遠藤正明インタビュー「Songful day
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遠藤正明とは、いったい何者だ? 「アニソン界の若獅子」と呼ばれて四半世紀、すさまじい熱気と尋常ならざるパワー、とてつもないスキルの高さを武器に、一度聴いたらその声を決して忘れない唯一無二のアニソンシンガー。初期の代表作「勇者王誕生!」(「勇者王ガオガイガー」主題歌)から最新ヒット「ご唱和ください 我の名を!」(「ウルトラマンZ」主題歌)に至るまで、記憶に残るヒット曲は数知れず。JAM Projectのメンバーとしても日本武道館や海外フェスなど大舞台に立ち、ソロではオリジナルアルバムやカバーアルバムなど精力的にリリースを続ける、限界知らずの不屈の男。
SPICEでは、4月12日に初回生放送される「Songful days SEASON2 with “遠藤正明”powered by SPICE」(3月3日放送予定の振替公演)を前に、永遠の若獅子・遠藤正明をキャッチ。新たなステージに挑む心境を新規リスナーにアピールすべく、「遠藤正明を知るためのキーワードインタビュー」を敢行した。アニソン界の若獅子は、いかにして永遠の若獅子であり続けるのか? 2月の新型コロナ罹患から無事復活した遠藤正明が、長いキャリアの中のターニングポイントや、「Songful days」に臨む思いをたっぷりと語ってくれる、最新ロングインタビュー!
――まず、お元気になられて本当に良かったです。
本当に、ご迷惑をおかけしました。俺は幸いにも軽症だったみたいで、喉もそんなに痛くなかったし、熱も2日間出たくらいだったんですけど、それよりも仕事を飛ばしてしまった、そっちのほうがしんどかったですね。家に10日間いなきゃいけないのも、精神的にしんどかったです。
――無事に復活されて、「Songful days」も、新たな放送日程が4月12日に決まりました。「Songful days」のコンセプトである「アコースティックライブ」というのは、遠藤さんにはおなじみのスタイルですよね。
そうですね。音楽の表現として、アコースティックも含めていろんなアプローチをずっとやってきたんですけど、今回の「Songful days」はアコースティックのアレンジで、というオーダーがあったので、まず物語を聞かせてもらって、そこからみんなでまとめていこうということになりました。それと、俺はアニソンシンガーなので、作品に基づいた歌を歌うのが仕事なんですけど、今回のように「歌ありき」で、歌に沿って物語が進んでいって、歌も物語に寄り添って盛り上げていくというスタイルは、初めてなので。生演奏なんだけど、MCもなく、歌の力だけで、どうやって物語と一緒に進んでいくのかな?ということは、考えただけでワクワクしますね。
――こちらも、今からワクワクしてますよ。
歌の力だけでどれぐらい伝わるんだろう?とか、声優の高木美佑さんがやってくれるナレーションと、俺が歌う音楽がどう混ざり合って、物語がどう進んでいくんだろう?とか、聴いてくれる人が、どんな受け止め方をしてくれんだろう?とか。すごいワクワクしますね。
――そんな「Songful days」を待ちわびているファンと、ここから遠藤正明を知る新規リスナーのために、これまでのキャリアを振り返らせてもらおうと思います。まず「遠藤正明を知るためのキーワードその1」は、「歌を歌うということ」です。どんなふうに歌に目覚めて、プロになるためにどんな決心があったのか、あらためて語ってもらえますか。
まず最初に、ちっちゃい時にほめられたのが歌だったんですね。友達に「歌がうまいね」と言われて、自分も歌うのが好きだった、そこが始まりだと思います。ジュリー(沢田研二)が大好きで、小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」が「ジュリーになること」だったし、それが最初の夢でしたね。子供心に、あんなに色気があって、カリスマ性があって、スーパースターってこの人なんだろうなと思って、憧れの人でした。それと同時に、その頃、「音楽って深いな」と思わせられる経験があったんですよ。
――というと?
