RCサクセションにギリ間に合ったオレが選ぶ、人生変えた忌野清志郎楽曲5選

RCサクセションにギリ間に合ったオレが選ぶ、人生変えた忌野清志郎楽曲5選

RCサクセションに
ギリ間に合ったオレが選ぶ、
人生変えた忌野清志郎楽曲5選

毎年GWになると、ポカポカとした春の日に青空を見上げてふと思うのは清志郎のこと。2009年5月2日、忌野清志郎がこの世を去って13年。もう一度だけ、よく晴れた日比谷野音なんかで清志郎のライヴが観たいなぁと今も思う。昭和50年生まれのオレは、中1の年に『COVERS』の発売中止騒動でRCサクセションを知って、ザ・タイマーズの登場に大興奮して、高1の年にRCの無期限活動休止を見届けて、その後のソロ活動を追いかけてと、RCにギリ間に合った世代。ここではRCサクセション全盛期を見てきた先輩たちとはちょっと想いの異なる、オレが選ぶ人生変えた忌野清志郎楽曲5選を、個人的な思い出と共に紹介します。
「明日なき世界」収録アルバム『COVERS』/RCサクセション
「デイ・ドリーム・ビリーバー」収録アルバム『THE TIMERS』/ザ・タイマーズ
「スローバラード」収録アルバム『シングル・マン』/RCサクセション
「BOYS」収録アルバム『Memphis』/忌野清志郎
「激しい雨」収録アルバム『夢助』/忌野清志郎

「明日なき世界」('88)
/RCサクセション

「明日なき世界」収録アルバム『COVERS』/RCサクセション

「明日なき世界」収録アルバム『COVERS』/RCサクセション

88年8月リリース、アルバム『COVERS』収録。「素晴しすぎて発売出来ません」と新聞広告が打たれ、一度は発売中止となったこのアルバム。その話に「そんなことがあるんだ!?」とめちゃくちゃ驚いたのが、RCサクセションを意識したきっかけだった。その後、どんなアルバムか聴きたくて、お小遣いで『COVERS』を買って聴いて。清志郎の独特すぎる歌声やメッセージ性の強さにも衝撃を受けたけど、一番驚いたのはどの曲もめちゃくちゃカッコ良かったこと。僕の知らないメロディー、聞いたことのないヒット曲。そこで全部がカバー曲であることを知って、オリジナル曲を調べては、ローリング・ストーンズやボブ・ディランやジョン・レノンをCDレンタル屋さんで借りて聴いて。始めたてのギターで『COVERS』の楽曲たちをカバーをしたのが、今につながるオレのロック原体験になっている。ウクライナの空が燃えてる、今の情勢にも当てはまる「明日なき世界」。「いまの時代に清志郎が生きてたら、なんて歌うだろう?」なんてことをいう人もいるけど、もう34年も前に風化しないメッセージを歌ってんじゃん。あとは、今を生きるオレたちがなんとかしなきゃじゃないの?と思ってしまう。

「デイ・ドリーム・ビリーバー」
('89)/ザ・タイマーズ

「デイ・ドリーム・ビリーバー」収録アルバム『THE TIMERS』/ザ・タイマーズ

「デイ・ドリーム・ビリーバー」収録アルバム『THE TIMERS』/ザ・タイマーズ

89年11月、アルバム『THE TIMERS』リリース。清志郎楽曲と言いながら、カバーが2曲続くのは申し訳ないが、オレ世代に絶対外せないのがザ・タイマーズ。確か雑誌『宝島』かなんかでザ・タイマーズを知って、伝説として語り継がれる89年10月放送の『ヒットスタジオR&N』も生で観て、「めちゃくちゃカッコ良い! これがロックだ!!」と大興奮したのを覚えてる。ロックやパンクに興味が湧いてて、激しいのや過激なことに惹かれていた中2のオレにはど真ん中で突き刺さって。『THE TIMERS』はたぶん生涯で一番聴いたCDくらい聴き倒したアルバムだったし。その後、高校時代はザ・タイマーズのコピーバンドを組んで、土木作業員の格好をしてライヴをやってたくらい大好きだった。ちなみにザ・タイマーズは94年の復活後、何度か生でライヴを観ることも叶っている。RCのライヴは生で観れなかったけど、ザ・タイマーズは生で観れてることが自慢。

