ジュディ・ガーランド生誕100年記念
(Part 3) 幻のライヴ音源が、遂に
日本で初リリース!~「ザ・ブロード
ウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

ジュディ・ガーランド生誕100年記念(Part 3) 幻のライヴ音源が、遂に日本で初リリース!
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 不世出のエンタテイナー、ジュディ・ガーランド(1922~69年)の生誕100年を記念し、本連載では映画館で再上映された「若草の頃」(1944年)や、名盤「ジュディ・アット・カーネギー・ホール」(輸入盤)を紹介してきたが、遂に日本でも動きあり。ユニバーサル ミュージックから、10タイトルのCDが2022年6月8日に発売される事となった。Part 3では、そのラインナップから、1962年に録音されながら長らくオクラ入りしていた「ライヴ!」を紹介しよう。

■録音から27年後に陽の目を見たレア音源
 今回リリースされるのは、ガーランドが1955~65年に所属したレコード会社、キャピトル・レコードに残したアルバムの数々。彼女が歌手として油の乗り切っていた頃で、優れた録音が多い。「ライヴ!」は、Part 2で取り上げた「カーネギー・ホール」(1961年)の絶賛を受け、続編的な扱いで企画されたもの。十八番曲で固めた「カーネギー」に対し、あまり歌い慣れていないブロードウェイ・ミュージカルのナンバーに挑戦するコンセプトで、「ジュディ、ブロードウェイを制覇する」のタイトルでリリースされる予定だった。
これもライヴ・セッションより Photo Courtesy of Scott Brogan
 録音日は1962年4月26日。NYのレコーディング・スタジオ、マンハッタン・センターに、名優ヘンリー・フォンダや、この約3か月後に急逝するマリリン・モンローを含む3,500名の観客を集めたライヴ・セッションがスタートした。ところが当夜ガーランドは咽頭炎を患っており、予定されていた13曲の内10曲を歌ったのみ。結局キャピトル・レコードは、声の不調を理由にアルバムを発売しなかった。それから27年を経た1989年に、ようやくCD化。確かに声のコンディションはベストではないものの、それでも100%を出し尽くした堂々たる演唱に、世界中のガーランド・ファンが狂喜した。日本では、今回が初リリースとなる。
「ジュディ・ガーランド/ライヴ!」は、ユニバーサル ミュージックより2022年6月8日(水)にリリース(UCCU-45047)。¥1,980(税込)

■ミュージカル・ナンバーを歌いまくる
 このセッションから、「ライヴ!」に収録されたナンバーは9曲。いずれも1950年代中盤から60年代初頭にかけ、ブロードウェイで上演された作品から選りすぐられた楽曲だ。新しいレパートリーを開拓する事に対しては、さほど積極的ではなかったガーランド。ここでは、真摯にミュージカル・ナンバーに取り組む姿勢が感じられ頼もしい。
 まずオープニングに彼女が選んだ楽曲が、英国の粋人ノエル・カワード作詞作曲の〈セイル・アウェイ〉。1961年に上演された同名ミュージカルの主題歌だ。さすがに歌い出しは声に疲れが見えるが、ワンコーラスを歌い終えると、観客の熱狂的な喝采が沸き起こる。それに刺激されたガーランドは、一気にパワーアップして豪快に盛り上げる定番の歌唱スタイルだが、何度聴いても興奮を憶えるほど素晴らしい。彼女のコンサートを支えた、モート・リンズィー指揮によるオーケストラのダイナミックなサウンドも申し分なし。
録音の合間にくつろぐガーランドと、彼女の右腕として音楽監督&編曲を担当したモート・リンズィー(左) Photo Courtesy of Scott Brogan
 次いで、歌詞の多さをボヤきつつ歌うのが、『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)の〈サムシングズ・カミング〉。畳み掛けるように歌われる、音程の取りづらいこの難曲を無難にこなし、徐々に調子を上げて行く。以降、キーやテンポを変えながら存分に盛り上げる、『ベルズ・アー・リンギング』(1956年)の〈ジャスト・イン・タイム〉や、『マイ・フェア・レディ』(1956年)の〈時間通りに教会へ〉と快唱が続くが、白眉が〈ネヴァー・ウィル・アイ・マリー〉だ。これは、『ガイズ&ドールズ』(1950年)の作詞作曲家フランク・レッサーが、1960年に発表した『グリーンウィロウ』からの楽曲。「私は決して結婚はしない。重荷も心労もなし。生まれてから死ぬ日まで、ただ独りで彷徨い歩くだけ」と歌うブルーなバラードで、ガーランドは孤独と悲しみも露わに力強く歌い上げ、究極の絶唱へと昇華させる。