小学校のクリスマス会か何かで、クラスメイトの前で歌ったんですね、たぶんジュリーの曲を。そしたら音楽の先生に、「もうちょっと子供らしく歌いなさい」と言われたんです。子供なのに(笑)。その時に、「子供っぽく歌ったら大人は喜んでくれる。でも自分らしく歌うと友達は喜んでくれる。何なんだろう?」と思って、音楽の深さと面白さに、子供ながらに気づいたということがありました。
撮影=池上夢貢
――印象的なエピソードですね。その後、歌で生きていく、プロになるんだと決心したのは、いつ頃ですか。
最近ですね(笑)。
――ええっ(笑)。そんな。
いや、ほんとですよ。僕は宮城県石巻市という田舎で育って、地元では「おまえ、歌がうまいじゃん」と言われていたので、東京に出ればすぐにプロになれると思っていたんですけど、そんな甘い世界ではないじゃないですか。すごく苦労して、でも田舎を捨てて上京したので、帰るところがない。ちょうど「イカ天」とかバンドブームの時代で、音楽的にはいい時代だったんですけど、その反面ライバルがいっぱいいて、メディアに出るには色物じゃないと扱ってもらえないぐらいの感じだったので、「そういう場所には出たくない」と思いながら、すごく遠回りをしていたような気がします。話せば長くなるので、簡単に言うと、その後に入った音楽事務所にいたのが影山ヒロノブ兄さんで、そこからですね。それがきっかけで、その後ランティスを立ち上げられる井上(俊次)さんに「アニソン歌ってみないか?」と言われて、アニソンシンガーになったんです。
――そこが人生の、大きなターニングポイントですか。
そうですね。アニメは子供の頃に見ていましたけど、アニソンシンガーになりたいという気持ちはなかったし、どっちかと言えば、当時のアニソンはオタクと呼ばれる世界で、マイナーなイメージが強かったので、俺が歌うのはどうなんだろう?と思っていたんですけど、アニソンを歌うことによって…それまでは自分で曲を作って歌っていたので、好きな歌しか歌わないじゃないですか。苦手なものは避けていたんですけど、アニソンとして、人から提供してもらった歌を100%の表現で歌いこなさなきゃいけない時に、自分の力のなさを痛感して、だからこそ引き出しもすごく増やしてもらったので。だから、「もっと歌いたい」というプロ意識が目覚めたのは、アニソンという世界に入ってからですね。あのまま売れないロックバンドをやっていたら、今はもう歌っていなかったかもしれない。「武道館に立ちたい」「海外で歌いたい」という夢も、アニソンを歌っていなかったら叶っていなかったと思うので、ひょんなことから歌ったアニソンが、夢を実現させてくれたと思っています。すごくラッキーだったと思います。
――これまで歌ってきた数あるアニソンの中でも、特に思い出深い曲というと?
やっぱり「勇者王ガオガイガー」の主題歌「勇者王誕生!」ですね。それまで自分は熱い歌を歌うスタイルだとは思っていなかったんですけど、あれがきっかけで、遠藤正明イコール熱い、うるさい、暑苦しいというイメージがついたというか(笑)。でもそのおかげで、自分の武器が手に入ったと思いましたね。あの曲では「投げ込み」と言われる、技の名前を叫ぶところがあるんですけど、そこは声優さんがあとで入れるだろうと思っていて、「とりあえず入れといて」と言われて、一生懸命やってみたら「これでいいじゃん」ということになって、歌入れよりもそっちのほうに時間をかけた思い出があります(笑)。
――あはは。そうでしたか。
それを聴いた水木一郎アニキが、しばらく経ってから「俺とは流派は違うけど、おまえの投げ込みはいいと思う」と言ってくれて、うれしかったのを覚えていますね。当時、投げ込みといえば水木一郎アニキだったんですけど、真似しなかったのが良かったんでしょうね。というか、真似はできないですから。自分なりにやるしかなかったんですね。