「スローバラード」('76)
/RCサクセション

「スローバラード」収録アルバム『シングル・マン』/RCサクセション

「スローバラード」収録アルバム『シングル・マン』/RCサクセション

90年9月、RCサクセションのラストアルバムとなる『Baby a Go Go』リリース後、RCは活動休止となるのだが。オレの中でRCや清志郎への想いが再燃したキッカケが、91年2月にリミックスバージョンがシングルリリースされた、「スローバラード」だった。美しいピアノイントロから《昨日はクルマの中で寝た あの娘と手をつないで》と始まる清志郎の切ない歌声に、こんな体験したことないどころか彼女さえいなかったのに、風景がはっきり浮かんで、ポロポロと涙がこぼれたのを覚えてる。そうだ、思い出した。この曲を最初に聴いたのは「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」だ! オーケンが出演した映画『![ai-ou]』の主題歌が「スローバラード」で、この曲がラジオから流れてきたんだ。実家のCDコンポのラジオからスローバラード。その後、90年11月リリースの2枚のベスト盤や再発された過去作品を集めて、RC楽曲を聴き漁ったオレ。RCや清志郎にさらに夢中になっていくのだった。

「BOYS」('92)/忌野清志郎

「BOYS」収録アルバム『Memphis』/忌野清志郎

「BOYS」収録アルバム『Memphis』/忌野清志郎

1992年リリース、忌野清志郎2枚目のソロアルバム『Memphis』収録。メンフィスで清志郎が長年ファンだった、ブッカー・T&ザ・MG'sとともに作り上げたアルバム。1曲目「BOYS」のイントロから鳥肌立つほどカッコ良くて、夢中で繰り返し聴いた同作。92年に行なわれたツアーの様子を収めたライヴDVD『HAVE MERCY!』もめちゃくちゃカッコ良い! それまで聴いていなかったソウルやR&Bに興味が湧き、オーティス・レディングやサム・クックなんかを聴くようになったのもこの作品がきっかけ。そう、その後、雑誌「TV Bros.」で連載してた「瀕死の双六問屋」で清志郎が毎週一枚、名盤を紹介してて。それを中古CD屋さんを探し回って、買って聴くことを義務化してた時期もあった。改めて思うけど、清志郎はオレの音楽の先生でもあったのだな。僕の好きな先生、僕の好きな清志郎。

「激しい雨」('06)/忌野清志郎

「激しい雨」収録アルバム『夢助』/忌野清志郎

「激しい雨」収録アルバム『夢助』/忌野清志郎

その後も新しいアルバムが出たら聴いたり、時々ライヴを観に行ったりと、熱心にとまではいかないけれど、清志郎を追い続けていたオレ。今思うと清志郎はいつでもいてくれるし、また会いたくなったらライヴに行けばいいやくらいに思ってたのだろう。だから、06年7月に喉頭がんであることを発表し、音楽活動を休止した時は本当にショックだった。10月にアルバム『夢助』が発売されて、仲井戸麗市と共作で作った「激しい雨」を聴いた時、清志郎がいなくなっちゃうことを初めて想像して、ボロボロ泣いた。08年2月、日本武道館で『忌野清志郎 完全復活祭』を開催して、活動再開した時は本当に嬉しかったんだけど。オレは病み上がりで弱ってる清志郎が怖くて見たくなかったし、ここからどんどん元気になってライヴ活動を続けてくれると信じてたから、武道館へは行かなかった。そして、清志郎が亡くなったあの日から、オレはいまもず~っと後悔し続けている。なぜあの日、武道館に行かなかったんだ、オレ! 後悔先に立たずとはよく言ったもんで、やっぱり会いたい人には会いたい時に会って、やりたいことはやりたい時にやらなきゃダメなのだ。《Oh 何度でも 夢を見せてやる》と歌う清志郎に甘えて、オレはもう一度ライヴが観れなかった後悔を抱えたまま、清志郎の歌を聴き続けるのだろう。青春の思い出とともに、RCサクセションが聴こえる、RCサクセションが流れてる。

TEXT/フジジュン(おもしろライター)

フジジュン プロフィール:1975年、長野県生まれ。『イカ天』の影響でロックに目覚めて、雑誌『宝島』を教科書に育った、ロックとお笑い好きのおもしろライター。オリコン株式会社や『インディーズマガジン』を経て、00年よりライター、編集者、デザイナー、ラジオDJ、漫画原作者など、なんでも屋として活動。12年に(株)FUJIJUN WORKSを立ち上げ、バカ社長(クレイジーSKB公認)に就任。メジャー、インディーズ問わず、邦楽ロックが得意分野。現在は音楽サイトや、雑誌『昭和50年男』等で執筆。

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