■胸に迫るラスト・ナンバーの余韻
歌い込んでいない楽曲が多かったため、歌詞を確認しながら歌う。ちなみにガーランド、譜面は読めなかった。 Photo Courtesy of Scott Brogan
 さらに、『ワイルドキャット』(1960年)の華やかな〈ヘイ、ルック・ミー・オーヴァー〉や、本連載VOL.23でも紹介した『ジプシー』(1959年)の〈サム・ピープル〉などが続く。後者は1967年頃、ガーランドと愛娘ライザ・ミネリの共演で、TV版の企画が持ち上がったが実現しなかった。そして最後のナンバーが、前述『ベルズ・アー~』の〈ザ・パーティーズ・オーヴァー〉。『ジプシー』同様、作曲家ジューリィ・スタインによる名曲だ。この夜、精魂込めて歌ったガーランド。嗄れた声で、「パーティーはおしまい。すべての夢はこれで終わり」と情感を込めてしみじみと歌い、バラード・シンガーの真骨頂を見せる。実はこの日、彼女は他にも『ザ・ミュージックマン』(1957年)の〈76本のトロンボーン〉や、『ウエスト・サイド~』の〈トゥナイト〉にトライしたものの、上手く歌えず収録はわなかった。
「ジュディ・ガーランド・ショウ」(1963~64年)は、トニー・ベネット(左)やバーブラ・ストライザンドら豪華ゲストが話題だった。これはリハーサル中の写真。 Photo Courtesy of Scott Brogan
 本CDにはボーナス・トラックとして、彼女が1963~64年に出演したTVショウ「ジュディ・ガーランド・ショウ」(日本では未放映)からの5曲を追加。かつて、この番組の名唱を集めたサントラLP「ジャスト・フォー・オープナーズ」(1964年)に収録されたナンバーだ。その中では、2021年に日本で久々に再演された、英国産ミュージカル『オリバー!』(1960年)の〈彼が私を必要とする限り〉が圧巻。この名作は、ガーランドと家族が繰り返し観たほどのお気に入りだった。作品を生み出した、作詞作曲家ライオネル・バートの才能を高く評価していた彼女は、スケールの大きい情熱的なヴォーカルで他の追随を許さない。
1964年にリリースされた、「ジャスト・フォー・オープナーズ」のLPジャケット

■ブロードウェイとガーランド
 生涯、ブロードウェイ・ミュージカルには出演しなかったガーランド。だが一度だけ、実現しかけた事があった。作品は、ジェリー・ハーマン作詞作曲の『メイム』(1966年)。何が起ころうとも前向きに人生を突き進む、メイム叔母さん行状記だ。開幕時は、この破天荒なヒロインをアンジェラ・ランズベリーが快演し、トニー賞主演女優賞受賞。彼女の後任に、自ら名乗りを上げたのがガーランドだった。人生最大の当たり役になる事を分かっていた彼女は、ハーマンらと打ち合わせを重ね、劇中歌を披露するなど大乗り気だったが、酩酊状態でのコンサートや、開演直前のドタキャンと、既に業界内では悪評が知れ渡っていた。最終的にプロデューサーは、ガーランドが定刻に劇場に到着し、毎晩のパフォーマンスをこなすのは無理と判断。起用を取り止めた。彼女はひどく落胆し、アルコールや薬物への依存に拍車が掛かったという。
リハーサル中のライザ・ミネリとガーランド(1964年) Photo Courtesy of Scott Brogan
 なお、今回のユニバーサル ミュージックからのリリースは、この「ライヴ!」以外にも、スタジオ録音のバラード集「アローン」(1957年)を始め、日本初CD化の秀逸なレコーディングが揃う。Part 4では、1964年に開催された、ライザ・ミネリとのジョイント・コンサート「ライヴ・アット・ザ・ロンドン・パラディウム」を紹介しよう(これも日本初CD化)。

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