――「勇者王誕生!」は、当時の子供には衝撃だったと思います。とにかく熱いし、エネルギッシュだし、「ガ」が多いし(笑)。
あの頃はタイアップ時代というか、アニメと関係ないJ-POPが主題歌になることが多くて、アニメのための歌というものがなかった時代だったんですね。作曲は田中公平さんという方で、曲にかなりクセがあって、8回ぐらい転調するんですよ。しかも、あとで歌詞を送るねと言われて、当時のファックスで送られてきた歌詞が、「ガ」しか書いてない(笑)。数えたら124回も「ガ」があって、とにかく変な歌だなと最初は思ったんですけど、名曲になる歌って、結局は歌い手だと思うんですよ。どんなにいい作家さんが名曲を書いても、歌う人が駄目だったら名曲にはならない。逆に、どんなダサい曲でも、歌い手がすごい歌を歌ったら、それは名曲になると俺は思ってます。
――おお。なるほど。
そういう意味で、「ガ」が124回出てくる歌を、俺がどうやって料理するのか。ダサいと言われずに「すげえな、かっこいいな」と言わせるためにはどうすればいいか?を考えた時に、すごくワクワクしたんですよ。それがきっかけになって、アニソンの世界にどっぷりハマっていきましたね。
――「勇者王ガオガイガー」は、声優の檜山修之さんの熱演もすごかったです。
あの当時、檜山くんが主役をやるアニメの歌を歌うことが多くて、「またこの人だ」と思ってましたね(笑)。
――たぶん、「熱い」という共通点があったんじゃないですか(笑)。
そうだと思います(笑)。彼とは同い年で、当時は現場で会っても挨拶するぐらいだったんですけど、40歳を超えてから知り合いを通じて仲良くなったんですよ。あるお店で飲んでいる時に、すごく混んでいて、檜山くんが「すみませーん」って呼んでも届かなかった。でも俺が「すみません! ウーロンハイください!」って大きい声を出したら、「はい」って、オーダーが通った。そしたら檜山くんがイラっとしたみたいで、来たウーロンハイを一気に飲んで、「すいません!! ウーロンハイもう一杯!!」って、すごいでかい声で(笑)。それを見て、俺もやらなきゃと思って、「すいません!!」「すいません!!」ってやり続けて、二人でつぶれて帰ったことがあります(笑)。
――最高のエピソードです(笑)。そのほかに、キャリアの中で印象深い曲はありますか?
ソロデビュー曲「forever Friends」は、『ストリートファイターII V』の挿入歌で、越智アキラさんというブルースシンガーの方と一緒に歌わせてもらったんですけど、最初という意味ではすごく思い出深いです。最近で言うと『ウルトラマンZ』の主題歌「ご唱和ください 我の名を!」ですね。俺はちっちゃい時にウルトラマンを見て育って、信じること、あきらめないこと、仲間を思いやることを、ウルトラマンから教えてもらったので。この歳になってウルトラマンの歌を歌うというオファーをもらった時に、今度は俺がウルトラマンに恩返しをする番なんだと思って、作らせてもらいました。そういう意味では思い出深いです。まあ、全部ですけどね。全部の曲に、いろんな思いがあります。
――そうですよね。
音楽って、それを聴いた時の匂いとか、風景とか、好きだった子のこととか、思い出すじゃないですか。俺はそこで命をかけて歌っているので、余計に1曲1曲にはいろんな思い出がありますよね。
――そして、「遠藤正明を知るためのキーワードその2」は、JAM Projectです。ずばり、遠藤さんにとってJAM Projectとは?
