはドラムが生演奏に録り直されているなどサウンド面であって、歌も歌詞もシングルとは変わっていないのだが、こうしてアルバムを通して聴いてくると、耳が行間を読むようになっていると言ったらいいだろうか。単体で聴いていた時よりも、歌詞の意味合いがより大きく感じられるようだ。改めて聴くと、以下のフレーズはなかなか衝撃的だし、残酷を通り越して冷酷さすら感じられる。
《無邪気に人を裏切れる程/何もかもを欲しがっていた/分かり合えた友の愛した女でさえも》《償うことさえできずに今日も傷みを抱き/夢中で駆け抜けるけれども まだ明日は見えず/勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく》(M12「Tomorrow never knows」)。
また、M3やM4、あるいはM10の内容、言葉選びから感じられる思想性、M9で露呈された(筆者が勝手に考える)それまでのパブリックイメージとは真逆とも思えるスタンス。それらを加味すると、以下のフレーズには、単なる決意でもないし、矜持でもない。深み…と言うとあまりにも簡単だが、さまざまな感情の入り混じったものが感じられる。
《今より前に進む為には/争いを避けて通れない/そんな風にして世界は今日も回り続けている》《優しさだけじゃ生きられない/別れを選んだ人もいる/再び僕らは出会うだろう/この長い旅路のどこかで》《癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて》《心のまま僕はゆくのさ 誰も知ることのない明日へ》(M12「Tomorrow never knows」)。
シングル「innocent world」も似たような内容だが、比較すれば、M12はそこからさらに進んだのか、あるいは深まったのか…そういう精神状態であるように思われる。
《僕は僕のままで ゆずれぬ夢を抱えて/どこまでも歩き続けて行くよ いいだろう?/mr.myself》《陽のあたる坂道を昇る その前にまた何処かで 会えるといいな/その時は笑って 虹の彼方へ放つのさ》
(シングル「innocent world」)。
ともにシングルとしては1994年に発表されているものの、M12はその3年後に本作に収められているが、それも納得といった気もする。歌詞的には収まりがいい。事程左様に決してリスナーを突き放しているわけではないのだが、かと言って、間違いなく大衆に阿っているわけでもない。ロックバンドとしての成分が強いのである。300万を超えるリスナーがこのアルバム『BOLERO』で当時何を感じたのかは、今となっては確認する術を知らないけれども、こうした作品を作ったバンドが、今もなお日本のシーンのトップであるということは、まだまだ日本のロックは廃れていないということなのかもしれない。ホント今さらながらに…だが、そう思う。
TEXT:帆苅智之