俺には音楽で叶えたい夢があったんですけど、一人で見る夢と、仲間と見る夢との違いはあると思うんですね。そこで、JAM Projectでしか見れない夢や景色があったと思うし、そういう意味で、JAM Projectに加入できてラッキーだったなと思います。最初は影山ヒロノブ兄さん、水木一郎アニキ、松本梨香ちゃん、さかもとえいぞうという、海外でも通用するアニソンシンガーを集めてみんなでやろうぜという中に、なぜか俺が声をかけられたんですよ。一番年下だし、まだ全然無名で、「ガオガイガー」ぐらいしかなかったのに、なんで俺なんだろう?と思いながら、最初はやっていたんですね。レコーディングの時も、みんな個性が強いし。
――ツワモノだらけですよね。
どんなジャンルでも、ボーカルユニットって、あるようでないんですよ。みんな個性が強いから、ぶつかるんですよね。だから長続きしないと思っていたし、初期のメンツは特に、キング・オブ・クセつよの人ばかりだし(笑)。その中で自分の爪痕を残すことを、そこで学んだのかなと思います。二拍四拍で取る歌を、わざと一拍三拍で取って歌うとか、いろいろ考えましたよ。5人の中で埋もれないように。そういう意味でJAM Projectはすごく勉強になったし、ラッキーだったと思います。まさかこんなに長く続くとは思っていなかったですけどね。最初は5人の中で一番うしろの名前だったのが、今は2番目ですから(笑)。自分のバンドもこんなに長く続けたことはなかったので、いつのまにやら、俺の音楽人生の中でも一番長い活動のユニットになりました。
――長く続けられた秘訣を、あえて言うとすると?
JAM Projectにはいろんな奇跡があって、影山ヒロノブ兄さんは俺と8つ違うんですけど、それも良かったんですね。年が近いとぶつかっていたかもしれないけど、キャリアのある人が上にいるから、まとまっていると思います。しかも、上の人が休まない。曲を作るのもライブをするのも、すごいストイックで、うちらが「疲れた」とか「休みたい」とか、先に言えないんですよ。そういう人が上にいたからこそ、やってこれたんだろうなと思います。そして今のメンツは奇跡的に、自分にないものをそれぞれ持っていて、それをお互いがわかりあっていて、リスペクトできる関係なんですよね。
――JAM Projectはまさに、奇跡のユニットだと思います。そして「遠藤正明を知るためのキーワードその3」は「東北魂」です。遠藤さんは石巻出身で、震災復興の活動もしていますし、東北で生まれ育ったという生命力が、今の音楽活動にも生かされている気がしてならないんですが、自身ではどう思いますか。
俺は田舎が大嫌いで、自分を認めてくれなかった田舎を捨てて、出てきた人間なんです。もっと言うと日本人も嫌いで、金髪にしてみたり、そういう気持ちがずっとあったので、もう田舎には帰らないと決めて東京に出てきて、夢を追うことになるんだけど…プロになって、アニソンを歌い始めて、アニソンのCDと自分がやっていたロックバンドのCDを出した時に、十何年振りにおふくろに連絡したんです。「今度、俺のCD送るね」って電話したら、「生きてて良かった」って言われたんですよ。それまで一回も連絡しなかったから。そんな人います?(苦笑)
撮影=池上夢貢
――いやあ…成功するまで絶対に帰らないという、すごい決心だったんじゃないかと推測します。
そのぐらいの気持ちで俺は東京に出てきたから、親も、あいつはどっかで野垂れ死んだだろうと思っていたかもしれない。田舎とはずっと、そのぐらいの距離感でいたんだけど、東日本大震災が起きた時に…自分が育った、あんなに嫌いだった町が壊されて、なくなってしまったのを見た時に、すごく悲しかったんです。そして「俺、この町が好きだったんだな」と思ったんです。そういうことがあって、歌を歌うことについても、「自分のルーツって大切だな」と思うようになったんですね。俺は宮城県石巻市で生まれたからこそ、このボーカルスタイルなんだし、この考え方なんだし、ということは、変えようがないじゃないですか。石巻で、ジュリーが大好きで歌っていた俺がいたから、今の俺があるんだろうなとすごく思うし、そう考えると、一度は捨てたふるさとだけど、すごくいとおしく思っていて、何かしてあげたいなと思ったんですね。
――はい。
話が前後しますけど、おふくろと十数年ぶりに連絡を取ったあと、久しぶりに宮城県石巻市に帰ってみたら、石ノ森章太郎さんの「石ノ森萬画館」が建っていた。あの萬画館が建っている公園は、俺が中学や高校の時、音楽をやっていた場所なんですよ。そこに萬画館が建って、石ノ森先生の残したデザインをもとに作られたヒーロー「シージェッター海斗」の歌を歌ってくれというオファーが来た時に、これも何かの運命なんだと思って、歌わせてもらったんですね。それからさらに何年か経って、津波が来て、萬画館でしか売っていなかったCDも全部流されてしまった。それでも「歌いに来てくれ」と地元の仲間たちに言われて、影山ヒロノブ兄さんとダニー(きただにひろし)と一緒に、車に物資を積んで石巻に行ったんです。正直、こんな時に行っていいのかな?と迷ったんだけど、ぜひ来てくれということで、行って、駐車場で歌った時に、2000人来てくれた。そこで安否確認をする人たちもいて、「歌の力には、こういうものもあるのかな」と思ったんです。
――それは大きな経験だったと思います。
ライブが終わってから、握手会みたいなことをやった時に、男の子が「シージェッター海斗」のCDを持ってきて、「サインしてください」と言った。そのCDを見た時に、「もう一回、CDを作ろう」と思ったんですね。全部、津波で流されちゃったから。それで東京に帰ってから、事務所の社長に相談して、影山ヒロノブ兄さんとダニーと3人で歌おうということになって、俺が曲を作って、「不滅のヒーローSEAJETTER KAITO」という歌ができた。あの時は日本中が自粛ムードで、世の中が何も機能していなかったんですけど、俺が「CD作りたい」と言った時に、ジャケットのデザイナーさんもCDのプレス屋さんも「何でもやるから」と言ってくれて、「CDってこんなに早くできるんだ」というぐらい早くできたんですよ。
――やりたかったんですね。みなさん。
そういうこともあって、「音楽ってすげぇな」と思ったんですね。そういう経験をしているので、今回のコロナ禍も絶対に大丈夫だと俺は思ったし、その時(震災後)から、地元に音楽で貢献できないかな?ということは、すごく考えるようになりましたね。俺にできるのは微々たることだけど、身の丈に合ったことを地道にやっていきたいなとは思っています。
――では、「遠藤正明を知るためのキーワードその4」は「未来」です。もうそろそろベテランと呼ばれるキャリアになってきていますが、この先にどんな未来を思い描いていますか。
笑われるかもしれないけど、ソロでも武道館に立ちたいし、まだまだやりたいことはいっぱいあるんです。逆に言ったら、俺は、音楽以外に趣味が一個もないんですよ。つまんない男かもしれないけど、でも音楽でまだまだやれてないことが山ほどあります。だから今回の「Songful days」に関しても、今までやったことがないことをやらせてもらえる、そういう機会を与えていただくと、すごくワクワクしますね。
――ますます「Songful days」の放送が楽しみになりました。最後に、いよいよ迫ってきた4月12日のオンエアに向けて、視聴者へ向けてメッセージをもらえますか。
俺がコロナにかかって、延期になっちゃいましたけど、そのぶん自分の中でくすぶっていたパワーがありますし、自分のソロのライブと違って、物語がある中で、自分の歌でどこまで世界観を伝えられるか。テンションの持って行き方も、いつものライブとはちょっと違うだろうし、自分でも楽しみながらやっていきたいと思っています。どういう化学反応が起きて、どういう物語がみんなに届くのか、自分でもわからないので、すごく楽しみです。この物語を、スタッフみんなで最高のものにしたいということしかないので、ぜひ見てほしいですね。
――前回の出演者、Argonavis伊藤昌弘くん、日向大輔くんは、遠藤さんのカバー「キミの詩-Sing a Song-」をやってくれましたよね。
そうなんですよ。本当に感激しました。歌もうまいし、ちゃんと物語を汲んでいるし、「Songful daysはこういうことをやりたいんだ」とすごく納得したので。そういう意味で言ったら、Argonavisさんはギターと歌だけのシンプルな見せ方だったので、俺はそれを受けて、アレンジも含めてもうちょっと大きい世界観を見せられたらいいな、というふうに思ってます。過去に出演していたみなさんも、最高の歌い手さんたちなので、その流れを汲んだ上で「遠藤に任せて良かったな」というものを、ほかの人にはできない視野の広げ方ができたら、喜んでもらえるのかなと思いますね。
レポート・文=宮本英夫 撮影=池上夢貢

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